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参考図書室
eiko の連句教室<その2>
谷地元 瑛子

第二講: 連句文芸と人間

 第一講にいただいた質問は二つでした。

1 どうして連句にそんなに夢中になれるのですか?
2 鎖のように繋げて行く連句ということですが、どうやって終わりになるの?

 1は究極的な質問ですので後回しにします。2を説明するために、現代に生まれた短い形式の連句を例にとります。(難しい漢字はしさんと読みます。かせんの短縮形の一つです)

 この夏、連句をしたいと連絡を取ってくれた方が、日本人と米国人一人ずつありました。二人ともルールの「る」も心配していません。言葉の旅を楽しみつつ言葉も旅に出して、日常から微妙に離れ、虚実ないまぜに手軽な連句を巻きました。普段着の日本語作品をご紹介します。表、裏、名残の表、名残の裏の4面あるところは歌仙と同じです。連句であるためには一句一句が独立していると同時に、全体を読んだ時、まとまりとつながりを感じられる作品世界が現出していなければと思います。その意味で連句は作曲に似ているかもしれません。

              賜餐:秋の虫

気がつけば夜には秋の虫の声     瑛子    (秋)
     文机も冷ゆ仮想PC       緑     (秋)
地図検索きのうの山路確かめて     e     (雑)

     留守居恃むに猫知らん顔     m     (雑)
漱石を射る寒月光石畳           e      (冬)
     大ぶりマグに注ぐミルクティー  m     (雑)

君恋し霞たなびく遠岬              e     (春)恋  
     ふたりの門出イースターの朝   m     (春)恋
金と銀同時受賞の鈴割れて         e      (雑)

     無言館行夏極まりぬ         e      (夏) 
身の内をさらけ出したる花芭蕉       m     (夏)花
     産月近い野菜ソムリエ       執筆 
                    起首:2017年8月23日満尾:2017年8月28日)

次から次への連想をどう止めるのか?

 賜餐『秋の虫』ですが、12句が3句づつ4つにわかれているのが見て取れると思います。起承転結と思われるかもしれませんが、連句は論文ではなくむしろ音楽的構成をとります、序破急と思ってください。

 序、イントロはオモテと呼ばれる最初のブロックです。裏と名残の表にかけて、言い換えれば2と3の途中までが「破」に当たり、3のどこかで始まった急の流れは最後の名残の裏と呼ばれる四つ目のブロックが滞りなく収めます。

 全体の流れには月と花の山場があり、人生の喜び、悲哀があります。そして終わることない連想の流れを止めるのが挙句です。

 思えば私の一座した数々の連句興行で、挙句を作る方は参加者中、もっとも重きをなす連衆でした。挙句はともに一つの作品世界を作ることが出来たことを言祝ぐ句です。もっと現代的に言えば、鎖を止める唯一の方法とはそこまでのまとまりとつながりを転調し、まるで新しい別の詩を始めるような味わいのある句なのです。

AIと連句、または、人間はどうして連句に夢中になれるのか?

 今はやりのAI(Artificial Intelligence:人工知能)に連句はできるでしょうか、ルールを覚えさせることは簡単でしょう。読みは辞書機能からの判断となるので、それに反応する付けは[もの付け]を中心とした想定内になるかもしれません、さぞかし予定調和の連歌的優等生連句になるだろうと思います。自然人は、言葉一つ一つを文脈の中で味わいます。座なら、その言葉を発した人の表情や挙措など言語外の様子もそれとなく見、感じているものです。
 その上で、前句の言葉をタネであるかのように自分の中に植え育て、言葉のいのちを膨らませます。「さて」と、寝転がっていると、何かが脳裏に映り込んだり、響いてきたり、香ってきて、次の句が浮かぶのです。時をおかず即、反応した付けもあります。けれど、意識ではなく、無意識の混沌がどこかでかすかに動いて、ヒョッと何かが飛び出す感じが人間的ツケだとおもいます。文法やルールをすっかり忘れるほど寝不足で夢遊病のような時の方がうまくいったりします。いろいろなツケの違いを昔の連句の先生は有心付けとか無心付けなどと呼んで分析分類していたようです。

 連想ゲームと連句はどう違うのでしょうか。

 自分の得たインスピレーションや感動を独自の言語デザインで表現する近代詩と違って、連句は付合の座に連なることで紡がれるので一見すれば、「出たとこ勝負の成り行き任せ詩」 どっこい、「連句は豊穣の文芸」である、というのが私の理解なのです。

 連想ゲームとの落差に読者はお手上げの気持ちになってしまわれたかもしれません。

 連想の行間に大きな確信と志が秘められているから、世界に冠たる叙景と抒情の詩作品になるのだと私は思っています。連句は江戸の人にとって詩であると同時に、哲学、社会学、博物学、言語学そして何より人間学でした。市井の人々がたしなみとして俳諧を学びました。『生きるってなんだろう?』『人間って何者?』という気持ちで座に参加してみてはと思います。そこまでになったのには芭蕉というカリスマの存在がありました。

