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参考図書室
eiko の連句教室<その4>
谷地元 瑛子

第四講:『むめがゝに』を読む

*アーサーの直感:「日本語は消滅に向かっている」 

 連句は鑑賞が難しく、作品の優劣がわからないという声をよく聞きました。これにしっかり答え、連句批評への道を開き、ついでに昨今の文学軽視に釘をさすというのが今回の挑戦です。
 ちなみに新聞記事、広告、政府や企業の広報、会議の記録、機械のマニュアル、契約書の文などを総称して実用文というそうですが、文科省国語科指導要領は、改定されようとしており、これからは実用文の学習にしっかり時間が割かれる見通しなのだそうです。どんな国語教科書が登場するのでしょうか、少し不安ですネ。
 不安を感じるのは私たち日本人だけではありません。日本に住んで27年の米国人アーサー・ビナードさんは次のように言っています(毎日新聞2017・11・29)
 『英語を学ぶのはいい。でも僕が見るに、日本語は英語より劣っているという印象を子供たちに無意識に植えつけている気がする。文科省の英語教育は中高を見ればわかる通り悲惨だから、二流の英語人が育っていく。日本語力が弱まり、きちっとした言葉を持たない民が溢れる。そんな愚民政策に対する議論がもっとあっていいのに、本当に少ない。このままでは『飛んで火にいる日本語だよ』
 文科省の皆様におかれましては実用文はそこそこに、むしろ眠っている宝に気づいて欲しい。高等学校国語指導要領の冒頭(下の太字部分)を読んで気づきます、連句の鑑賞と実作を授業に取り入れれば、実用文と言語芸術の両方どころか、創造する力、さらに文化の継承、他者との交流が具体化します、日本語の命の系譜が見える連句こそ、アーサーさんの真摯な杞憂に答える文芸です。:

quote現代社会においては,物事を的確に理解し判断する力,論理的に思考し表現する力,創造する力 などを身に付けるとともに,我々の先人が築き上げてきた伝統と文化を尊重し,豊かな感性や情緒 を備え,幅広い知識や教養をもつことが求められている。国語は,これらの様々な能力や心情などと大きくかかわるものであり,我が国の文化の基盤をなすものである。また,様々な学問や技術を 学ぶにもその基礎となるのは国語であり,文化の継承と創造,日本人としてのアイデンティティー の確立にとっても欠くことができない。 このような,自己の形成や相互の交流,社会的,文化的な活動の基盤となる国語についての能力や態度を育成する国語科の役割を踏まえ,「国語総合」は,教科の目標を全面的に受けた基本的な科目,すべての生徒に履修させる共通必履修科目として設定した。unquote

この文章中の「国語」を「連句」に差し替えて読むと意外にも連句の良い説明になって新鮮でした。

*良い作品は時空を超える

読むたびに新しい発見や感慨を得る本が良い作品であるように、時の試練に耐え、国境、言語を超えて読者を獲得する作品は間違いなく名作です。往々『詩は翻訳できない』という物言いがされますが、ホメーロスのオデッセイに明らかなように、そんなことはありません。

何年か前に俳諧の連歌(=連句)史上、頂点とされる芭蕉の歌仙を猿蓑などから選び翻訳してみました。そのうちいつくかの巻は英語誌に掲載され読者を得ました。

今回は日本語の脈動を追って、『むめがゝに』歌仙を翻訳体験を交えて紹介します。この歌仙の発句 {梅が香にのっと日の出る山路かな}は高校の教科書にあり、『のっと』の語感を話し合った教室の空気を今も覚えています。印象抜群だったのでしょうね。おおらかでしかもさらりとした軽みの句! 俳諧七部集6番目、芭蕉存命中では最後の選集である『炭俵』に入っています。

『翻訳?え、国語の話じゃなかったの?英語科?』と言われそうですね。説明します。言葉の前段階というか、発語へのきっかけ、(安東次男の言葉なら、興の起きる時)発話者の心の動きが辿れるのが連句芸術の稀有な魅力です。 発語の熱はすっかり冷め、論理に固まった文章の翻訳だと外国語学習の話になってしまいますが、連句の翻訳は言語前の動きをたどるので、いわゆる外国語学習というより、「言葉とは何か」という言語学的アプローチとなることが多いのです。実は私もおおもとから言葉を捉えることをしないこの国の英語教育をアーサーさんと同じ気持ちで、いつも憂いています。

