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論文を読む会議事録
穂村弘氏<短歌の楽しみ>講演を聴いて 吉田久子

 司会の江田さんより簡単に穂村弘さんのプロフィールが紹介される。静かに穂村さん登場。モノトーンのラフないでたち。黒いフレームの眼鏡にスニーカー。細身。低いがよく通る声、聞きやすい速度、適度な間の取り方、聴衆を引き付ける話し方をされる方である。およそ1時間にわたり、現代短歌に共通する言葉の特性について話された。繊細さの漂う理知的な詩人との印象を受けた。以下に記録というほど正確でもなく、まとめというほどの内容にもなっていませんが、報告と感想を述べます。

  (ほむら)
  短歌はいろいろあるが、ある共通のことば、言語特性がみられる。
  完成品の短歌を穂村が改悪し、並べて、作者の改良への過程を探る。
  言語には2種類ある。1つは社会化された言語。社会的に流通することばで、生産性、
  効率性、再現性を表す。1つはそれとは逆に社会化されていない言語。その代表は密室
  での恋人どうしの会話である。しょうもないことば、むだな時間、むなしい物、一回性
  などにあらわれる。ことばが社会化されていくことは短歌の力を弱める。だれも知らな
  い話を書くべきである。

 まず4歌人の5首の作品が取り上げられる。穂村作の“改悪例”と比較し、良い歌に共通して選ばれている社会化されていない言葉−作品のキーワード−を解き明かしていく。
(以下穂村弘「短歌の楽しみ」資料より抜粋。番号は吉田による)

@ドライブスルーのマイクに向かう一度でもきれいな声が出たことがない   綿くみこ
ドライブスルーのマイクに向かうコカコーラとポテトのMサイズを注文す  改悪例
    (ほむら)
   短歌にする必然は下の7・7「一度でもきれいな声が出たことがない」にある。
   自分だけの一回きりのことば、消えることばを残したい。作者が死ねば二度と生
   れないことばである。「コカコーラとポテトのMサイズ」は社会化された不滅のこ
   とば、不滅ではいけない。自分もきれいな写真を撮られたことがないので、わかる。
  
A目薬は赤い目薬が効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす          河野裕子
目薬はビタミン入りが効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす        改悪例1
目薬はVロートクールが効くと言ひ椅子より立ちて目薬をさす       改悪例2
    (ほむら)
   「赤い目薬」は例えば母親の一回だけの命に即した実感的な言い方を感じる。薬局
   のカウンターでは「Vロートクール」と言えばそれがすぐ出てくる。効率が良い。
   「赤い目薬」だとちょっとてまどってしまう。例1から例2へと生産性が高くなる。

Bいま我を知る人は無し夜半(よは)起きてこむらがへりに呻きゐるわれ       高野公彦
いま我を知る人は無し夜半起きて歌の推敲繰り返すわれ           改悪例
    (ほむら)
    「こむらがへりに呻」くことは社会的生産性からは無縁の行為であり、むだな時間で
   ある。「歌の推敲」は生産的行為。

C灯の下に消しゴムのかすを集めつつ冬の雷短きを聞く           河野裕子
灯の下の文字に消しゴムをかけながら冬の雷短きを聞く          改悪例1
灯の下に鉛筆の文字を記しつつ冬の雷短きを聞く             改悪例2
    (ほむら)
    「消しゴムのかすを集め」るのは個人の生命の底に繋がっている。例1から例2へ
   と生産性が高くなる。社会化されていくことは短歌の力を弱める。だれも知らない
   話を書くべきである。

Dうめぼしのたね(・・)おかれたるみずいろのベンチがあれば しずかなる夏    村木道彦
  図書館の本おかれたるみずいろのベンチがあれば しずかなる夏     改悪例1
  コカコーラの缶おかれたるみずいろのベンチがあれば しずかなる夏   改悪例2
  君よりの手紙(ふみ)おかれたるみずいろのベンチがあれば しずかなる夏    改悪例3
    (ほむら)
    「うめぼしのたね」がいい。村木の「紅しょうがをひろう」の歌の「紅しょうが」も
    そう。例3「君よりの文」は一見よさそうだが、どうしようもないものからは遠い。

 あらためて選歌の妙に驚いている。@綿くみこ。知らない。申し訳ないが初めて名前を聞く。最近の口語短歌というと「夜はぷちぷちケータイ短歌」(NHKラジオ放送番組)のフレーズが浮かんでくるぐらいで、あまり関心がなかった。@の解説でわが無関心の一角が融けていくように感じた。(話すようにつぎつぎと感性で短歌が作れたら楽しいだろうと)次に超がつくほど高名な河野裕子の2作品と高野公彦。そしてD村木道彦は1960年代に閃光を放った歌人。うめぼしですらない「うめぼしのたね」は社会的に無価値、無用のものゆえに、主題の「しずかな夏」のベンチに置かれていたのか。そうなのかと納得させられた。(引用の「べにしょうが」の歌を聞き逃してしまい残念)
 今回“いろいろな歌”のしかけを通して、穂村さんは「短歌はあまり変化していませんよ」と言われたように、わたしは思った。 

