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参考資料室

『季語の研究』―「雨」によって日本人の四季観をみる―   中 里 郁 恵

第二節 季語の比較

 それでは、『図説 大歳時記』(春・夏・秋・冬)を参考に、四季ごとにそれぞれの季語をみていきたい。
  まずは、春の季語をみていこう。
  春の季語で「雨」のつく季語は、調べた限り大きくわけて九種類あった。まずは「春の雨」である。この季語は「春雨・暖雨」などとも詠まれることがある。この「春の雨」は春に降る雨全体を指しているものであるから、特にどんな「雨」であるかということはないということである。次に、「春雨」である。この季語は「春の雨」とは違って、晩春の雨であるとされている。ことばが少し違うだけで、雨の表情が変わって見えてくるように感じた。
そして、「春時雨」という季語がある。「時雨」といえば冬に降る雨のことであるが、春と秋にも降るという。しかし、それぞれの季節で雰囲気は違っている。春の時雨は「明るさ」と、「つややかさ」があるのである。次の「春の長雨」は「春霖」ともいい、「春の雨期」にあたるものである。このころは、梅雨の時期と似たものになるが、気温が低いため、雪に変わることもあるという。また、「菜種梅雨」も現在では「春の長雨」と同じように扱われている。しかし、もともとは三月、四月ころの「風を呼んで」いたことばだったようである。
他には、「梅若の涙雨」という季語がある。これは、「梅若忌日に雨が降りやすい」ことから、「天が梅若をあわれんだ涙雨」である、という発想である。この季語から、私は日本人の風情と情緒を感じた。また、「四月五日ころの雨」を「杏花雨」という。これは「雨」と呼んでいるが雨が降るとは限らず、その日には雪も降ることがあることから、雪の意味も含まれている。そして、サクラのころになると、「花の雨」という季語が使われる。雨によって散っていくサクラの、寂しさが伝わってくるような、日本人らしい「季語」であると感じた。最後に「春驟雨」である。驟雨は夕立のようなものであるが、春は春で夕立とはまた違ったイメージが、人々の心に映ったのではないだろうか。
  では次に、夏の季語をみていこう。夏は季節柄、雨が多いため数多くの季語が見つかった。その数は大きく見て、春の倍の十八種類である。
  まずは、「春の雨」と同じように「夏の雨」という季語がある。しかしここでは、春とは違い、「特色のある雨」は指さないとされていた。
では、「特色のある雨」をみていこう。夏の雨で、強い印象がある季語といえば、やはり「梅雨」が浮かぶだろう。梅雨のころの雨ではまず、「迎へ梅雨」がはじめに出てきた。「迎へ梅雨」は梅雨に入る前に降る雨を呼び、梅雨のはじまりをあらわしているのである。梅雨と、梅雨の前の雨の違いを区別して見られる日本人の観察力と、感性がうかがえる。そして、「梅雨」である。「梅雨」は「つゆ」とも詠めば「ばいう」とも詠まれる。また、「梅の雨」と詠んでいる人もいる。「梅雨」という季語は、さまざまな表現で詠まれていることがわかった。そして、梅雨の時期の空は「梅雨空」と詠まれ、雲に覆われている様子は「梅雨曇」、この時期の雷を「梅雨雷」と呼んでいる。さらに、梅雨のころの暗い昼間を「梅雨闇」と表現している。また、梅雨の時期になっても雨があまり降らないことを、「空梅雨」という。そして、「送り梅雨」である。梅雨の明けるころの雨で、これが過ぎると「梅雨晴」と呼ばれ、梅雨が明けて晴天が続きはじめる。夏の「雨」のほとんどは、梅雨に関係してくる「季語」が目立つことがわかった。そして、梅雨をまずは迎えて、そして本格的な梅雨に入り、送るという段階を「雨」の変化によって、表現しているところに季語のおもしろさを感じた。
さて、「五月雨」は「梅雨と同じ」ような意味であるが、これは「雨」自体を指していう「季語」であるということを知った。そして調べていくと、「梅雨」よりも「五月雨」の方が古くから、多くの人が好んで詠んでいるようである。梅雨は私たちにわりと身近なもののように感じていたので、「梅雨」の句は多いのではないか、と考えていた。ところが、「梅雨」は近代には多く見られたが、古典では「五月雨」を使っている人のほうが多かった。そして実際は、「五月雨」のほうが「季語」としては多く用いられていることに驚き、また納得した。
「虎が雨」は、「梅若の涙雨」のように、もとになった話が存在するのである。この二つの様に、「季語」には季節だけではなく、文学的要素も含まれていることに気が付いた。
