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参考図書室
eiko の連句教室<その3>
谷地元 瑛子

第三講:連句は言葉のゆりかご

 前講を読んでくださったお二方から声をいただきました。どちらも鋭くしかも実に暖いご指摘、ありがとうございます。我が足らざるを思い、連載の中で勉強しおいおい語りたく思います。

◎まず最初の方のご指摘を記します。
eiko:さてここにキーワード@が出ました、『座』です。座に連なる連衆は互いの句を味わい、即興で想像の翼を広げそこから付句を出します。このライブ時空に身を置くと、稀有なことが起こります:(マイナス時間)〜普段の減っていく一方の時間〜が(プラス時間)〜座のエネルギーが現実と虚構の間に引き起こす生きた時間〜を体験するのです。

声:果たして「座」に現在そんな過大な力が存在するか?
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eiko: 芭蕉も蕪村も自分を俳句の人とは思っていません、若い時から、俳諧の座に連なり、やがて俳諧の宗匠という立場になった詩人なのです

声:詩人の定義が必要と思われる。(詩の定義は?)
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eiko: 青年子規は、『発句は文学なり、されど連俳は文学にあらず』と高らかに宣言した。

声:文学とは何か?が問題。
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eiko: 移ろうものやとらえがたいもの、束の間のもの」を意識の流れに沿って描写するジョイスの初期の作品、特に必須テキストだった「ダブリンの人々」は特別でした。

声:「意識の流れ」が事前に存在したのではなく、「書くこと=エクリチュール」で生起し、生成し、作者もまたその過程で変容して、詩や文学が開示される。
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eiko:連句は世界文学たり得る一番新しい文芸形式になる可能性を秘めています。*メキシコ人ノーベル賞作家のオクタビオ・パス氏や最近亡くなられた大岡信さんは言語をまたぐ共同制作の詩に強い関心を示しました。

声:異議なしですが、その実現には「場」と「連衆と捌き」との奇跡的遭遇と出会いが前提とならざるを得ず、永遠の渇仰ともいえます。
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◎次の声です、この方は白山連句興行を見てくださっています。経緯を説明します。

 2017年 12月2日、芭蕉会議十周年の集いが催され、多くの会員が集い、老いも若きもしみじみ喜びを胸に抱き、祝いの席に着きました。その日の句会から
          冬空のかくまで青き集ひかな    海紅
を発句にいただき、市川千年捌きの白山連句興行がオンラインで始まったのです。ここまで一度も連句を巻かなったこの年の芭蕉会議でしたが、この上ないうねりに乗って歌仙を巻く機会到来です。
 作品と興行の詳細は以下のサイトにあり:
          http://www.basho.jp/renku/renkuback_25.html
 この 白山連句興行はめでたく次の挙げ句で満尾しました。
          拾った子猫飼ふことになり     由美
 それからほどなく、概ね次のようなメールをいただきました:

◎コメント概略
          泣きべその輝いてゐる花ふぶき   eiko  
 いい句ですね。なんだか今回の連句は皆が幸せそうでこちらも楽しくなりました。ニュー-スターも羽ばたいて、レギュラーの方々も大いに力を発揮されてました。来年はもっと連句が多くなりそう♪
 そんな連句について、やっとノートをまとめました:
 私は連句が苦手だ。何故だろう。苦手意識はどこからやってくるのか。

A まず形式、二花三月や序破急を頭に叩き込まなければいけないらしい。

序 表6句と呼ばれる最初の6句で、色々タブー(神祇釈教恋濃無常など)あり。
破 (7句目から23/24句目くらいまで)→句を連ねる懐紙が表から裏になると序破急の破、和製英語で言うところのメークドラマ、序が幼年時代とすれば怒涛の青春時代、精勤の壮年時代。
急(25句目くらいから)→考え込まずリズムに乗って果敢に進む。

そして挙句。挙句は祝言として将来に開かれた句。連衆の中で最も『連句人度』が高い人が担当するらしい。

ここで質問:
Question 1 「二花三月」とあるが、三つ目の月の定座はどこか。
Qusestion2 序=幼年時代 破=青年・壮年時代 急は老人?ではなさそう、壮年のまま終わるのか。

B 連句とはそもそもなんぞや(あくまでも「eikoの連句教室」〈その2〉においてのまとめ)