             ★

Eはじめからこわれていたの木製の月の輪ぐまの左のつめは          東直子
F鯛焼きの縁のばり(・・)など面白きもののある世を父は去りたり          高野公彦
G炊きたての白いごはんのねばねばが娘は好きでときどき帰る         中島じゅん
H食卓の横とほるとき食卓塩ひと振り口に入れてみただけ           村田一広
Iひも状のものが剥けたりするでせうバナナのあれも食べてゐる祖母      廣西昌也
J黒ゴマの一つ浮きたる牛乳というもの見たり夜のテーブルに         花山多佳子
Kしろじろと箪笥の咬(か)んだ布のはし夜半のめざめに見てまた眠る        高野公彦
Lおさなごの椅子の裏側めしつぶの貼りついており床にしゃがめば       吉川宏志
Mラーユがない!ギョーザをショーユだけで食うオリンピックなんざ知ったこっちゃない 森本平
N雨だから迎えに来てって言ったのに傘も差さず裸足で来やがって       森田志保子
Oあのこ紙パックジュースをストローの穴からストローなしで飲み干す     森田志保子
               ★
上記E〜Oの歌から、だいたい次のような話があった。
 おもちゃの熊の「左のつめ」、鯛焼きの「縁のばり」、ご飯の「ねばねば」、バナナの「ひも状のもの」、「黒ゴマの1つ」、箪笥の咬んだ「布のはし」、「めしつぶ」等々、へんなもの、名前さえつけられていないようなものがリアルでいい歌にしている。社会化されている作法をはずしたり、ずらしていて魅力的である。
 @〜Kはずらしが自然で、作者の個性による。Iはバナナを剥いたときにくっついてくる内皮を食べる祖母の生の一回性をうたう。Mは意識的に作られた作品。ギョーザの正しい食べ方は最も身近なシステムであり、社会化されたシステムの最も高度なものがオリンピックである。Nは社会的合意からのはみ出しかたがセクシー。Oじか飲みがかっこいい。

■質問について
 何人かの質問に丁寧に答える穂村さんの姿を覚えているが、肝心なところでぼんやりしてしまい内容の記憶も記録もほとんどない。どなたか記憶明晰な方にまとめをお願いします。

■懇親会余話
 講演後、懇親会へも出席してくださった穂村さん。歓迎の気持ちを込めてさらさんと共にインタビューを敢行。(江田さん作成の資料を見せて)「第1歌集『シンジケート』12首の中から自信作と実験作を1首ずつ選んでください!」「古い作品なので…」(穂村さん短歌歴25年)とつぶやきながらも迷うことなく選んだのは、
   自信作:「キバ」「キバ」とふたり八重歯をむき出せば花降りかかる髪に背中に
   実験作:桟橋で愛し合ってもかまわないがんこな汚れにザブがあるからでした。本当にありがとうございました。

■時間の都合上、講演されなかった「資料」後半を以下に記録します。選歌や“補完例”“改悪例”がやはり魅力的、何らかの形で“続きを読む会”が待たれます。
     
             ★
  じゃぐちからお水が出ずに朝こまる一日こまって夜に出る水       小学生の歌
  蓋とらば鰻あるらむ鰻重の蓋とるまでのこの不安感            村田一広
  丼にせつかくうどん満ちたるに箸が少しづつ引き抜いてゆく        村田一広
  床屋では気づかなかったもみあげの長さが左右揃っていない        船山 登
  風の無い二月の朝に雪も無いとっかえひっかえクツシタさがす       原沢敏治
  たった今トレーに捨てた御茶殻はもはや触れるもおぞましき体       西井常与
  一歩毎少し辷りて戻さるる落葉の道に鳥を探せり             丹羽利一
  小さき石から始めけり薄氷を破る大きさ見つけむとして          丹羽利一
  「甘くなる」急に誰かが言ひだせばをとめら揃つて投げあげるみかん    若林まち
  咆哮に驚き目をやるフェンス内に「吠えてみただけ」と犬が尾を振る    松本和子
  痩せようとふるいたたせるわけでもなく微妙だから言うなポッチャリって  脇川飛鳥
  税務署へ届けに行かむ道すがら馬に逢ひたりあゝ馬のかほ         斎藤茂吉
  リンパ線はらした風邪もついに癒え かっぱえびせんこんなにうまい    中村みどり
              ★
  手をひいて登る階段なかばにて抱き上げたり夏雲の下           加藤治郎
  手をひいて登る階段なかばにて(子供を)抱き上げたり夏雲の下       補完例

 単三の電池をつめて聴きゐたり海ほろぶとき陸も亡びむ          岡井 隆
  (ラジオに)単三の電池をつめて聴きゐたり海ほろぶとき陸も亡びむ      補完例

 したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ         岡崎祐美子
(セックスを)したあとの朝日はだるい 自転車に撤去予告の赤紙は揺れ   補完例 

そうですかきれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています     東直子
そうですか(昔の恋人の花嫁姿は)きれいでしたかわたくしは小鳥を売ってくらしています 補完例

あそこから冬の林に見しものを誰にともなく語り続けぬ          岡井 隆
              ★
  いたく錆びしピストル出でぬ
  砂山の
  砂を指もて掘りてありしに                       石川啄木

 いたく朽ちし木片出でぬ
  砂山の
  砂を指もて掘りてありしに                        改悪例

 砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね           俵 万智
  砂浜に二人で埋めた桜色のちいさな貝を忘れないでね            改悪例

 シャンプーの香をほのぼのとたてながら微分積分子らは解きをり      俵 万智
 シャンプーの香をほのぼのとたてながら数学の試験子らは解きをり      改悪例

 ふるさとの訛なつかし
 停車場の人ごみの中に
 そを聴きにゆく                            石川啄木

 停車場の人ごみの中に
 ふと聴きし
 わがふるさとの訛なつかし                        改悪例