□まず表六句です:

むめがゝにのっと日の出る山路かな   松尾芭蕉

  処どころに雉の啼きたつ      志太野坡 

家普請を春のてすきにとり付いて      野坡

  上のたよりにあがる米の値       芭蕉

宵の内ぱらぱらとせし月の雲        芭蕉

  藪越話す秋のさびしき         野坡  

***

 この両吟(ふたりで巻く連句のこと)を鑑賞した人の中に物理学者にして俳人さらにバイオリン弾きでもあった寺田寅彦がいて、芭蕉をバイオリン、野坡をチェロと見立てました。 

バイオリンの音色:美しいばかりでなくときには深い感情を込めているかのように聞こえる。他の楽器では模倣できないような人間への親近性と同時に、 人間が模倣できない特性があり、長い間多くの人々に親しまれてきた。(cf:室蘭認知科学学会資料より)

チェロの音色:ヴァイオリンの音色が滝のように上から下へ流れるイメージなら、こちらは逆行下から上に昇るイメージ。 音色は男の人の声に近く温かい。チェロはその大きなボディから溢れ出す奥深い艶やかな音色と力強い音量で聴衆を魅了。バイオリンのキラキラとした輝かしい音色に比べ、グッと下腹に響く滑らかな重低音は曲中でコクとまろやかさを演出する大切な役割を担う(インターネットより)

一筋風雅の道につながる一生を貫いた芭蕉は晩年「軽み」の境地に達したそうです。その時、両吟の相手に選んだのが江戸日本橋越後屋の手代だった志太野坡(しだやば)でした。詩人としての芭蕉と、実社会に身を置きつつ真剣に芭蕉から学ぼうとする野坡のふたりをこの二つの楽器になぞらえた気持ちはわかる気がします。

この六句にオノマトペ(擬音)が多いことが翻訳を楽しくしてくれました。のっとは”Hup”と英語もオノマトペを使い, 「のっと」と響き合う「雉の啼きたつ」は”a rising pheasant’s cry”と体言に。ぱらぱらは ”raindrops scattered” です。お米粒のぱらぱらと雨のぱらぱらの両方にscatteredでセーフ。それより何より英語詩にするために韻律にこだわった結果です。英国人の(故)John Carleyとの共訳を選んだのはそのためでした。

第三の英語句をみてください:

in springtime’s lull
getting to grips with
our building work

春の手すきにlull(小止み、凪という意味あり)という情緒ある言葉を使い、原句以上に春の気分が出ました。自然の情景から人間界に移りながらも、盛んに啼く雉の勢いと普請始めの意気込みが連句らしい生き生きとした行間を作ります。言葉がつながりの中で生まれ生きるということを学べると思います。

さあこの野坡チェロの付句の後、四句目は芭蕉、英語の方がわかりやすいです:

word from Osaka says
rice prices climb

家普請の施主を農家と見たのでしょう、お米が高く売れて余裕があるらしい。相手の状況を推し量りつつ物事を良い方向に進めるのは忖度という日本文化の随ともいうべき心情なのです。日本の文芸、連句は、連衆の出した前句の情景を受け止め、言外の意味を様々に忖度します。
(去年今年2017−2018と、相手というより結局自己保身が潜んでいる歪んだ意味でこの言葉が広がってしまいました、ここにも日本語の危機あり)

