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参考資料室
連句を巻いてみよう(連句入門U)
市川 千年

東京義仲寺連句会「ああノ会」会員・芭蕉会議世話人 市川浩司(俳号・千年)

一、再び、連句(俳諧之連歌)とは?(復習)

  雨霽れて別れは侘びし鮎の歌

 この句は、作家の中村真一郎が同年輩の詩人仲間と巻いた、立原道造追悼歌仙の発句。「鮎の歌」は立原道造の作品名。(「別れは、はなはだかなしかった」で始まる)。ああノ会の村野夏生主宰が、この歌仙の所在を中村氏に聞いてほしいと関係者に頼んだところ、「現在は所在不明。第一、故人追悼の歌仙だ。あっても発表など出来ないよ」と優しく、しかし厳しく言われたそうです。
「俳諧は吟呻(ぎんしん)の間の楽しみなり。これを紙に写すときは反故(ほうぐ)に同じ」(芭蕉)(『俳諧問答』)

◎連句の基本理念は「変化」と「対話」。一巻の変化(展開の多様性)と調和のため、同季・同字・同類語が接近してあらわれないよう式目(去嫌・句数)という決まりがある。
「連句は、長句(五・七・五)と短句(七・七)を交互にくりかえし連ねてゆく文芸形式である。連句の進行をおもしろくするには、まず「三句のわたり」に留意しなければならない。三句とは、与えられた〈前句〉、それに付ける〈付句〉、前句の前の句(打越(うちこし))の三つをさす。作者は前句から連想して関連のある情景・場面を付けるのだが、その際に打越にもどらず、新たな展開をはからなければならない。芭蕉が「一歩もあとに帰る心なし。行くにしたがひ心の改まるは、ただ先へ行く心なればなり」(三冊子)と説いたのは、その付け方の呼吸を言ったもので、付句は常に打越から離れて、先へ先へと新たな変化を求めてゆかなければならないのである。」(丸山一彦「連句の楽しさ」 丸山一彦・わたらせ連句会編著『句集 無絃琴 連句 故旧輪唱』より)
*Cの長句の打越がAの長句。(二巻ある木のもとに歌仙の発句・脇・第三)
A木のもとに汁も膾も櫻かな 芭蕉  A木のもとに汁も膾も櫻かな 芭蕉
B明日来る人は悔しがる春  風麦  B西日のどかによき天気なり 珍碩
C蝶蜂を愛する程の情にて  良品  C旅人の虱かき行春暮れて  曲水
    (元禄三年三月二日 於・伊賀) (元禄三年中・下旬。於・近江膳所)

○連句の付合(運び)の力学の認識について(付く・付かないということ)

「俳諧(連句)は茄子漬の如し、つき過ぎれば酢し。つかざれば生なり。つくとつかざる処に味あり」(根津芦丈)
「連句は付き合った二つの句の間に漂う何物かを各人が味わうものですから、前句と付句があまりピッタリしていては(意味的・論理的に結合されていては)それこそ味も素っ気も出て来ません。・・・発句に対する脇のようなぴったり型の付句ではなく、脇に対する第三のような飛躍型の付句が望ましいのです。」(山地春眠子)
「必然的な因果関係によって案じた句→付け過ぎ(ベタ付け)、偶然的な可能性の高さで案じた句→不即不離、偶然的な可能性の低さで案じた句→付いていない」(大畑健治)
◎要するに、付かず離れず。車間距離ならぬ句間距離の塩梅が連句の付け味の味噌。前二句(前句と打越の句)の醸成する世界から、別の新しい世界を開いていく意識(行為)が「転じ」(連句の付合)ということ。

 「むめがゝに」歌仙付合評一覧
初表
 1むめがゝにのつと日の出る山路かな 芭蕉(発句 初春)
   (かるみ→おおらかでさらりとした発句)
 2 処どころに雉子の啼たつ     野坡(脇 三春)
   (ひびき→発句の「のっと」に「なきたつ」が音調・語感のうえでひびき合う)
 3家普請を春のてすきにとり付いて   仝(第三 三春)
   (匂付→雉子の鳴きたつ勇壮で気ぜわしげな気分を、金槌や鋸の音で活気にあふれた普請はじめの心はずむさまで受ける)(変化→発句・脇の山路の景を巧みに山里の人事へと転じた第三らしい展開)
 4 上のたよりにあがる米の値    芭蕉(雑(無季))
   (匂付・心付→前句、棟上げの祝いをする農家の景気がよろしきさまに上向きの米相場を付ける)
 5宵のうちばらばらとせし月の雲    仝(三秋)
 (匂付=移り→前句の物価騰貴の不安の余情の移り)(変化→前句の農家の立場から都会人(江戸町人)の立場へ転換)
   6 藪越はなすあきのさびしき    野坡(三秋)
    (匂付・心付→前句を秋の夜更けの光景とみて、その夜景の月を眺めつつ藪を隔てて話しているさまを趣向。)(変化→前句の秋の天候の不安な気分から秋夜の雅趣への転じ。)
初裏
 7御頭へ菊もらはるゝめいわくさ   野坡(三秋)
   (前句の対話の内容に何か愚痴っぽいものを感じとっての付)
 8 娘を堅う人にあはせぬ      芭蕉(雑 恋)
 (有心(匂)→丹精こめた菊への愛惜の情を大切な娘の上に移す。)(恋・其人→前句を物堅い老人とみて、その気性を付けた。)
  (「カノンとしての連句批評」堀切実編 『國文学 俳諧のポエティカーカノン、コラボレーション、そして笑い』學灯社 平成十五・七月号)
 
