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参考資料室
連句を楽しむ その十一
市川 千年

 海市の会(代表 鈴木 漠)の連句集『滅紫帖(めつしてふ)』(編集工房ノア 二〇一四)より、尻取押韻「初明り」の巻。(二〇一四年一月首尾 ファクシミリ文韻)

 雪の駅雪の厩(うまや)も初明り       鈴木  漠(新年)
   仮の宿りで年の旨酒(うまさけ)      永田 圭介(新年)
  叫ぶ子に花降りしきる駒遊び        三木 英治(花)
   聳ゆる海市騙し絵のやう         梅村 光明(春)
  家移りの町に驚くうららかさ         圭介(春)
   重なる不首尾恋のトラウマ        漠(恋) 
  午の貝逢瀬の果ての白き月        光明(月恋)
   付き馬撒いて霧の道行(みちゆき)    英治(秋恋)
              *尻取押韻は挙句から発句へ循環回帰。

 お気付きだろうか。平成二十六年甲午(きのえうま)にちなんで巻かれた海市の会初懐紙表合八句は尻取押韻に加え、各句に馬に関する語を賦しているのだ。全て歳旦馬尽しの長短句、なんとも楽しく巧みな付合である。
 海市の会代表の詩人の鈴木漠さんは、これまで十三冊の連句集を出版(活字化)されてきた方でもあるが、明治二十六年に正岡子規が「芭蕉雑談」の中で「変化は即ち文学以外の分子なり」と指弾した連句の「変化する」ことに対して次のように述べている。

  「ひと言でいえば、生々流転する時間の中で、これもまた絶えず明滅を繰り返す人間存在の諸相、そのディテールを、全的に描きとどめようと欲する文芸様式・・・・・・、
連句を、そのように定義づけることもできるであろうか。
たとえば芭蕉の時代に完成された歌仙形式(三十六句で構成)の場合であれば、そのわずか三十六句の中に、春夏秋冬の自然の景物、鳥獣虫魚、また生老病死、恋や無常、紀行、年中行事、喜怒哀楽等々の人事百般にわたる事象と存在の諸相いっさいを写しとろうとたくらむ形式なのだ。そのためには、一句ごとに絶えず変化することが必然的に求められた。しかして、一巻の作品の中に、ダイアローグによる小宇宙(ミクロコスモス)を現出させ、共有することこそが、連句という詩形式がもくろむことであり、美の様式でもあった」(「詩と連句のクロスオーヴァー」『現代詩手帖』二〇〇〇年六月号)

 子規の句(明治二十八年作)とクロスオーヴァーした漠さんの詩も紹介しよう。なおこの詩はテルツァ・リーマ(三韻詩)が試みられている。押韻形式はaba/bcb/cdc/ded/efe/fgf/ghg/hih/i(『続続 鈴木 漠 詩集』編集工房ノア 二〇一四)。

   心象の帆

         暁や白帆過ぎゆく蚊帳の外  子規

 連句嫌いだった筈の正岡子規に
   同(おな)い年幸田露伴と付合いした記録
   しかも旧派宗匠幸堂得知の捌きに

 あの子規の句が一直された事実に驚く
   立句に据えた大島蓼太の句は「春雨に傘」
   露伴「柳四五本並ぶ」と続く脇句も漫(すず)ろく

 子規の第三句初案は「陽炎に」と付く丈高さ
   だが春雨に陽炎では天象の打越しは自明
   すかさず得知が「蛙の声」と匡(ただ)した確かさ

 セオリーとしては常識ながら文学の革命
   志す矜持を傷つけられたか 美食の舌
   子規の連句嫌いは多分この挿話が発端の頑迷

 後日 連句は文学に非(あら)ずと論断した
   連句三つの要因は対話と変化と虚構を当てる
   然るに写生主義を掲げる子規の文芸観の下

 虚構などはもっての外まして十九世紀も果てる
   近代の文学に対話や付合など不要とばかり
   脇句以下一切の付句を切って捨てる

 発句は文学なり連句は文学に非ずと憚り
   大見栄を切った子規の俳諧革新の手付き
   そのラディカリズムが裂く世界の薄明り

 須磨の寓居に労(いたつ)きの身を養う有明の月
   座右に典籍を積み獺祭書屋(だっさいしょおく)主人を自称
   時代は文明開化の波涛 近代の暁

 折しも沖を過ぎる白い帆の心象

 「幸田露伴と付合した記録」とは、幸田露伴が河東碧梧桐のインタビューに応えた記事(日時・昭和九年十一月六日 場所・東京小石川幸田邸)のことである。それには、大島蓼太の「夜咄の傘にあまるや春の雨」を立句にして、脇を露伴が「柳四五本ならぶ川べり」、子規が第三を「のみさした茶を陽炎にふりまいて」と付けたが、いわゆる旧派の幸堂得知が「さめた茶を蛙の聲にふりかけて」と直したことが記されている。
 確かに、蛙にふりかけるより陽炎にふりまいた方が丈高
く場面転換も効いているが如何せん天象の打越。これはまことに勝手な想像だが、子規はこのことを夏目漱石に話してはいなかったか。「連句を楽しむ その三」で少し取り上げた漱石、虚子、四方太の三吟歌仙、挙句は漱石の「酒をそゝげば燃ゆる陽炎」であった・・・・・・この三人の組んだ小さな円陣の中に「其何風と何派たるとに拘はらず美なる者は之を取れ美ならざる者は之を捨てよ(略)系統より割り出したる俳句は文學に非るなり」(俳諧大要)、「時間的と空間的とに論無く能く變化し能く多様なる者、孰れか進歩ならざらん」(俳句新派の傾向)と熱く説いた子規の面影は灯っていたにちがいない。

参考文献
・『子規全集』 講談社、
・『俳人子規』木下春雄、実業之日本社、大正六年(『子規研究資料集成<研究編1>』所収 編者 越後敬子、クレス出版)

(俳句雑誌『蝶』210号(2014年11・12月))