わくわく題詠鳩の会


鳩の会会報101(令和3年1月末締切分)
兼題 時雨・枯草
【Advice】まだ吟行句会をするわけにはゆかない以上、鳩の会の意義もグンと高まっているのでしょうか。今回は全十句にAが付きました。「俳句のある暮らしはゆたかで幸せである」と実感するためには、自分の句の評価に一喜一憂するのでなく、A評価のついた他者の句を脳裏に思い描くことだと思います。面識のない新しい方の参加もあって、ありがたく思っています。
句の評価にABC三つの符合を用いています。その意味するところは以下の通りです。
A:省略が利いて、抒情あきらかな句
B:季感が備わるスケッチ
C:焦点定まらぬつぶやき
A  解体の木材匂ふ時雨かな     真美
・「解体」と「時雨」がよく似合う。
A  変針の岬を隠す時雨かな      鹿鳴
・これは美しい。美はこのようにシンプルなものだという思いを強くする。「変針」は〈針路、方向を変えることで〉やや専門的なことばだが、それゆえに新鮮。職業柄、船を、海を知っている作者の独擅場か。
A  小夜時雨干支の赤ベコ手土産に     和子
・「赤べこ」は疫病などの守り神で会津の郷土玩具。丑年である折から、それを土産に買ってある家を訪問。そんなふうに読んでみた。時雨の夜のことと定めたのもよくわかる。孫の出産などを情況に添えればまことに優しい句である。
A  時雨るるや父の介護も三年目     蛙星
・「父の介護も三年目」は立派な写実。「時雨」も一定の効果が出ているが、「介護」と結びつけると悲観的に映る点が今後の課題。
A  炊き出しの裸電球横時雨        ひぐらし
・「炊き出しの裸電球」といえばすぐ戦後を思い起こすが、感染症流行下の今も同じ景色をみる。吹きつけるような「横時雨」も似合いすぎるほど。丸谷才一の『横しぐれ』もうまいタイトルだと思ったが、この句もうまい。
A  小夜時雨コトコトコトと二人鍋     つゆ草
・これは全体がまとまって微笑ましい。身体が温められそうです。
A  しぐるるや辻に供花ある地蔵尊     海星
・地蔵は釈尊なき後の衆生の救済にあたる菩薩。「供花」で無常の世の救いがじんわりと伝わる。
B  肴とて卵焼きをり時雨聞く     香粒
・「肴とて卵焼きをり」は立派な写実。この充足感は無常感漂う「時雨」には似合わない気がする。
B  しぐれ道わらべ地蔵のにつこりと     美雪
・時雨は無常を本意とするから、「につこりと」では全体のまとまりが弱い。例えば「しぐれ道わらべ地蔵は蓑を着て」などとするとまとまる。このあたり研鑽の余地あり。
B  帰り道時雨北風猫背なる       ミチヨ
・どこかからの帰途、時雨と北風とで寒くなって、猫のように脊中を丸めて帰ることよ。そういう意味はよく伝わる。欠点は「時雨」「北風」で季重ねであること。時雨は風を伴っているものであることをおぼえれば、北風は捨てられますね。
B  物売りの声の離れ行く時雨かな     しのぶこ
・こういうこともあるだろうな、というほどの句。無常感や風狂感という無常のイメージを生かし切れていない。
B  時雨降る予科練像の湖畔かな     京子
・句は出来上がっている。ただし、「時雨」と「予科練」生のイメージが重なり過ぎて、平凡な景色に終わってしまった。
B  老尼説く大原御幸よしぐれ雲      憲
・大原御幸は出家隠棲の建礼門院を、仏道に造詣深い後白河が訪ねる『平家物語』等の名場面。よって「しぐれ雲」はよく似合うが、「老尼」があいまい。「聞く」とすれば、この重苦しさは解決する
B  どこからとなく灯りだすしぐれかな     ひろし
・時雨は風を伴うにわか雨、通り雨。よって世間を暗くするが、それはいっときというのが正しい知識。うまい句だが、次々の明かりがつくイメージはややちがう気がする。
B  村時雨耐へて生きたる母のすべ      梨花
・深刻と切実はこの作者の長所だが、ときに深刻なだけで終わる。この句はその例か。十七拍しかないので、何を扱っても「軽妙な精神」に助けを求めたい。
B  まちあはす釧路埠頭の時雨そむ      瑛子
・世の中にはいろいろな待ち合わせがある。ボクの誤読かもしれないが、ワクワクするものでありたい待ち合わせも、「釧路埠頭」と「時雨」とくれば、どことなく悲劇めく。こんなふうに解釈が揺らいでしまう点が表現として不十分か。
C  時雨るるや転居す部屋のがらんどう     ふうせん
・時雨と引っ越しのイメージは寂寥感でつながる気がしておもしろい。でも、転居するのは作者か、それとも他者かがあいまい。語法も「転居する部屋」と連体形が望ましい。
C  川の音やまぬ山峡時雨くる      由美
・「川の音」と「時雨」がつながらない。
C  時雨るるや朝げの湯気のゆるき日に     美知子
・「朝げの湯気のゆるき日に」の景情があいまい。
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A  枯草へよけてマスクのすれちがひ     紅舟
・「枯草へよけて」がうまい。「マスク」も季題だが、季重ねが気にならないのは写実がしっかりしているからだろう。
A  枯草に動くものあり緑あり      喜美子
・「緑」は初夏の詞だが、季重ねが気にならない。それは「枯草」を詠むわけじゃなく、初夏の若葉を詠むわけでもなく、表現の外に「春近し」という主題を隠して、全体をまとめているからである。
A  草枯れて一両電車客ひとり      由紀雄
・無人駅などもそうだが、地方に旅すると、ときどきこうした電車を目にする。「草枯れて」がまことによく似合っていて、蕪村の「草枯れて狐の飛脚通りけり」を思い出して楽しくなった。
B  草枯れや日差しの中の一周忌       貴美
・「枯草によく日の当たる」とすれば焦点も語法も定まり、救いもあると思うのだが、賛成してもらえるだろうか。
B  小刻みに震へて草の枯れにけり       千年
・句は成立したが、「小刻みに震へて」はウガチ(微妙な描写)のようで、実はありふれているという印象。
B  枯草を踏めば大地が憂さ話      ちちろ
・「憂さ話」は重い。枯草を踏むことに、もっと人生の明るさを見つけたい。
B  草枯るる長き坂道戻りけり      エール
・句は整ったが、感想は〈そうですか〉で終わってしまう。「長き」「坂道」「戻り」のどれかを捨てて、新鮮とか感動とかに再挑戦ですね。
B  校舎裏枯草刈りし下級生      窓花
・これも句は整っているが報告でしかなく、〈そうですか〉で終わってしまう。
B  夕影に映えし枯草手をつなぐ       千寿
・夕日で美しい道を夫婦とか恋人かが手を繋いでゆく景色か。とすれば末尾を「つなぎ」連用中止にする方が余韻は強まる。
C  地縛りの我慢のありて草枯るる       静枝
・「地縛り」と「草枯る」の二極に分離して失敗。「地縛り」はキク科で蒲公英に似た野草。花は春から初夏でしょうか。でも季題(詩歌の題目)として成立していない(まだ名句がない)と思うので、詠むなら写実に徹して姿情に挑戦してください。
C  草枯れし萌ゆる緑のしとねかな        笙
・「草枯れししとね」「萌ゆる緑のしとね」の二つが分離して、まとまりのある情が伝わらない。


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