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参考図書室
eiko の連句教室<その8>
谷地元 瑛子

「スーザンさんのhaiku論」
 2022年も3分の1過ぎてしまいました。いつもの連衆と新春歌仙を巻き終え、ひとやすみ、さて留書をというタイミングだった2月24日にまさかの戦争がはじまります。ロシアのウクライナへの侵攻は衝撃であり悲しみ、怒り、無力感にさいなまれる日々がはじまりました。思い当たったのはロシアからイスラエルに移住した俳人から今年は参加できないという便りを受けていたことでした。私たちには青天の霹靂でも彼女は様々な軋轢、よじれで状況が熱を帯びる過程を熟知しどうなることかと心配にさいなめられていたのだったと思います。

 2000年10月7日に国士舘大学中央図書館ホールで「地球連句シンポジウム」が開催されました。あれから21年と半年のいま、資料ファイルを見つけ出すと、「共同で制作する連句には人類の共存、世界の平和、環境の保全を願う心が根底にある」という文章があります。
あの頃は陳腐とも思えたこの文章が今はくっきり立ち上がってきます。資料には急遽欠席となった金子兜太氏のおわびのことばもファイルされていました。「連句の現代的意義を確かなものにしてください。連歌そして俳諧の連歌は古く、骨太です。これを現在の場から照射してください。子規が気にしていた自由詩とくらべての「連俳」の非近代性(その意味での弱さ)をきちっと反論してほしいともおもいます。自由詩の世界での連詩といわれるものとルールをもつ連俳との内容上のちがいもはっきりしてもらいたい気持ちもあります」という連句界への真摯な問いかけをしておられました。浅学非才の身ながら、国際連句を続けることをささやかな
こたえにしたいと改めて思います。座につけば国境はありません、ひとりの同じ人間である連衆の著すものを読むことは座をともにする上で大きな拠り所になります。

 今回は連句の始まりの句、発句/haikuについて新しい角度から、見てみます。参考までに今年になって私が参加した英語連句のなかから発句を3つ紹介します。

stroke of midnight
the new year comes swaddled
in a blanket of snow       (時は真夜雪を纏ひし年神来)

last of the frost
scraped from the windscreen
spring sun            (フロントガラスの霜とるも最後春陽ざし)

fine doilies tremble
against the blue sky
budding keyaki leaves       (大空をそよぐレースや欅の芽)

発句の心得として曰く、おおらかに、内容豊かに。品格あり、姿もしっかりした句。客として座に挨拶をするさりげない工夫のある句。完全に独立している句、平句に対して立句とよばれることに留意する。原則として季語、切字を有する句などなど先達に習った。

私なりにまとめると、連衆皆が共有できる句であると同時に永遠への響きをもつフレッシュな短詩ということになろうか。上に上げた3句は発句になっているだろうか?

さて海外には、芭蕉などの発句群を優れた翻訳で鑑賞している方々が多く、そこから優れた独自の俳論を著す外国の俳人は少なくありません。まえがきが長くなりましたが、以下に20年来の知己にして俳人・連句人の米国人スーザンさん(Dr.Susan Delphine Delaney)の論文を和訳いたします。感想をいただければ幸甚に存じます。


存在感覚の境界、ここに俳句が生まれる瞬間あり

LIMINALITY
AND THE
HAIKU MOMENT

スーザン デルファニー デラニー
SUSAN DELPHINE DELANEY  MD, MS 


精神科医 スーザン・デルファニー・デラニー
(翻訳:谷地元瑛子)

俳句が生まれる時、すなわち俳句モーメントとは、ほんの刹那、わたしたちの肉体と精神が、文字通り触れ合う時間だ。この瞬間は私達が世界をどう捉えるかの転換点、新しい世界観への入り口ともいえる。ただし、俳句モーメントとは知能時間ではなく、深く心を動かし同時に心にやすらぎをもたらす特別な時なのだ。私達の心と私達の精神は深いところでふれあい、命の真実と神秘に出会っていることを知る。それはひとりひとりの根底にある自己認識と共鳴し深い直感となり、知恵、平和そしてやすらぎをもたらしてくれる、そう、それこそが俳句モーメント、新しい存在感覚に至らしめるぞわっとする形而上的体験なのだ。

俳句を詠むひとりひとりは俳句モーメントによって永遠に変えられたことを認知し、そのことに感謝の念を抱くものだ。自我の変容を他者とわかちあえることを願って私達は俳句を詠む。

俳人は繊細な感覚で捉えたこの俳句モーメントをつつましくも単純に、そして端的に記録する。感覚に刻印された印象を再現することによって私達は読者に啓示を伝える存在になるとも言えよう。その時俳人はアプリオリに読者を信頼しているのだ、自分の差し出すありのまま、いはば、裸の表現を、読者がそのまま受けとめてくれ、そっとその裸にそれぞれの反応を着せかけてくれることを。

季語群は一年の間に終わりなく境界が存在することを示している。季語はその前の季節とこれから始まる季節というふたつの領地の国境を示す指標だ。
季語には天象・地理、人事、行事、動物、植物などのカテゴリーが有り、それぞれの分野において季節ごとに予期できる事象が選ばれる。

一年を5日x72に分けている日本人にとって、時とはそもそもどこかぞわっとする境界を意識させる語であり、季語は元来境界性をもっている行事、対象物などを表現する言葉であると言える。

