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「明治人の俳諧への郷愁」資料2 寺田寅彦「俳句の精神」(要約版)

芭蕉会議「論文を読む会」、「明治人の俳諧への郷愁‐寅彦と国男の場合」
                     2013年9月14日 発表者 伊藤無迅

〈資料1〉テキスト1の要約

◇ テキスト1:寺田寅彦「俳句の精神」
(『寺田寅彦随筆集第五巻』岩波書店、1986年8月11日(第47刷) )
なおテキストは『俳句作法講座 第二巻』(改造社、昭和十年十月二十日)に掲載されたものである。

 比較的長文なので、以下の要領でエッセンス化した。
凡例  ・ → 筆者がテキストを読み、ポイントを簡略化し纏めた文章。
           * → 原文をそのまま転記したもの。
           ゴシック(太字)→要点(発表者の解釈)と思われるヶ所。

1.俳句の成立と必然性
  ・俳句について自分などの素人臭い話はここではしない。学問的な話ではなく自己流の俳句源流説を略記して、初心者の参考に供すると共に先輩諸家の批評を仰ぎたい。
  *俳句の十七字詩形を歴史的に遡って行くと「俳諧の発句」を通して「連歌の発句」に達し、そこで明白な一つの泉の源頭に行き着く。これは周知のことである。
   ・俳句の中に流れている俳句的精神というものの源泉を、その詩型の底にもぐり込んで追求してゆくと、以外に広く遠いところにその水脈があることに気付くであろう。
      →例えば、万葉集や古事記、源氏物語、枕草子にも、それを探せばある様に思う。
  *ここで自分が仮に俳句的要素とかいう名前で呼んでいるものは何であるかというと、それは古来の日本人が自然に対する特殊な見方と態度を指して云うのである。
   ・日本人の対自然観が外国人なかんずく西洋人のそれと比較して、いかなる特徴をもつかは、最近他で述べた(→「日本人の自然観」『寺田寅彦随筆集第六巻』)がそれに該当し、その要点は次のとおり。
  *日本人は西洋人のように自然と人間とを別々に切り離して対立させるという云わば物質科学的の態度をとる代わりに、人間と自然とを一緒にしてそれを一つの全機的な有機体と見ようとする傾向を多分にもっているように見える。
  ・換言すると西洋人は自然を道具か品物のように心得ているのに対し、日本人は自然を親しい兄弟か、むしろ自分の体の一部のように思っているとも言える。
  ・別な見方をすれば、西洋人は自然を征服しようとしているが、日本人は自然に同化し順応しようとして来た。
  ・卑近な例では庭園の造り方で、幾何学的に草木花卉(かき)を配置する西洋に対し天然の山水の姿を身近に招致しようとするのが日本人である。
  *この自然観の相違が一方では科学を発達させ、他方では俳句というきわめて特異な詩を発達させたとも言われなくはない。
  ・これは一見奇抜な対比と思われようが、以下の私の言を読めば納得するだろう。
  ・では、この日本人固有の自然観がどのような形で、俳句と言う詩形に現れるかを説明する。
  ・従来、俳句では客観と主観が問題になることがあった。
   ・こういう分け方は俳句を分類する上で便利かも知れないが、自分が考える日本人の自然観を土台にすれば、こうした言葉はかなり無意味なものとなる。
    →何故かと言うと人間と自然とを切り離して対立させない限り、主と客との対立的差別はなくなってしまうからである。
  ・一例として「荒海や佐渡に横とう天の川」を見る。
     ・西洋人流の科学的な態度から見た客観的写生的描写だと見れば、実につまらない一枚の水彩画である。
     ・これが日本人にとり、異常に美しい「詩」となるのは何故か?この句の表面に、あらわな主観は極めて希薄で「横とう」にわずかな主観を感じるのみである。
     ・「荒海」は単なる波高く舟行に危険な海面ではない。四面海の大八州国(おおやしまのくに)に数千年住み着いた民族の記憶で彩られた無始無終の絵巻物である。
     ・この荒海は一面では眼前に展開する客観の荒海で、同時にあらゆる過去の日本人の心まで広がる主観の荒海でもある。
     ・「大海に島もあらなくに海原のたゆたふ浪に立てる白雲」という万葉の歌につながっているとも云われる。
   ・勿論西洋にもほぼ同義の言葉はある。それが多くの西洋人の連想を呼び起こすものもあろう。しかしその連想は恐らく多くは現実的功利的なものであろう。
   *またそれが夢幻的空想的であるとしても、日本人のそれのように濃厚に圧縮されたそうして全国民に共通で固有な民俗的記憶で彩られたものではおそらくあり得ないであろうと思われる。