5句目で芭蕉のバイオリンが響きます。月の定座。言葉の肝心要に発語の視点とアングルがあります。日本語は視点の変化が無意識でなされる言語でディベートには向きませんが、連句には適しています。農家の視点から消費者の視点へ、余裕転じて幕府の経済政策の不備を思うのか「なんとなくの不安」を自らの句から掬い取る。そして付ける。芭蕉はこの不安を美しい月を隠してしまう雨雲にさらりと託しました。宵の内という時間表現は2007年秋までは天気予報で使われていたのですが、個人ごとで受け取りが違い、時間のずれが大きくなったことから使わなくなったとのことです。共同体の中で生まれる言葉は共同体が崩れると、「記号」「数値」を使うしかない一例でしょうか。天気予報用語からなくなってやがて人の口にも上らなくなるのか… 英語ではthe cusp of nightが昼から夜に変わる境目を指すやや詩的な表現です。昔これに近いtwilight zoneという題の味わい深いドラマがありました。『宵の口には雨粒が落ちていた、今は止んだが夜が更けるほどに秋の冷気が忍び寄る、嗚呼、されど美しい月に雲がかかって….』 バイオリン的感情表現と言えそうです。

折端六句めはチェロ。きっと雲が取れ月の光が夜景をサアッと変貌させたのでしょう。こんな夜更けにお隣もお月見に出てきたようす、藪はどれくらいの高さなのか、「さびしき」というなら藪はかなり鬱蒼として丈も高そうです。それとも秋という季節がそう感じさせるのでしょうか。英語ではそう訳しました。通低音のように全体の雰囲気をまとめる良い折り端です。
     a chat over the hedge:
     autumn’s solitude
□ さあ、懐紙を返し、裏へ。裏の十二句を挙げます:
御頭へ菊もらわるゝめいわくさ      野坡
   娘を堅う人にあはせぬ        芭蕉
奈良がよひ同じつらなる細基手      野坡
   今年は雨の降らぬ六月        芭蕉
預けたるみそとりにやる向河岸      野坡
   ひたといひ出すお袋のこと      芭蕉
終宵尼の持病を押へける         野坡
   こんにゃくばかり残る名月      芭蕉
はつ雁に乗懸下地敷て見る        野坡
   露を相手に居合ひひとぬき      芭蕉
町衆のつらりと酔て花の陰        野坡
   門で押さるゝ壬生の念仏        芭蕉

***
 序破急の序に当たる表6句は音合わせをするかのように、一人が2句づつ出していました。ここからは「破」、丁々発止1句ごとに詠み手と聞き手が交代します。この作品の翻訳をして数年以上経ちますが、ここにある付句群を覚えているのです。特に、奈良がよい、今年は雨の降らぬ、こんにゃくばかり残る、門で押されるなどの付句は、多くの日本人の心象風景と重なり、記憶に収まってきたと思います。
 芭蕉が最後に目指した『軽み』の俳諧、それは今までの彼の俳諧とどう違うのでしょうか? モーツアルトを思わせる若者、榎本其角は芭蕉の最初の弟子でした。梅が香歌仙より10年以上前の其角との両吟:『詩あきんど』(虚栗集中の歌仙)や、俳諧の古今集と称賛される猿蓑集の連句興行では、漢詩や西行に影響され高雅な詩情を打ち出そうという身構えが見られました。ここでは、それがありません。描かれるのは「なつかしい塵俗の姿であり、その哀感の情が細やかな陰影を帯びて彫りつけられている。その平淡な付け味には、しかし、俗情を洗い上げたような透明な美しさがある。このような俳風が芭蕉晩年の新風としての『軽み』というものであろう」と栗山理一先生は書いておられます。(俳諧史1963)
 実際英語に直すやり取りをジョンとしていて、一句一句の透明感を痛感しました。この両吟、庶民の暮らしのすくい取り方に誠実な実感が伴っているのです。連句はテーマも筋書きもない文芸ですが、連衆の間には理屈ではない座の感情が知らぬ間に醸成され、何を詩と感ずるかが共有されていきます。言い換えれば、そのような詩空間を作り出せるのが文学、特に詩だと思います。実用文をはるかに超えて輝きを放ち、人の心に届く特別な力がある証左なのです。