さらには、中国のことばをもとにした「濯枝雨」や、「分龍雨」という季語がある。古くからの、日本と中国との交流があらわれているように感じる。
  また、「樹雨」は「天から降ってくる雨」ではないが、木の葉にたまった水滴が雨のように降ってくる様子をあらわしている季語である。この「季語」二文字でその様子を、表現していることに「季語」の素晴らしさを感じた。
  そして、夏に多く見られる夕立をあらわす「白雨」という季語がある。これで「はくう」とも、「しらさめ」とも詠まれる。また、雹のことを「氷雨」ともいう。「雹」という季語を用いずに、「氷雨」と表現していることが日本人の風情ある表現に思えた。
「喜雨」は、日照り続きで、作物が心配なときに降ってくる喜びの雨である。俳句らしい、庶民のことをあらわした季語に感じる。
では次の季節、秋の季語をみていきたい。秋の「雨」の季語は大きく見て、五種類見つかった。
まずは、春、夏と同様に、秋にも「秋の雨」という季語がある。しかし、「秋の雨」は秋の雨季をあらわしているため、「春の雨」よりは、「春雨」の意味に近いように感じる。そして、「秋の雨」は「秋霖・秋黴雨・秋雨・秋ついり・後の村雨・豆花雨」とも詠まれることがある。さらに、春にもあった「時雨」は、秋も「秋時雨」という季語で出てくる。秋は秋の時雨があり、季節の違いを感じる日本人ならではの感性に、気づかされた。
次に、「洗車雨」という季語がある。この季語は「洒涙雨」とともに紹介され、どちらも七夕に関係してくる季語である。こちらも「梅若の涙雨」と、「虎が雨」の前述と同様に、文学的要素が含まれており、さらに、中国文化との交流も入っているのである。
  「霧雨」は「霧」と同じところで紹介されていた。最後に「露時雨」がある。この季語も、「樹雨」と同じように、雨が降ったというわけではない。しかし、そのように見えることから「露時雨」という季語ができたのである。このようなことから、見立てをする日本人の文化を感じた。
  では最後に、冬の季語をみていこう。冬は、大きくみて七種類の季語を調べた。
  まずは、冬の「雨」で最初に浮かんでくる季語である「時雨」をみていきたい。「時雨」にはまず、「初時雨」という季語がある。これは、梅雨のときのように降り方の違いではなく、その年の「冬はじめて降る時雨のこと」を、指していうことばである。そして「時雨」の時期に入っていく。「初時雨」と「時雨」は、古典から近代までたくさんの人が詠んでいる。「時雨」という季語は、昔から風情ある季語としてたくさんの人たちに詠まれてきたのだと感じた。さらに、「液雨」という季語がある。これは「時雨のこと」で、この季語にも中国文化があらわれていることを知った。また、「時雨が雪となり、あるいは雪混じりで降ってくる状態」を、「雪時雨」という。「時雨」という雨は、人々に多く親しまれているのではなかと感じた。
  さて、春、夏、秋でもみられた季節の雨、「冬の雨」がある。しかし、冬の雨はどの地方でも珍しいようである。特に、雪の降る地域は「冬に雨は珍しく、ほとんどが雪」になってしまうようである。また、「寒の雨」という季語がある。これは冬の雨の中で「特に時期を寒に限定」した季語である。
  それから、「雨氷」がある。この現象は「山国に多く見られ」るものらしく、現在では一般的にはあまり解釈しにくいと感じた。しかし、そういった現象があり、どういうものかを理解することができたことで、「季語」への関心がさらに湧いてきた。
  季節ごとに「季語」をみていったが、日本の季節の変化が「雨」という季語を調べるだけで、こんなにも感じられるということがわかり、「季語」の奥深さを知った。

 

第三節 季語のまとめ

「雨」の付く「季語」が多く使われている季節は、やはり日本の気候から考えて夏であることがわかった。さらに、「雨」にはたくさんの表現の仕方が見られ、一つの言葉でもたくさんの表現ができるほど、日本人の四季に対する表現の豊かさを改めて気づかされた。
  特に夏の季語である「梅雨」が関わってくる言葉が多く、夏の「雨」の表現の多さに改めて気づかされた。
「時雨」は冬に限らず春・秋にも見られ季節によって、それぞれの違った時雨が見られることがわかった。また、冬の季語で「雨」が使われている季語は少ないが、「時雨」を使って詠んでいる句が多く見られることがわかった。
  夏の時期に多く見られる「雨」は、先ほど述べたように「梅雨」の表現が多く見られる。しかし、「梅雨」という季語を使った句よりも、「五月雨」を使った句の方が多く見られるのは、「五月雨は雨そのものをさしている」からなのであろう。