    ・「佐渡」「天の川」でも同様である。一体にあらゆる季題はそうである。
   *「春雨」「秋風」というような言葉は、日本人にとっては決して単なる気象学上の述語ではなくて、それぞれ莫大な空間と時間との間に広がる無限の事象とそれにつながる人間の肉体ならびに精神の活動の種々相を極度に圧縮し、煎じ詰めたエッセンスである。
   *またそれらの言葉を耳に聞き目に見ることによって、その中に圧縮された内容を一度に呼び出し、出現させる呪文の役目をつとめるものである。そういう意味での「象徴」なのである。
   ・そういう不思議な魔術がなければ俳句と言う十七字詩は、畢竟ある無理解な西洋人の言ったように「一つの絵の題目」のようなものになる。
  ・この魔術が可能になる理由は二つある。
      ・一つは日本人の自然観の特異性によるもの。
        *一口で言えば自然の風物にわれわれの主観的生活を化合させ吸着させて自然と人間との化合物ないしは膠質物を作るという可能性である。
        ・二つ目はこれが重要であるが、古来詠まれてきた短い定型詩の存在である。この流行により前述した魔術への感受性が養われてきた。
         *換言すれば、長い修業によって「象徴国の国語」に習熟して来たせいである。
    ・ステファン・マラルメは仏国の抒情詩を溺らす雄弁を排斥した。
        ・ステファン・マラルメ=仏、1842〜1898、ヴォルレーヌと共に象徴派を開いた。
        *「ホーマーのおかげで詩は横道に迷い込んでしまった。ホーマー以前のオルフェズムこそ正しい詩の道だ」 と云ったそうである。
        ・オルフェズム=ホメロス(ホーマー)以前に活躍したという古代ギリシアの伝説的な詩人にして音楽家オルフェウスを祖とする神秘教、オルフェウス教。
   *この所説の当否は別問題として、この人の云う意味での正しい詩の典型となるべきものが日本の和歌や俳句であろう。
   ・雄弁や饒舌は散文に任せ、真に詩らしさを探求する精神に適合するのが短詩形。
   ・その意味で日本の民謡などもオルフェズムの圏内に入るかもしれない。
   *詩形が短い、言葉数の少ない結果としてその中に含まれた言葉の感覚の強度が強められる。同時にその言葉の内容が特殊な分化と限定を受ける。その分化され限定された内容が詩形に付随して伝統化し固定する傾向をもつのは自然の勢いである。
   *さればこそ万葉古今の語彙は大正昭和の今日それを短歌俳句に用いてもその内容において古来のそれとの連関を失わないのである。
   *またそれ故にそれらの語彙が民族的遺伝としての連想に点火する能力をもっているのである。
   *またこれらの語彙の意義内容は一方では進化し発展しつつ時代に適応する弾性を有する。
   *「春雨」はビル街に煙り、「秋風」は飛行機の翼を払うだけの包容性を失わないのである。
   *こう考えてくると、和歌と俳句は純粋な短詩の精神を徹底的に突きつめたものであり、またその点で和歌よりも俳句の方が一層極度まで突き詰めたものだということになるのである。
   *俳句における季題の重要性ということも同じ立場からおのずから明白であろう。限定され、そのために強度を高められた電気火花のごとき効果をもって連想の燃料に点火する役目をつとめるのがこれらの季題と称する若干の語彙である。
   ・有限な語彙の限定や形式の限定は、往々俳句の世界を限定するかのような錯覚を起こさせる。近頃流行の無定形無季の試みは、多くはこの錯覚ではないかと思っている。
   ・季語(季題)は、外形は不変でも内容は、人間社会が進化すれば一緒に進化する。
   ・詩形についても同様で人間の思想は同じところにとどまってはいない。詩形は固定していても盛られる精神的内容はいくらでも進化し得る。
   ・十七文字の組み合わせが有限なので俳句の数に限りがあるという人もいるが、それは数字を数え損ねた人の言葉であろう。
   ・思想が進化し新しい観念・概念が絶えず導入され、智恵が進歩し新しい事物が絶えず供給されている間は新しい俳句の種は尽きない。
   ・ここで言わんとしたことは、俳句が最短詩形であるがため、
   ・その語彙の中に思想と暗示の極度な圧縮が必要。
   ・その基礎条件として日本人のような特異な自然観が必要。
   *その上に環境条件として古来の短詩形の伝習によって圧縮が完成され、そうして出来上がった語彙の象徴的効力が、それぞれに分化限定されたこと、
   *これらの条件が具備して、そこで始めて俳句と言う、世界に類の無い詩が成立したということである。 