俳諧の益は俗語を正す也 常にものをおろそかにすべからず

 ここで最近少しだけ近づくことができたとひとり感じる芭蕉さんの言葉を私なりに咀嚼してみます。
 国際連句協会という大きな名前の小さな会に入って毎月連句会に参加していた頃、私は有名なこの一言を知らず、ただ、いそいそと出かけました。暮らしの中で使い倒している日常言葉の「さあ、今日は棚卸し」というような感じを持っていてそれが楽しみだったのです。今解釈すれば、銭洗弁天でお金を洗うように、言葉を洗ったり、突如出現した新語をまな板にのせる日だったのかなと思います。

 生活の荒波にあってはおいそれと言葉と自分の距離を取れるものではありません。連句の座という特別な空間で、連衆の出す短冊、そこに書かれた様々な付句を見るときは「言葉」を客観視する余裕がでるのです。それは大げさに言えば、言語外コミュニケーションで生きているヘレンケラーが初めて言葉の存在に気づいた時のように、一瞬ひるむようなインパクトを感じつつ母語を見つめる感覚です。俗語を正すことにつながる感覚だと思います。

 ただ芭蕉が俗語という時、対立概念は雅語です。特別な調べのある貴族的な言葉です。堂上人と呼ばれる高貴な人々のする連歌は雅語を織りなして進みます、歌人の詩魂に育まれ、切磋琢磨のうちに、洗練され美しいものになっていく連歌の言葉、けれど、この過程の中で人の生きる現実感を失うことがあったのだと思います。その反動で冗談のように始まった俳諧の連歌は、ホンネの付け合いだったのでしょう。芭蕉にも到底上品とは言えない談林の連句に夢中になった若い時代がありました。語学好きの私から見れば、言語学的興味からの言葉遊びは蔑むものではありません、芭蕉も言葉大好き人間だったのです。
 俗語を生きた言葉として見直し、そこに詩を見つけることこそ醍醐味だということを思っていたと思います。俗語を詩にふさわしくないとはなから否定することはありませんでした。

 けれど彼の心には西行や李白、杜甫などにやしなわれた魂の詩が棲みついていて、ダジャレ的な要素の強い談林に留まることは不可能だったのだと思います。彼は人生の節目というか、彼だけがわかる『時』がくると、今までの考えを打ち破って前に進む人でした。

「乾坤の変は風雅の種也」

 天地万物をはっきり意識に載せ『造化に従い造化に帰れ』という芭蕉の言葉に、強い志が現れています。大自然のあらゆる機微を表現しようという志、それが人としてより良く生きることにつながるという確信、命をかける営為であるという確信。それが俳諧の連歌を文学にしたのだと思います。幻住庵の記を読んでください。

 浅学を顧みず芭蕉を語るのは心苦しいので、ここまでに。お伝えしたいことは連句は人間性に由来する文芸であり、一度しっかり出会うと一生のものになるということでした。

連句の形

 連歌の時代は百韻が普通だったようです。
 懐紙を4枚、裏表で8ページですが、1ページ目の半分にまず作品のタイトルを書くので、作品は半ページ、最後の8ページ目は最初の半分に作品最後部分が来ます。(残りの半ページには連衆の氏名を書く)。半ぺージには8句、全ページには14句ずつ書き連ねますと、8x2ページ+14x6ページ=100句となります。

 長く続いた百韻形式を短くし、懐紙2枚で完成する歌仙形式を確立したのが芭蕉です。
 歌人36歌仙にちなんだ命名です。表6句、裏12句、名残の表12組と名残の裏6句ですので、6x2+12x2=36句だからです。呼び方はオモテ、ウラ、名残のオモテ、名残のウラ、2枚の懐紙で4ページです。

 演出家の気持ちになれば、山場が必要なのは自明。歌仙には二花三月という山場があります。匂いの花と呼ばれる句が、とりわけ大事で、35句目に詠まれます。

 最後の句は連句興行打ち上げの句で、挙句と呼ばれます。ここは祝言として、将来に開かれた句を詠みます。連衆の中でもっとも人間味のある方に頼みたい句です。それまでいかに苦難や失意、悲しみがあったとしても、最後は、心の安らぐ静かな光がさす。それが連句です。セラピーという概念も言葉もなかったのですが、多くの日本人にとって、共同体に根付いた文芸として、作品制作であると同時に素晴らしいセラピーでもあったと思います。

序破急

 全体の流れは序破急の息遣いで進みます。
 表6句は交響曲の序にあたります。ゆったり穏やかに世界を開いてゆく部分ですので、意味が尖ることを嫌います。固有名詞は使わず、神祗、釈教、恋、無常はよみません。
 人生に例えれば、人生を長く歩んできて思い返す幼年時代の感じが出るといいのではと思います。「子供の頃は時がゆったり流れていた」とつくづく感じる方はきっと多いと信じます。自分にとらわれすぎない(小乗意識の克服!)工夫としてか、先人は、5句目を月の定座にしました。この月に折端の短句をつけて表が終わります。この表六句が実はとてもむずかしいのです。初学の時はダメ出しをされてばかりでした。歌仙を短縮した賜餐と言う形式を巻くと、表はたった3句なので、「穏やかによむ」という苦手意識を克服することができたことを思い出します。