 野坡チェロは藪越しのおしゃべりの話題が丹精した菊を上司にあげることになったという愚痴(迷惑という表現は実に日本語的!)、これに続くバイオリンの高い音色は菊を年頃の娘に読み替え、その父親のことを『毎年、筆や団扇、手ぬぐいなど奈良の産品を仕入れに行く零細商人(short on capital)ですよ』とチェロの音色で応じます。そして次の句が有名な『今年は雨のふらぬ六月』。脈絡なしの何ということのないこういう付句は遣句といい、連句で大きな働きをします。上手にタイミングを外すことで、つい一面的一方的になりがちな流れを防ぐのです。こういう呼吸法を覚えることで日本人は自己を陶冶し、大人になってきたのかもしれません。人が共生してゆく、つまり、一緒に生きて行く時の知恵がそこここにあるのが連句です。

 連句一巻には必ず四季が読み込まれます。日照りの夏となれば、備蓄した食材に頼ることになり、味噌調達から法事の人寄せを連想か、「ひたと言いだす」男が亡き母を語り始めてと、芭蕉は付句しました。ここから月までの英語がとても気に入っております。「お袋」は己が心の奥に大事にしまっている存在という感じの英語句となり、――生きているうちにできなかったなあ、親孝行――からの連想で、眼前の尼様に指圧、今度はこれを寺での夜更けに及ぶ月見の宴と見立てたのです。夜は更け、卓に残っているのはもうこんにゃくの煮物だけと続きます:

   he starts going on
   about his dearest mum

   all night long
   applying pressure to
   a nun’s chronic aches

   the konjac alone remains,
   distinguished moon

 芭蕉は若い頃料理人だったせいか、宴げにおける時間の経過に敏感で現代にも通じる付句をたくさん残しています。こうした人の世の、人らしいやり取りや感慨が私たちの人生を生きるに値する時間にしていくのだということを連句は教えてくれます。すべて言い切ったり、言い尽くしたりせず、余情を残す方がどんなに相手に
響くかということなども!

 distinguished moonと訳した名月は秋、秋の景物はたくさんあります。空行く雁(馬の背にかける下地を地面に敷くの英語は、I spread the saddle blanket)ハラリと落ちる露、それらを見事につないだあと、間髪を入れず、春の花の座に季移りさせている流れが見事です。前句で払った露ひと粒を居合の大道芸人が銀貨一粒を払ったように見立て、野坡は大道芸に興ずる町人たちの花見シーンにしました。人間の言語には湧き上がる想像力によるこのような自由があるのだということを国語・英語を勉強する基礎にしたいものです。

 折端は芭蕉、雑踏を念仏衆の雑踏に変えることで釈教句にし、賑やかな京都壬生寺、旧暦三月花の頃の有名な行事を描きました。

□ここから懐紙は2枚目の表に入ります。オッと二枚目などと呼ばず名残の表という美しい呼び方をします。

東風々に糞のいきれを吹まはし 芭蕉

  ただ居るまゝに腕わづらふ 野坡

江戸の左右むかひの亭主登られて 芭蕉

   こちにも入れどから臼をかす 野坡

方々に十夜の内のかねの音 芭蕉

   桐の木高く月さゆる也      野坡

門しめて黙って寝たる面白さ       芭蕉

   ひらふた金で表がへする 野坡

はつ午に女房のおやこ振舞いて 芭蕉

   又このはるも済まぬ牢人     野坡

法印の湯治を送る花ざかり 芭蕉

   なは手を下りて青麦の出来 野坡

***
 軽みの教えとともに忘れてならないのは『高く心を悟りて俗に帰るべし』という芭蕉の言葉です。軽みイコール「身辺雑事の卑猥な発想」「ただごと列挙」と誤解するべからず。

 名残の表の折立ては肥の匂いという連歌にはまず出ない句です。和歌や連歌が身分を同じくする集団意識とそこに共通の美意識を土台に置いているのに比べ、俳諧は太陽のもと存在するこの世のあらゆる事象を個々人が俗語、平談で詠み継ぐものです。そして個人と個人の感慨が句のつながりになってゆく行間に実社会が立ち現れるのがおもしろいのです。実際、柳田国男は民俗学的興味で連句を読んでいます。一方、文学史上、芭蕉の偉いところは俳諧という一見、日本の詩歌の中で、庶民の遊びと見られそうなジャンルを、芸術の高みにあげたこと。『軽み』の美学は後世誤解されることも多いものの、芭蕉の日本語への素敵な贈り物ですね。