連句とは→心を開き普段意識しなかった自分自身に出会うこと。
連句とは→森羅万象を風雅の心で旅すること。
連句とは→連想の行間に大きな確信と志が秘められている。だから叙景と抒情の詩作品になり得る。
連句とは→江戸の人々のたしなみ、哲学・社会学・博物学そして人間学が身につく。
連句とは→芭蕉翁の「造化に従い造化に帰れ」が真髄。天地万物、大自然の息、機微を表現しようとする心が人生熱情、生活実感の発露を伴い結晶した時、連歌連句は文学作品となる。
連句とは→前句の言葉をタネのように自分の中に植え育て言葉の命をふくらますこと。
連句とは→「生きるとは」「人間とは」という問いとつながる営為。

 こうしてノートにまとめてみると、「連句」って悪いところがどこにもないように思える。自然も人もいつくしみ、今生きていることへの喜びを連衆達と共有する。苦手な理由を見つけるどころか魅力に気付かせてもらった….参加して初めて見える景色があるのかもしれない。といってもやっぱり苦手は苦手。集団行動、共同作業が幼い頃よりダメだった。案外理由なんてそこに尽きるのかも。

Answer 1. 読んでくださったことに感謝しつつ、慌てました。はい、三つ目の月の定座について説明しませんでしたのでここにまとめます。月は歌仙の旅をナビゲートする灯台のイメージ。(表D句目 と 裏G句目あたり)に出て、最後は名残の表の折端直前(ナオ11句目)にのぼります。はじめから通しで数えると、29句目が三つ目の月の定座です。花の座のないこの面ではひとり月が旅を続ける連衆を照らします。絶妙な位置だと思います。というのはここまで連衆は想像を尽くし花鳥諷詠から恋に転じたり、三面記事から、歴史からと句を案じ、虚構に命を吹き込んできて、やや疲れ、人間模様に粘りが出そうなその果てにクールな月が登場するからです。けれど波に乗り、雑の句をさらに続ける場合には月が最後の折=名残の裏になる時もあります。『冬空の』の巻では29句目の定座に出ました。
          満月の四条五条に戦の碑    喜美子
京を銀色に染める月でしたね。

Answer 2. 連句はナラティブ(すじのある語り)ではないのに、人生の流れを使って説明しようとする私のアプローチの限界が露呈しました。連句の進行はむしろ楽曲構成的かもしれません。穏やかに始まり、やがてテンポに勢いがでて波が立ち、これでもかと熱を帯び、やがて余熱ある引き潮時となる感じです。序破急の急はその収めの感じなのです。

連句は言葉のゆりかご

 さてここからが、今回の本題です。集団行動、共同作業が苦手という究極のコメントにどう反応したものでしょうか? そんなこと言わないで!という悲鳴の気持ちで以前芭蕉会議の参考図書室に掲載していただいた詩を二つ引きます。
 http://www.basho.jp/ronbun/ronbun_2011_06_02.html

I am a rock
(Simon and Garfunkel)

(十二月の暗い日,僕はひとり、窓から下の通りをみている。雪がつもった通りを。/僕は岩,僕は島/僕は壁を作る,堅固な砦を。僕には友情は要らない,友達とのおしゃべりや笑いなんかうんざりだ/僕は岩,僕は島/愛の話は止めてくれ,昔聞いたよ。死んだ感情をよび醒まそうとは思わない。愛しさえなければ傷つくこともなかったのだ/僕は岩/僕は島/僕には本がある,僕を守ってくれる詩もある。・自分の殻、自分の部屋に籠っていれば安全だ/誰も僕にさわらない・僕もだれにも触れない。/僕は岩,僕は島/岩は痛みを感じない,島は決して泣かない。)。

******

Wild Geese
(Mary Oliver)

Tell me about despair, yours, and I will tell you mine.
Meanwhile the world goes on.
Meanwhile the sun and the clear pebbles of the rain are moving across the landscapes, over the prairies and the deep trees, the mountains and the rivers.
Meanwhile the wild geese, high in the clean blue air, are heading home again.
Whoever you are, no matter how lonely, the world offers itself to your imagination, calls to you like the wild geese, harsh and exciting--over and over announcing your place in the family of things.