 ▼前回とりあげた「菜の花や月は東に日は西に 蕪村/山もと遠く鷺かすみ行 樗良/渡し舟酒債(さかて)貧しく春暮れて 几菫」の三句のわたりに対する水原秋櫻子の認識。
「樗良の句、几菫の句、共に蕪村の句に比較すれば、大きさといい、気品といい、段ちがいの感がある。全く圧倒されて手も足も出ないというのはこのことであろう。」(『蕪村秀句〈新版〉日本秀句2』水原秋櫻子 春秋社 平成一三)
○秋櫻子先生は連句の付合を知らなかったのだろうか?

二、実践

 連句の付合を芭蕉、寅彦の句を発句として皆様に試していただいた。まず、脇の付け方としては、脇五体(打添付・相対付・違付・心付・頃留)ということがいわれている。しかし、脇句の本質はあくまでも発句を立て、その余意・余情を述べるものであるから、それを主とする打添付が中心である。また、前句の意味を全然無視したのでは、どんな付句も成立しないという意味で「心付ならぬ句あるべからず」という古人の言葉がある。芭蕉「体格は定がたし」(三冊子。付句の型はこれこれだと限定することはできない)

古池や蛙飛こむ水の音 芭蕉

@青柳ゆれてひとりふりむく 美登里
Aどじょっこすまし先忙ぎ行く 美登里
B波もんひろげてしぶき立つ 政夫
C波もんにゆれて水すまし立つ 政夫
Dのどかな日々も化し土の仲 政夫
E柳条の芽は風に寄り添い 楓
F桜木の熱聞く昼下がり 楓
G天突き抜けて幼等の声 楓
H小野道風筆先くるう 弘道
I土佐の空にもオスプレイ飛ぶ 弘道(違付・発句の境地と全く異なるものを付ける)
Jふと立ちのぼる丁字草の香 禎子(香 聴覚に対して嗅覚)
K空をかすめて飛ぶ河烏 禎子
Lあめんぼ以外知る者もなし 禎子(心付 発句の意味・由来をよく考えて付ける)
M待ち受け画面黄蝶ひとつ 佐和子(元禄時代にない言葉「待ち受け画面」)
N昨日の事は暗闇に消し  佐和子(人情・自)
O風に舞い散るリラの香り 野薔薇(香 聴覚に対して嗅覚)
P蝌蚪の群れが三寸逃げる 野薔薇
Q新聞少年走り出す頃 千年(頃留・頃という留字(とめじ)を使う)
Q「新聞少年の句には春の季語がないじゃないか」A「新聞少年走りだす春」
こういう付け方を「投げ込みの「春」」という。
Rふはりふはりと蒲公英の種 千年(違付)
S春月かかる方丈の庭 千年(発句を寺とみて。相対付 発句に相対するものを付ける)

○「また、「猿蓑に脇三つを三体に仕わけてなし置きたり。心付けて見るべし」(芭蕉)となり」(三冊子)
市中は物のにほひや夏の月   凡兆(物臭い町中を夏の月が照らしている) 
  あつしあつしと門々の声   芭蕉(家々の門前に暑がる夕涼みの声 人情・他)

灰汁桶の雫やみけりきりぎりす 凡兆(灰汁桶の雫の音も途絶え蟋蟀が泣き出す)
  あぶらかすりて宵寝する秋  芭蕉(油も尽きて灯火も消え宵寝をする秋 人情・自) 

鳶の羽も刷ぬはつしぐれ    去来(鳶が羽をかいつくろう初時雨の中)
  一ふき風の木の葉しづまる  芭蕉(一陣の風が木の葉を巻き上げて静まる 場)
  
 付け方、転じ方のヒントになる自・他・場。自の句=自分のことを詠んだ句。他の句=自分以外の他者を詠んだ句。自他半の句=自分および他者を同時に詠んだ句。場の句=人情無しの句で、景色や全く客体化された世相などを詠んだ句。自・他・自他半・場の捉え方は、変化するための(打越を避けるための)「付所を案じる手がかり」になる。(立花北枝「付方八方自他伝」)(『俳諧の連歌 研究と創作の間』大畑健治 平成十 都心連句会)

通されて二階眩ゆき若葉かな 寅日子(自他半)