 さて歌仙です。懐紙が裏になるとタブーは無くなり、自由に想像の翼を広げられます。
 人生に例えれば、怒涛の青春時代、精勤の壮年時代でしょうか?ただ作法として、裏の折立(最初の句)に恋を詠むのは遠慮することになっています。裏12句の流れはドラマチックで、私の先達はよく、『eikoさん、さあ暴れよう』と声をかけてくれたものです。

 連句は森羅万象を風雅の心で綴る旅であってみれば、四季を織り成すことは肝要です。表で、まだ出ていない季節の句を出そうと思いつつ進みましょう。裏の8句目は二花三月のうちの2回目の月の座ですが、芭蕉の連句では月の位置はよくこぼされたり引き上げられたりしています。(遅れたり早く出たりするという意味)これは連想の流れを定座遵守より大切にするようにというメッセージだと思います。月の句は定座と言ってもよく動きますが、裏の11句目(=初めから数えて17句め)と名残の裏5句め(=初めから数えて35句め)にある花の定座は滅多なことでは動きません。花に込められるのは桜を超えた華やかさ、幽玄の一つの表出としての花香、うきうきと優しい美、人の心に感銘を与えるものの象徴、面白く、珍しく、人を惹きつけるものなどなど、いわく言いがたい表象です。

 花を持たせるというフレーズは現代でも使われますが、連句の座で花の句を担当してもらうことからきています。

捌き手と『マトリックス』

 ここまでに、「たのみたい」『〜〜してもらう』と書きました。その主語は捌きと言われる存在です。(前述の説明:捌くは裁くとか採点するという意味ではありません。一つ一つ出される句の本性と香りを静謐な内奥で味わい、座の文芸である連句作品を作る上、全体の中にどう生かすかに工夫することを捌くという)座を運ぶ捌き手や付句を案ずる参加者の助けとなるツールに題材表があります。一巻の中に同想同類の句が繰り返されないように付句の『材料』をマトリックスのように示した表は便利です。恋とか、舟とか、霧とか、魚、とか人間の右脳の地図を見ているような表です。その助けを借りて、変化のある流れを作り出します。

 ただし、座を運ぶのにもっと大切なことは参加者が心を開き、普段意識しなかった自分自身と出会うこと、そして一緒に創作する一人一人の連衆と出会うことをさりげなく促すことです。そうして、豊かな時間、「座」を作り出すことができたとしたら捌き冥利につきるというものです。

連句の醍醐味は急にあり

 連句をオーケストラに例えれば一人一人の参加者は誰一人として同じでない個性という楽器を持っているのですから、音合わせ、調律、練習、リハーサルの段階が必要になるはずです。序でそれができることは稀で、破のやりとりで互いの響きが聞き取れるようになることが多い気がします。ですので、名残の表の半ば、初めから数えて、24句目頃から勢いがついてきます。24〜28句目頃から急に入る感じです。あまり考え込まず、詩のリズムにのって果敢に進みます。そして最後はまた少しゆったり挙句へと持っていきます。ここの運びが私は一番好きです。

 何年か経って、読み返した時、座の雰囲気が蘇り、来し方行く末を共にしみじみ思い起こすことができる文芸は他にありません。それでは実作を始めましょう!

〜〜〜

Appendix(付録)

 三年前にfacebook上で英国の人と自然発生的に巻いた歌仙的連句を思い出しました。そのオモテ六句を日本語にしてみます。乳歯が抜けた時、こどもたちが枕元に置いて眠ると、妖精が集めに来てくれ、お礼に硬貨やプレゼントを置いていってくれるというサンタさんくらい人気が高い言い伝えがあるそうです。

Kasen: A Pair of New Clams

Kamakura—
a toddler attracted to
a gap in the wall                eiko 塀穴に子供の思案切りもなし

two kisses and sixpence
from the tooth fairy              paul 歯の妖精からキスと6ペンス

hop, step, and jump
through the mottled dirt road
a summer hat                 e 夏帽は木漏れ日の中飛び跳ねて

cooled in the cathedral
she resumes shopping            p お堂で涼みまた買い物に

eyebrow moon hangs
on the indigo shadow
of a skyscraper                e  高層ビル藍の陰より眉の月

another busy day
at the waxing salon              p エステサロンの繁盛続く

<解説>
 幼児が主人公の句なので、穏やかに始まりました。季語がない発句はご法度ですが、英語なので勘弁してください。そのかわりに第三、4句めを夏とし、月の定座は守って、秋の三日月を詠みました。エステサロンの句は忙しい一日を終える情緒が出ているいい折端の句と思いました。エステと意訳したのでわからなくなってしまったのですが、Waxには月が満ちるという動詞の意味もあります。
次回に続きをご紹介します。
<つづく>

 



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