(もの皆つながるこの世界にあってあなたの場所はココと、世界が ワイルドギースのあのしわがれた声で、あなたに呼びかけているよ、世界はあなたの力に自分の全てを託して、あなたの前に存在しているのだ)

 反語で語るのが最初の詩。人(ひと)は関係性の中で生きるものだということが切なく伝わります。一方オリバーの詩はそのまま「造化に従い造化に帰れ」の現代版のようです。森羅万象につながる芭蕉のこころをファミリーなる単語を使って明快に示しています。

 さりながら、これで答えたことにはならないでしょう。連句が苦手でも、別に引きこもりでもなければ孤独でもない方々に連句を薦めるにはこれではダメだと気づきました。皆様は俳句が好きでおられる、言葉に造詣が深い、そこから連句を考えます。

 まず言葉をどう捉えるかから入ります。
(賢治の真似をして「ほんとうの」とわに散らない言葉の尻尾を捕まえよう)

1.言葉には海が要る
2.言葉は発芽する
3.大事に包む掌が要る
4.大事に受け取る人が要る
5.言葉は虚実の間で輝く
6.言葉には霊が宿り、風に乗る
7.言葉は究極のオーガニック、やわらかい命である

 この反対の状況を考えてみます。
海に満ち干がなく、大地はコンクリートで固められ、硬直した正義が薄っぺらな事実に固執し、フレッシュな息吹きが跡絶え、規格重視の無機質空間に人が置かれたとしたら、言葉は死にます、永遠の言葉は死にます、残っているのは息をしない偽物です。

 連句苦手のみなさん、連句は集団行動でも、共同作業でもありません。その誤解をeikoが何としても取り除ぞかねば…何故って、連句の座は言葉を育むゆりかごだからです。

 明治の近代化政策で義務教育が始まり、そこに行かされた子供達にとって共同作業と集団行動は学校生活にべったり張り付いて選択の余地のない日常だったろう。世界に伍してゆける近代国家を支える民を「作る」目的があったろう。共同作業、集団行動のない学校も例外として存在していたし、共同作業、集団行動と個人の幸せは両立しないという主張を展開するものでもないが、それでもなお、近代・現代社会とは永遠なる言葉にとって随分息苦しく自由のきかない空間だという思いを抱く。

 日本だけのことではない。北米に入植した宣教師たちは政府と一体となってインディアンの村から子供達を連れ去り、寄宿学校にすまわせ英語を教えた。衛生的な生活、栄養豊かな食事、オールラウンドな学科の勉強と至れり尽くせりのつもりだったろう。けれど子供達は永遠の言葉を失っていった。歴史的時間を経て、この痛手、この喪失に気づいたカナダ政府は、懺悔し謝罪しています。(日本の子はこれまで英語が苦手という桃源郷を持っていたが、この頃は「バイリンガルに育てたい」という親が多く状況は不透明)

 共同作業と集団行動が連句のイメージと繋がっていることを悲しみます。「連句」という言葉が誤解を生んだのかもしれません。つながるというと鎖で縛られるイメージがあるかもしれません。鎖連句ということもありますが、今ここでは、明治以前の呼び方に帰り、「俳諧」と言い換えたいと思います。(*明治になって、俳諧の発句が俳句と呼ばれるようになった、俳諧は発句とそれに続く付句の織りなす文芸、そこにある自由自在から俳文や俳画も生まれた)

 十周年記念誌に寄せて、江田浩司氏は『自由』という言葉を四度使って芭蕉会議の性格を説明してくれました。私は俳諧に一番ふさわしい形容詞は自由だと思います。俳諧の座とは言葉の解放区、無礼講の世界という方もいます。もし座に対するこの絶対感覚というか、安心大丈夫受容なしで、連句をやったら苦痛かもしれません、面白くもなんともないかもしれません。

 参加してくださる方々にこの感覚を持ってもらえるようにするところまでが実は一大事業なのかもしれません。現代生活のリズムでは、日頃の憂いや雑念から離れ、何時間も心置きなく、ゆとりを持って座に連なることは至難の技です。これまでの経験から言えることですが、場所は大事です。九州場所、名古屋場所のあの意味の場所、相撲の興行のあの意味の興行が残っているのが連句です。別に風流な場所を必要とするわけではありません。