   ・次に、定型(五・七・五)に関してであるが、その成立は決して偶然ではない。
   *ジュール・ロマンと言う人がフランス人の作ったいわゆるハイカイを批評した言葉の中におおよそ次のような意味の苦言がある。 
   ・俳句の価値は一般の固定形の詩と同様に、詩形の固定と形式を規定する制約が厳重であることに存している。
   ・かつてフランスにソネットという詩形を取り入れた時、多少この詩形を外れたものを作った者いて、いかもの(まがい物)扱いをされたことがあったほど、その規則外れはほんの僅かなものであった。
   ・しかるに、フランスのハイカイは、なるほど三つの詩句で出来ている点で日本の俳諧を習ってはいるが、一句の長さには何の制限も無いし、三句の終わりの語呂の関係にも頓着しない。
   ・それでは、気の利いたノート・ド・カルネー(手帳の覚書)くらいにはなるかも知れないが、日本俳句のもつ、力強さも、振動性も拡張性もない。
   ・外国人の所説としては面白いと思う。
   *どうして日本に五、七あるいは七、五の律動が普遍化したかということは六かしい問題である。
   ・私見だが、四拍子の音楽的拍節に語句を配しつつ語句と語句との間に適当な休止ゐ塩梅するとき自然に出来上がった、その口調から発生したものではないか。
   ・これについては別な機会に詳説するとして、日本語には五七または七五調が特に適応するような楽律的性質を内蔵している。
   ・これを演繹的に説明する事は困難でも眼前の事実から帰納できれば、ここでの目的は充分であろう。
   ・古事記など古い本に出てくる歌には、まだ七五の形が決る前なので、いろいろな字数の句が錯雑している。その錯雑した中に七五または五七胚芽のようなものが、いたるところに散見する。
   ・それが次第に自然淘汰されて、異分子が取り除かれ五と七の字数の交互的連続に移行して行っている。
   ・こういう現象は決して権勢の力や金銭の力で招致することの出来ないもので、やはり進化論的な自然淘汰、適者生存の理によるものだろう。
   ・この七五または五七は和歌の形式の骨格になったのみではなく、いろいろな歌謡俗曲まで浸潤し、日本の詩の領分を征服、他の可能なるものを駆逐し排除してしまった。これはひとつの大きな事実である。
   ・であれば、これだけの強勢な伝播・感染力をもつ七五の定数には、そうなるだけの内在的理由があると考えるほか途はないと考える。
   *要するに七五の定数率は人のこしらえたものではなくて、独りで生まれ独りで成長してきたものである。
   ・これをにわかに人為的に破壊・棄却しようとしても意のままにはならぬものである。
   *これは理屈ではなく事実なのである。  
   ・では俳句が七五七でなく五七五か、について述べるなら、和歌の上の句と同型だからという説明もあるが、独立するという視点からみて五七五の方が、短詩の形式として勝れているという理由もなくはない。
   ・つまり初五が短いので、その後(中七で)ちょとした休止の気味で内省と玩味の余裕を与え、次に来るものへの予想を醗酵させる猶予を可能にする。
   *中七は初五で提出された問題の発展であり回答であるので長さを要求する。最後の五は結尾であって、しかもそのあとに余韻の暗示を与え、またもう一遍詠み直すという心持を誘致するためには短い方が有効であるかと思われる。
   ・以上は多少牽強附会かもしれないが、こういう説も立てられることは事実であろう。
   ・次に「切れ字」であるが、これは他の場所で(本巻「俳諧の本質的概論」)述べているので省略するが、これも決して偶然なもの、人工的なものでなく極めて自然で必然な短詩の制約のひとつと見るべきものである。
   ・以上、俳句の形式についてくどくど述べてきたが、俳句の精神というものはこの形式を離れて存立しがたいものと私は考えている。 