 序破急の破2に当たるこの面には様々な境遇の人が登場します。長年の労働で今は何もせずとも腕に痛みを持つ人や春になってもやっぱり仕官先のない浪人など。芭蕉は出家も仕官もせず人の世に生きた、世の実情を知らないでは俳諧はできないと常々口に出していたそうです。花のお江戸の流行や華やかな景気に触れる人をうらやましく思う庶民の気持ちをー近所のご主人が江戸に旅行してきたそうなーと詠んで代弁したり、碾き臼を隣に使わせてあげる人情の句もあります。それはきっとお十夜のご馳走作りのためだったとさりげなく月の句で解説する芭蕉。町内の甍の波の上に、さらに人々の暮らしの中に、十月お十夜のお寺の鐘が毎晩響きわたるという芭蕉の句を読んで、読者の耳に響く音はまさに透明です。

これを前句にした野坡チェロの『桐の木高く月さゆる也』も名吟ですネ。名吟をうむのはバレーボールで言えば、アタッカーのために上手にあげられたトスです。

   all through the ten nights
   of October prayer
   the great bell’s toll

   a princess tree stands proud
   so clear the moon

 月の後に芭蕉が俳諧らしいひねりで、早寝する人の幸せ感を付けるところは、文化を超え微笑みをもたらします。 寝るのは畳の上、拾ったお金という臨時収入で表替えをしたとチェロが鳴れば、新しさからの連想で運気の高まるとされる初午の微妙な家族サービスの句を芭蕉は付けています。斜めの人間関係をすくい上げているのですが、もてなした親戚の男は浪人だったのでしょうね。

 この辺りから、歌仙は最終章の急のリズムを意識します。この巻では普通はまだまだ出さない匂いの花が出ます。お稲荷さんのお祭りである初午が旧暦春の行事なので、その流れでここに花がきたのでしょう。湯治の旅に出る高位のお坊さんたちの頭に花びらが降りかかります。綺麗な絵ですね。

 当時ですから旅は基本歩く!蛇行する道には斜面をまっすぐおりられる細い近道があります、――麦が見える、近くに行こう、穂は出ているかどうかーー心弾ませて降りていきます。誰もが農業に近い生活をしていた時代の空気が伝わります。桜色から青い麦へ。自然描写こそ俳諧の要諦と思わせてもくれる野坡の佳句です。確かに上から降り注ぐというより下から湧き上がるチェロの音色かもしれません。

   seeing the clergy
   off to their spa
   blossom at its peak

   down to the footpath
   for a green ear of barley

 
□いよいよ名残の裏、最後の六句です:

どの家も東の方に窓をあけ 野坡

  魚に喰あくはまの雑水 芭蕉

千鳥啼一夜一夜に寒うなり 野坡

  未進の高のはてぬ算用 芭蕉

隣へも知らせず嫁をつれて来て 野坡

  屏風の陰に見ゆるくはし盆 芭蕉

***

 最後の折は一見、どこにも奇をてらったところなく、栗山先生の言う通り、庶民の暮らしの哀感の情が飄々と綴られていると見えるかもしれません。けれど、連句を作ってきた私はこれは相当なロックいえ、六句とみました。実はたくさん工夫が凝らされているとおもうのです。

 ここまでの流れで、この作品には海がない、恋らしい恋がない、初午は大抵節分の後になるそうですから、冬らしい冬もありません。これでは大向うから半端な作品と言われ兼ねません。

 この心配にさりげなく答えているのが最後の六句です。

 青麦の後に窓を開けるはいいですね。芭蕉はすかさずまだ出ていない海を出す、英語では浜の雑水がhigh tide bouillabaisseブイヤベースになりました。野坡は冬の浜の千鳥を付け寒の気が連句に入りました。そしていよいよ最後の三句となります。恋句名手の芭蕉の連句脳はフル回転したことでしょう。年内に納めなければならない年具の計算を何度もし直している人を芭蕉はまず登場させます。この句が婚礼もあげられずにお嫁さんを迎えたというチェロの音を引き出し、それに付けた挙句でしっかり恋を出しました。物の本によるとこれは初夜の景だそうです。

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the end of 第4講


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