@孫の名つけはみどりと決めて 美登里(自)
A武者人形のほおも染まりけり 美登里(場)(武者人形の頬をも染まれり七七に)
B水田覆う白鷺の群れ 美登里(場)
Cもゆるみどりに寄する落葉 政夫(場)
Dみどりの果は人心とう 政夫(自)
E色ます影に夏ゼミしぐれ 政夫(場)
F床に一輪花の紫 楓(場)
Gくんず解れつ蝶の飛び行く 楓(場)
H南部鉄器の風鈴を見る 楓(自)(南部鉄器の小き風鈴 場)
I仰げば空は真鯛に緋鯉 弘道(自)
J窓を開ければ青き稜線 禎子(自)
K潮の香のする風吹き抜ける 禎子(場)
L缶ビール開け足もみほぐす 禎子(自)
M老女のぐちをポケットに入れ 佐和子(自他半)
N五体広げ雲と遊びし 佐和子(自)
O露天風呂にザブリと潜る 野薔薇(自)
P皿の上には初鰹 野薔薇(場)
Q皿に盛られし小夏芳香 千年(場 内)
R太郎と染めし幟はためく 千年(場 外)
S祭衣を纏い一服 千年(自)(「祭衣をまとい談笑」なら自他半 「祭衣の歩く路地裏」なら他 「祭衣のかかる鏡台」なら場)

○今度は式目を尊重する捌きの視点で第三の付け句をみる。(打越を避ける(打越と同じことは言わない)。表六句には神祇・釈教・恋・無常・地名・人名は嫌う。但し発句にはそのような制限はない。)

古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉
  芦の若葉にかゝる蜘の巣 其角

@月待てば水面に映る恋し面影 美登里
Aみずしぶき波もんくゞりて行く蛙 政夫
B糸よせて巣ずくる蜘に見いる人 政夫
C湧き水にやごの脱け殻二つ三つ 楓
D鴛鴦の川面に遊ぶ昼下がり 楓
E児等の声天突き抜けて水温む 楓(「水温む」を例えば「風光る」に)
F薫風に「フラフ」はためき元気な子 弘道
G谷崎の本に疲れてわらび餅 禎子(「谷崎」を「横文字」「数学」に変えて生きるか)
H地下鉄の闇の向こうに目をこらす 禎子
I真新らしランドセルらがはねてゆく 禎子
Jひとひらの稚(わか)木(ぎ)の桜本に閉ず 佐和子
K遺されし大皿の中に山桜 佐和子
L春落葉何も云わずに旅立ちし 佐和子(「旅立ちし」を「旅立たむ」(自)に)
M子ども等が願いをこめる花祭り 野薔薇(花祭=仏生会=釈教)
N春闘はもがき続けてするりと抜ける 野薔薇
Oフランスへ柚子の輸出の始まって 千年(「フランスへ」を「外つ国へ」。「柚子」を「レタス」)
P通されてゆるりと語る月の客 千年(月は秋の季語。「通されて」を「春の夜」に)
Q心ある人と遊ばん鳥雲に 千年(異生類は越を嫌わず 木類と草類等)

○また、四句目(七七)をつけてみる。(「四句目は軽く詠む。四句目から挙句の前までの句を平句という。平句には切れ字は用いないのが普通である。(四句目の打越は脇句)」(『連句・俳句季語辞典 十七季』三省堂)

通されて二階眩ゆき若葉かな 寅日子(自他半)
  まゐらす茶にも夏空の雲   行人(自他半)
(行人=尾崎喜八 昭和22年に巻かれた寅彦の句を発句とした脇起こし歌仙)

@制服もまだ新しくおさげ髪 美登里(習い初めにしオルガンを弾く 千年)
A百合の白さふるさとの母ふとなぞる 美登里
B単衣出し紅さす小指ほほ染める 美登里
C二人して逢せの里は若葉路 政夫(「二人して」を「初めての」、「若葉路」を「祭笛」)
Dすゝる茶に映る雲ゆれくだけ散る 政夫
E新客をにわか迎えの隠居部屋 楓
F遠来の客を迎えて白湯をだし 楓
G炎天下日除け背負いて草むしる 楓
H目をやれば菖蒲のかげで鯉がはね 弘道
I失った青春ばかり思い出す 禎子(またコンビ二へ下駄を鳴らして 千年)
J白足袋も脱いではじめて息をつく 禎子
K泡立てしメレンゲを焼く昼下がり 禎子
L涼風やひろめ市場の東北弁 佐和子
M帰省子の足跡残る狭き庭 佐和子(横切ってゆく隣人の猫 千年)
N人形に絵本広げる草紅葉 佐和子
O新じゃがを収穫してはカレーつくる 野薔薇
P花畑てくてく歩く家族連れ 野薔薇
Qホトトギス牧野の里に果てもなし 千年(「牧野」を「長寿」)
R海亀を呼べば出てくる岬あり 千年(主客の応対の世界から旅の場所へ転じた)
Sこの頃はギター爪弾くこともなし 千年(主客の目に見える応対から心象風景に転じた)