わくわく題詠鳩の会


鳩ノ会会報94(令和元年11月末締切分)
兼題 紅葉・野分
【Advice】紅葉なら「静かなり紅葉の中の松の色」(越人・庭竈集)、「山くれて紅葉の朱をうばひけり」(蕪村・蕪村遺稿)が絶品。野分なら「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな」(蕪村・蕪村句集)、「寝莚や野分に吹かす足のうら」(一茶・成美評句稿)が最高。こうした句の季題とそれ以外の部分との融和性に学んで、こういう先人の句を超える意気込みで句作を楽しみましょう。
◎一句浮かべ一句消しゆく紅葉かな        ひぐらし
→上五・中七が紅葉の変容と映発して安定した味わい。
◎山門を額縁として冬紅葉       ひろし
→絵の如き冬紅葉が描かれたが、山門を額縁とする見立ては鮮度がない。
◎退院のタクシーを待つ櫨紅葉    悠児
→実景と思われるので櫨紅葉でよいが、薄紅葉や柿紅葉でなく櫨なのだという味わいの追究も忘れたくない。配合の句は二者の取りはやし(とりなし・共振・融和)を大切にということ。
〇高飛びのマットは積みし枯紅葉       和子
→怪我の心配がないほどの落葉をマットにしているのだろうね。ちょっと大袈裟でリアリティーに欠けるかな。また、紅葉は木の枝に残っている状態だから、積んだり、敷いたりするのは落葉ということになる。季語はむずかしいね。
〇築地越え白砂に影を夕紅葉    憲
→景色は美しいね。でも切りとっただけで余韻に乏しい。
〇探鳥に踏み入る谷や櫨紅葉       由美
→探鳥はバード・ウオッチングかな。最初に櫨紅葉が目に飛び込んできたというのでしょう。こういう配合の句は二者の取りはやし(とりなし・共振・融和)が大切。さらなる研鑽を。
〇風よ空よ送電線まで蔦紅葉       瑛子
→「風よ空よ」の終助詞「よ」は呼び掛けだろうが、詠嘆にもとれる。いずれにしても作者の驚きを示す珍しい表現。「送電線まで」は紅葉が風で舞い上がっているのでなく、「送電線の高きまで蔦が這い上っている」とみます。
〇降り始め紅葉蓆のカサカサと       智子
→降るのは雨か。紅葉蓆の音でまずそれに気付くということか。「降り始め」と「カサカサ」の世界が重複して、句に勢いが不足している。
〇名園の紅葉明かりの小雨かな    海星
→非の打ちどころなき表現。それゆえに物足りなさもある。
△ちはやぶる神も招かむ紅葉かな    真美
→なぜ神を招くのか解せず。なお、助動詞「む」(意志)の表記は「ん」が一般的。
△子持鮎冷えても美味し紅葉宿    千年
→「子持鮎」は落ち鮎(秋)、「冷え」も秋で、季語が三つ。そのためか、焦点が落ち鮎と紅葉に分離してしまった。
△恋文の挿絵は紅葉シャレタカフェ       窓花
→「恋文の挿絵は紅葉」は意味ありげだが解せず。絵の紅葉では季感がなく、季題とは言えないという指摘があるので要警戒。「シャレタカフェ」も恋文との関わりが曖昧。
◎空はれて青の淋しき野分あと       貴美
→秋天の青は称えられることが多いが、台風一過の青さは「淋しき」ものだと感じている。そのガランとした感じは分かる気がする。「淋しや」と詠嘆にすればやや上等になる。なお、「野分あと」の「あと」は「後」か「跡」か迷うので、はっきりさせたい。
〇草千里百間幅の野分かな        鹿鳴
→阿蘇の広大なる絶景でしょう。「千」と「百」を並べる点に腕前がみえるが、具象性においては大味な印象。
〇野分立つ思ふ心も揺るがして   しのぶこ
→この場合「思ふ」の目的語が隠れているので、情感が曖昧に終わっている。


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