 2.俳句の精神とその習得の反応
  ・編集者から言われた「俳句の精神」とは、たぶん「わび」とか「さびしおり」「風流」とかの言葉の解説を要求されていたかもしれない。そういうことは従来多くの先輩が述べ、私自身も述べてきたので、今更繰返したくない。ここでは違った角度から述べたい。
  ・前述したように俳句が成立した基礎条件が日本人固有の自然観の特異性であるとすれば、俳句の精神と言うものは、畢竟この特異な自然観の詩的表現以外何物でもありえないと思われてくる。
  ・日本人の自然観は同時にまた日本人の人世観である、と言うことを前述した。
  *「春雨」「秋風」は日本人には直ちにまた人生の一断面であって、それはまた一方で不易であると同時に、また一方では流行の諸相でもある。「実」であると同時に「虚」である。
  *「春雨や蜂の巣つたふ屋ねの漏」を例にとってみよう。
    *これは表面上は純粋な客観的事象の記述に過ぎない。
    ・しかし俳句を解する日本人にとっては非常に肉感的である。
    ・鋭い冷湿な感蝕を心で感じ、心の鼻では黴や煤の臭気にむせる。
    ・そういう祖先も感じた官能の刺激を感じて、わびしさ、さびしさをその生活に感じるのである。 
    ・一方で、雨に濡れそぼった「蜂の巣」の姿がはっきりした注意の焦点となり、いっそう句の感じを強調する。
    *この句を詠んだ芭蕉は人間であると同時に、またこの蜂の巣の主の蜂でもあったのである。
  *このように自然と人間との交渉を通じて自然を自己の内部に投射し、また自己を自然の表面に映写して、そうして更にちがった一段高い自己の眼でその関係を静観するのである。
  *そういうことが出来るというのが日本人なのである。
  *こういう風な立場から見れば「花鳥諷詠」とか「実相観入」とか「写生」とか「真実」とかいうような色々なモットーも皆一つのことの色々な面を云い現す言葉のように思われてくるのである。
  ・短歌も日本の短詩である以上、俳句同様自然と人間の有機的結合から生じる象徴的な諷詠要素を多分に含んだものが多いが、俳句と比較すると、どうしても象徴的であるよりも直接的な主観的情緒の表現が鮮明かつ濃厚に露出しているものが多い。
  ・その主観の主は作者自身であって、作者はその作に全人格を投入した観があるのが普通である。
  *しかし俳句が短歌とちがうと思われる点は、花鳥風月と合体した作者自身をもう一段高い地位に立った第二の自分が客観し認識しているようなところがある。
  *「山路来て何やらゆかし菫草」でも、菫と人とが互いにゆかしがっているのを傍らからもう一人の自分が静かに眺めているような趣が自分には感ぜられる。
  ・短歌と俳句の精神と言うか態度というか、作者自身の関係の仕方の相違を強いて求めると以上のように思う。この差は俳句の極度に短い詩形にあると思っている。つまり、
      ・直接な主観を盛ろうと思うと象徴とする景物の入れる場所がないので、主観を割愛し象徴に席を譲るようになる。
      ・従って作者は象徴の中に押し込まれ自然と有機的に結合した姿で表現するほかなくなる。
      ・その結果として諷詠者(作家)は、むしろ読者と同じ位置に立って、その象徴に含まれた自分を高所から眺める形となる。
   ・これに関する面白い話がある。これは私の知っている歌人の話だが、その歌人の仲間内で自殺した歌人がかなり多いので、知人に俳人がいるので俳人はどうかと聞いてみたら極めて稀だという。
    ・勿論これは少ないデータの範囲であるので、一般には適応できないが、前述した和歌と俳句との自己に対する関係を考えてみると面白い事実である。つまり、
   *如何なる悲痛な境遇でもそれを客観した瞬間にもはや自分の悲しみではない。
   *歌人と俳人とではあるいは先天的に体質、従ってそれによって支配される精神的要素がちがっているのではないかという想像さえ起こし得られる。
    ・上述の俳句に於ける作者の特殊な立場は必然の結果として俳句に内省的自己批評的あるいは哲学的な匂いを附加する。
   *「風流」といい「さび」というのも畢竟は自己を反省し批評することによってのみ獲得し得られる「心の自由」があって、はじめて達し得られる境地であると思われる。
   *風流とかさびとかいう言葉が通例消極的な遁世的な意味にのみ解釈され、使用されて来た。これには歴史的にそうなるべき理由があった。
   ・すなわち仏教伝来以後、国民に浸潤した無常観が自然の勢いで俳句にも浸透したからである。しかし自分が見るところ、これは偶然のことで、俳句の精神と本質的に連関しているとは思えない。
   ・仏教的な無常観から解放された現代人にとり積極的な「風流」、能動的な「さび」は幾らでも可能と思う。
   ・日常激務に忙殺される社会人が、週末の休暇にすべてを忘却し高山に登る心の自由は風流であり、営利に急なる財界の闘士が、早朝忘我の一時間を菊の手入れに費やすのは一種の「さび」でないとは言えない。
   *日常生活の拘束から我々の心を自由の境地に解放して、その間にともすれば望ましき内省の余裕を享楽するのが風流であり、飽く処を知らぬ欲望を節制して足るを知り分に安んずることを教える自己批判がさびの真髄ではあるまいか。
   *俳句を修業するということは、以上の見地から考えると、退嬰的な無常観への逃避でもなければ、消極的な諦めの哲学の演習でもなく、また独りよがりの自慰的お座敷芸でもない。
   *それどころか、ややもすれば吾々の中のさもしい小我のために、失われんとする心の自由を見失わないように、監視を怠らない吾々の心の眼の鋭さを訓練するという効果を、もつことも不可能ではない。
   *俳句の修業はその過程として先ず自然に対する観察力の練磨を要求する。

