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参考資料室

江戸川乱歩と松尾芭蕉 − 二人の接点を探る − 安居正浩 (「沖」同人)

 その翌年『嵯峨日記』の元禄四年(一六九一年)四月二八日の記述では、
  夢に杜国が事をいひだして、涕泣して覚む。
  (中略)我夢は聖人君子の夢にあらず。終日妄想散乱の気、夜陰の夢又しかり。
  誠に此ものを夢見ること、謂所念夢也。我に志深く伊陽旧里(いやうふるさと)迄したひ来りて、
  夜は床を同じう起臥、行脚の労をともにたすけて、百日が程かげのごとくにともなふ。
  ある時はたはぶれ、ある時は悲しび、其志我心裏に染て、忘るる事なければなるべし。
  覚て又袂をしぼる。
 杜国が死んで一年後のこの悲しみの表現もまた尋常でない。夢にみる杜国に涙し、一緒に旅した思い出が芭蕉の心を離れない。内縁の妻と言われる寿貞が死んだときの芭蕉の手紙をも上回るほどの生々しい表現である。
 ここまで見てくると芭蕉と杜国には、復本一郎氏の言うように、「セックス行為の有無はしばらく措いておいて、私は、芭蕉と杜国との関係に男色を認めていいように思っている」とみるのは、妥当と考えていいのではないか。
 一方乱歩の同性愛の関心は、その著作を読むと数多く登場する。まず、『乱歩打明け話』に述べる高校時代の同性へのあこがれである。「まあ初恋といっていいのは、十五歳(かぞえ年)の時でした。中学二年です。お惚気じゃありません。相手は女じゃないのだから。(中略)それが実にプラトニックで、熱烈で、僕の一生の恋が、その同性に対してみんな使いつくされてしまったかの観があるのです」と述べるのに始まり、ラブレターの交換や手を握りあえば熱がして身体が震え出したとまで告白している。
 開高健氏との対談では「……イナガキ・タルホと知り合いになったのもホモ・セクシャルを通じてでね。ぼくの中学校は稚児さんが盛んだったからしょっちゅう追っかけたり、追っかけられたりしていたんで、むかしからその気はぼくにあったわけだ。それで本を集めだしたんだよ。ワ印と外国のものをのぞけば相当集めたね。西鶴は全部ある」(「熱烈な外道美学・江戸川乱歩氏にきく」日本読書新聞初出)と話したそうである。江戸川乱歩の本の収集は有名で、あらゆる種類の本を土蔵に収蔵していたが、その中に井原西鶴の『男色大鏡』をはじめとして、同性愛関係の著作が多数あったことも事実である。
 そして乱歩が同性愛について語った、随筆『もくづ塚』がある。恋物語の果てに切腹せざるを得なかった、采女と右京という二人の若き侍のお墓のある浅草の慶養寺を訪ねる話であるが、中で海外の同性愛賛美者にまで話が及び、乱歩のこの件の博識さを見せている。
 また小説『孤島の鬼』には、主人公蓑浦と男友達諸戸との関係について、「諸戸はそう云って、目をパチパチさせたかと思うと、ぎこちない仕草で私の手を握り、昔の『義を結ぶ』といった感じで、手先に力をいれながら子供の様に目の縁を赤らめたのである」や「悪魔の子としてこの上生恥を曝そうより、君と抱き合って死んで行く方が、どれ程嬉しいか。蓑浦君、地上の世界の習慣を忘れ、地上の羞恥を棄てて、今こそ、僕の願いを容れて、僕の愛を受けて」など諸戸からの同性愛的愛情表現が語られている。明智小五郎と「少年探偵団」の小林少年の間にも、同じ雰囲気を感じる読者も数多い。
 乱歩が同性愛者であったかどうかは、自称「直弟子」という、山田風太郎の次の文章で推測するしかない。
 「おそらく(この雑誌の・筆者加筆)期待されたのは『暗い乱歩』の一面 − とくに大人乱歩さんに妖しさを添えるホモ趣味など − であろう。しかし、それは私に書くことは出来ない。(中略)そもそも私は乱歩さんの暗い一面を、ほんとうにはよく知らないのである。(中略)特にホモの一面に至っては、たとえくっついて歩いても、こっちに共鳴するところがなければ、ついに不可解の別世界にとどまるほかはなかったであろう」(昭和四十六年「噂」初出)と、知らないと言いながら、肯定しているようにもみえる文章である。
 どちらにしても乱歩が、同性愛に特別の関心を持っていたことは間違いない。
 井原西鶴の『男色大鏡』に興味をしめし、ほぼ同時代に生きた芭蕉の男色についても研究心が動かなかったはずはない。『男色大鏡』には藤堂藩の武士の男色の話が出てくる。藤堂藩から芭蕉へと思考がつながったであろうことは十分考えられる。
 ここまで乱歩が芭蕉に特別の感情を持った理由について「故郷」「藤堂藩」「同性愛」の三点について考えてきた。乱歩は非常にまめで何事にも資料を残し、綿密に検討し、あらゆることを書き残してきた。そんな乱歩が、先人として大きな評価をし、特別な感情を持ったはずの芭蕉への記述があまりにも少ないのは何故だろうか。上記「一人の芭蕉の問題」であれほど探偵小説界の芭蕉を待望した乱歩であったが、二ヵ月後の『ロック』昭和二十二年四月号では、「私が先に芭蕉を持ち出したのは決して安易な意味に於てではない。私自身にはその可能性が殆ど信じられないほどの難事を為しとげる人として、仮に芭蕉を挙げたのであって、現在の私にはその芭蕉の方法論を説く力はない。ないからこそ芭蕉を挙げたのである」(「探偵小説の宿命について再説」)と、芭蕉にそれ以上深く迫ることに躊躇している。
 ここからは私の推測になるのだが、乱歩の芭蕉への興味は大きく、是非詳しく書きたかった人物であったはずである。しかし詳しく書くとすれば、同性愛への研究歴や造詣の深さからして、芭蕉の男色についても触れないと乱歩の面目が立たない。江戸時代後期には「花の本大明神」と、神としてあがめられ、加えて郷土の偉人でもあった芭蕉へのアプローチに同性愛を話題にすることは、さすがの乱歩にもできなかったのではないだろうか。そうなるともう芭蕉の偉大さを持ち出すのが精一杯で、詳述出来なかったいうのが、乱歩の本音ではなかったか。乱歩と芭蕉を強く結びつけた「故郷」「藤堂藩」「同性愛」の三つのキーワードが、逆に乱歩の筆を躊躇させる要因となったとすると皮肉な結果と言わざるを得ない。

参考文献
『文藝別冊 江戸川乱歩 − 誰もが憧れた少年探偵団 −』 尾形龍太郎編集 
(株) 河出書房新社 二〇〇三年三月三十日発行
『江戸川乱歩コレクション・T 乱歩打明け話』 江戸川乱歩著 
(株) 河出書房新社 一九九四年十一月四日発行
『江戸川乱歩コレクション・V 一人の芭蕉の問題 − 日本ミステリ論集』 江戸川乱歩著 
(株) 河出書房新社 一九九五年四月四日発行
『江戸川乱歩全集第4巻 弧島の鬼』 江戸川乱歩著 (株) 光文社 二〇〇三年八月七日発行
『江戸俳句夜話』復本一郎著 日本放送出版協会 一九九八年十月二十日発行
『書物の王国I同性愛』 小栗虫太郎ほか著 国書刊行会 一九九九年三月二十四日発行
『芭蕉紀行文集』 中村俊定校注 (株) 岩波書店 一九七一年十一月十六日発行

(俳句雑誌『出航』第18号より転載)