無季の句は生誕・死など人間の生にあらわれる境界性をおもわせる。

境界を示唆する出来事は詩人の中に境界感覚を創りだす、言い換えれば、敷居に立っているという自覚がめばえ、変容への準備を整えることにつながり命の深い真実に達する直感力のスイッチがONになる。

ここで実際に俳句を鑑賞してみよう。生きることの真実と神秘へと開く窓をあけてくれる俳句を紹介する。

昇り来る月を冠に牡鹿かな       CSP

聾の子を夕焼け空へ蜻蛉飛ぶ      JES

もの乞いを拒む私に娘の目        CC

まるで前世を思い出すかのように自分が胸いっぱい大自然と響きあっている感覚をさずけられるのが俳句モーメント、つながること、みたされることを創り出すのが俳句だ。

我が手を進む燕の翳          Susan
晴れゆく嵐茶の一滴に           Susan

境界の中でも境界の外でも自然はめぐる、俳句モーメントは窓のようだ。

月の出と落陽を見る観覧車         Susan

金無垢の月バケツの水深         Eiko

 俳句モーメントは時空を超える現実と私たちをつなぐ。私たちは聖なるものを感受するや、静止し、この瞬間に身をゆだねる。

ラジオ消すや羽音優しき渡鳥     Ion

ティーポット同じ形の湯気はなし    Susan

我めがけ光一条蝶乗せ来        Susan

 俳句モーメントとはパラドックスの両サイドがふれあう時といえる、この真実に抱擁されて私たちは変容する。

マザーテレサ逝く全ての棒に半旗かな    Susan

バレンタインデー夜のシフトの性病棟   Susan

 俳句モーメントには本来的な境界性があるものだ、「本来的」を言い換えるなら、物理的な境界、感情上の境界、霊的な境界が存在しているとおもう。
無季のキーワードは人間が生きる上のさまざまな境界線を抱きとめる語が並ぶ:生誕・歩きぞめ、入学、誕生日、卒業、婚約、結婚、妊娠、旅、そして死。

Mayポール空へ五色のリボン回せ     Celia

既視感やスクールバスを待つ生徒     JES

ホスピスに妻いてくれるバースデー    CSP

日本人は10日ほどで散ってしまう桜の儚さに人生を重ね、心を寄せる。

静々とカメラ向けをり桜濃し      eiko

花・蛙、鳥、虫、雨、霧、氷などはみな季語であり、時の流れに頻出する敷居を可視化する

影あれど暗さを破る菫かな       Celia

春耕かカラスの群れの土返し      TP

流氷の接岸刹那臭いかぐ         SC

蔦紅葉格子すぐるや絡みゆるく       Victor

収穫後低きつぶやき父祈る        SC

柿の実や湖上に伸びる細き枝         HLK

地上と空、雨と太陽をまたぐ虹は二重の境界性を持つと言える。

製造ラインとめて全員虹仰ぐ         susan

昼と夜の境界、たそがれ、宇宙飛行士は地球に落ちる太陽光の前進、後退を
目にする。

夜明け、正午、一番星、真夜中、これらはいずれも境界用語だ。

空白むや光失う恒星たち             susan

蝕がおこればこれも境界的だ。

月蝕すすむ空にジェット機         susan

隕石、流れ星も:

キャンプファイア彗星の尾は流れおち          susan

雲は位置も形も定まらず、境界的だ。雨や雪をもたらす点でもそう言える。

雲裏から光の筋のカザグルマ       susan

日の出シャワー綿飴雲にも案山子にも   BL

大地と空をつなぐ霧も境界的だ:

元日や一列の木々霧に消え       susan

雨、雪、氷、凍った川、暖かいプールも境界的だ。

雪まんじゅう草だけになる冷蔵庫    susan

春分、秋分、夏至・冬至もそうだ:

秋分の日雲がこぎゆく潮だまり

月齢は境界語、月はつねにフェーズを変えてゆく。

帰宅するや我が犬吠える月の夜     RdeG

砂糖月楓の樹液なめてみる      susan

微笑みの三日月昇りティータイム     KK

亡霊・精霊、霊媒、天使などはみな境界的、異なる王国の境目に住んでいる。死後の世界を信じる人は究極的に境界的だ。

蜘蛛の巣を通り抜けたり幽霊蝿   RdeG

摩訶不思議から水槽より飛沫音    CSP

晴れの帰天つき添う天使に囲まれて      KK

境界的な場所は二つの領域が出会う地点であるから、ドア、窓、温泉、海岸、川、火山、浅瀬、峠、交差点、橋、沼沢が含まれる。

山桜幾里流れて海面に         

動物や鳥たちも異なる領域を行き来するものが多い:アシカ、蟹、海鳥・蛙、イルカ、渡鳥・鯨などなど。ペンギンは氷と水を行き来、こうもりも境界的存在だ。

寝待ち月野のアヒルたち騒ぎ出す       JES

雲に入りてまた出る雲雀高き歌         CSP

以上説明してきたが、俳句モーメントとは、 “二つの国の敷居“に存在する瞬間であるとまとめたい。「今が俳句モーメントだ」という気づきが俳人に境界性を意識させる、言い換えればかれの中に変容がおこる条件が整う。正確かつ感性に響くよう俳句モーメントを表現することができればそれを読む人にも作者に起こると同じ変容、あたらしい世界理解がもたらされうるのである。


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