   ・俳句を始めるまでは、自然界の美しさに全く気付かず、いったん俳句に入門すると、まるで暗闇から飛び出たように眼前の自然の美しさが展開する。どうして今まで気付かなかったのか不思議に思う、これが修業の第一課である。
   *しかし、自然の美しさを観察し自覚しただけでは句はできない。
   *次にはその眼前の景物の中からその焦点となり象徴となるべきものを選択し抽出することが必要である。
   *これはもはや外側に向けた目だけでは出来ない仕事である。自己と外界との有機的関係を内省することによって始めて可能となる。
   *句の表現法は言葉や、てには(てにをは)の問題ばかりでなくて、やはり自然対自己の関係の如何なる面を抽出するかという選択法に係わるものである。
   ・このような選択過程は作者が必ずしも意識してやるわけではないが、そういう選択の能力は修業によって熟達の出来る一種不思議な批判と認識の能力である。
   ・こういう能力の獲得は、一人の人間の精神的所得として、安直で無価値なものとは思わない。
   *一般的に云って俳句で苦労した人の文章には無駄が少ないという傾向があるように見える。   
    ・これは様々な理由が考えられるが、私は書く事の内容の取捨選択について積まれた修業効果が根本的な理由ではないかと思っている。
    *俳句を作る場合の主たる仕事は不用なものを伐り捨て切り詰めることだからである。
    *こういう風に考えてくると、俳句というものの修業が、決して花がるたや麻雀のごとき遊戯ではなくてより重大な精神的意義をもつものであるということが朧気ながら分って来る。
    ・それと同時に作句が決して生易しい仕事ではないことが想像されるであろう。
    *俳句の修業はまた一面においては日本人固有の民族的精神の習得である。
    *本篇の初めに述べたように俳句という特異な詩形の内容と形式の中に日本民族の過去の精神生活のほとんど全部がコンデンスされエキストラクトされている。

    *これが外国人に俳句の分らない理由であると同時に日本だけに俳句が存在しなければならなかった理由である。
    *同じ理由から俳句を研究することは日本人を研究することであり、俳句を修業する事は日本人らしい日本人になるために、必要でないまでも最も有効な教程であり方法である。
    *これは一見誇大な言明のようであるが実は必ずしも過言でないことは、この言葉の意味を深く玩味される読者には自ずから明らかであろうと思われる。
    *こういう意味で自分は、俳句の亡びない限りは日本は亡びないと思うものである。

  附言
    *以上は自己流の俳句観である。
    *現代俳壇の乱闘場裡に馳駆(ちく)していられるように見える闘士の方々が俳句の精神を如何なるものと考えておられるかは自分の知らんと欲して未だよく知り悉(つく)すことの出来ないところである。従って上記のごときは俳壇の諸家の一燦(いっさん)を博するにも足りないものであろうが、しかし全然畑違いのディレッタントの放言も時に何かの参考になることもあろうかと思って、ただ心の赴くままを誌してみた次第である。多忙と微恙(びよう)に煩わされて甚だ纏まりの悪い随筆になってしまったのは遺憾である。
                (昭和十年十月、改造社『俳句作法講座』第二巻)