 けれど…….
 お店でも個人のお宅でも、長くなれば迷惑となってしまいます。神社の社務所や公民館は予約や規則など、意外にハードルが高いのです。誰もが気兼ねせずゆったりできる場所とは今や最も得難いところ。蕎麦屋の二階とか大学の空き教室は最高ですが、そんな時代は終わりを告げているらしい…ロンドン大学ではまだ空き教室を使わせてくれるようですが、日本では新しくなるほど、機能毎に意味付けされた場所ばかりで、自由広場がありません。(某市役所の地下食堂の隣には誰でも好きなだけ居られる食堂の延長のような静かな会議室があって、自動販売機や化粧室も綺麗、オススメです。)連歌会所があったという日本の共同体はさぞや足腰が強い共同体だった事でしょう。

 くつろげる場所に一緒に座る事が座です。そこに興行の座の空気ができれば、もう抜け出しても良いし、おしゃべりしても、寝転んでもいいのです。決して、作業でも集団行動でもありません。

 変幻自在に言葉を連ねるのは、いわば上気してキャンプファイアーを囲む状態。付句は、次々に火にくべる薪。薪は燃え、熱を伝えます。新しい口から新しい言葉が湧いてきます。これはもう制御できない自然現象で、別の言葉で言えば宴ということかもしれません。言葉は言葉を触発する。新しい言葉はここで生まれる。

 ネット環境ではなかなかこの状態になり難いのですが、『冬空の』の巻はこれが実現した興行でした。集いの余韻がしっかり残っていたのが良かったのだと思います。

 ここでいただいた声をもう一度胸に刻みます:

声:「意識の流れ」が事前に存在したのではなく、「書くこと=エクリチュール」で生起し、生成し、作者もまたその過程で変容して、詩や文学が開示される。

 勤めていた短大の非常勤講師室で連句を初めて知った時、まっすぐジョイスを思い出しました。第一講から引用します:国外追放の身のジョイスはパリ、ジュネーブ、トリエステなどのヨーロッパの街に居を探し、貧しい中、ひたすら書き続けます。アイルランドの外にいて、自分が捨てた故郷ダブリンにこだわり、想像と創造に言葉を尽くすどころか、時に意味不明なまでに言葉を分解します。一生想い続け、「書き続けた」ことでジョイスは新しい文学を開示した、一巻、一巻があたらしい連句の座はこれです。やりとりのある文学空間は稀有にして貴重です。

 連句の位置――現代の文学シーンのなかで

 俳句が隆盛を誇る文芸となったのは、様々な俳人の才能や努力もさることながら、ジャーナリズムとの相性が良かったこともあると思います。

 連句コンテストに関わったことがありますが、様々な困難がありました。
 まず第一に一句一句の作者と全体のコンダクターである捌きの一巻全体に対する責任範囲の重なり合いが、コンテストに馴染みにくいことです。文芸形式を広めるにはコンテストという形でないと、近代社会では難しいと思います。ジャーナリズムの力を借りることがそぐわないのが連句という文芸なのかもしれません。コンテストは日本でも米国でもなかなか定着せず、連句評論も浅沼璞以降どうなのでしょうか? 私の不勉強を顧みずそう感じます。

 このお正月に外国の連衆と歌仙を巻きました。ネット空間であっても座のエネルギーが巻き起こり、ひとつになる連衆の思いが興行中は確かに存在しました。満尾を喜ぶ声が相次ぐ時捌き冥利につきます。そのうち、一人が佳い作品だから、コンテストに出そうと提案したのです。その途端に皆の意識は近代化し、『審査員は誰だろう?』『ネットで見ることができた作品は審査員にはじかれるのではないだろうか?』『一直した句の作者は誰?』などなど、俳諧の文化とはなじまない質問が出ました。

 逆立ちしても、今の世は著作権のある現代社会であります。言葉の解放区は現実として座の外には存在していない!連句を広める困難はここにあるのかもしれません。

 少し前、朝日新聞紙上で名だたる俳句の選者たちが長谷川櫂氏捌きで歌仙を巻いたという記事がありました。作品からは座の空気感が感じられませんでした。けれど、一人一人がすでに有名俳人であるということから、話題性はあったのだと思います。そして有名俳人の巻いた作品だから優れているということで大紙面での掲載となったのだと思います。

 困難であっても連句作品の批評を確立する必要があると指摘してこの講を閉じます。

―――
The end of 第三講。


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