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参考図書室
講演:学び続ける
谷地元 瑛子

来年65歳になります。高校一年生だった年からかぞえて50年になるのです! みなさんとの年の差はぴったり50歳です。

皆さんの前には洋々と、あるいは茫洋と未来がひろがっていることでしょう。50年がうしろにあるわたしと50年が前にあるみなさんの対比はおもしろいですね。女子高生というごく短い特別な期間を皆さんは生きています。高校生は大人とこどもの中間、感受性の感度が最良で、人柄の芯がやわらかく発芽する可能性にみちた年頃だと思います。いま一生学び続ける基礎を作って下さい。学校はほんの入り口にすぎません。言葉で深く交流できてこそ人は豊かに生きられるのですが、学ばずして言葉は獲得できません。英語だけでなく日本語も一生勉強です。皆さんにすばらしい出会いがありますように。

俳句をつくった事のなかった私は45歳のときに連句に出会いました。その時初めていかに日本人が古来詩歌を重んじてきたか、日本文化を力強くリードしてきたものは詩歌の美学であること、国家の最高権威者の天皇が詩歌をたしなむばかりか,詩歌の選集を編むという非常にめずらしい国が私たちの日本であることを再認識しました。

高校一年生のころは社会に出て自立したいとばかり思っていました。中間はすべて省略、30年経って短大で英語を教えていました。幼稚園から高校までは教員免許が無いとだめですが、大学で教えるための免許は存在しません。大学はひたすら運と実力の世界なのです。その時に連句という文芸に出会いました。これが一生学び続ける自分のフィールドになりました。日本の文芸である連句を世界にひろげる運動に身を投じたというと大げさでしょうか?45歳にしてようやく私の心はかなり定まりました。自分のこの世での仕事に出会えたからです。英語を語学とだけ捉えて試験のスコアを競うことは処世の域をでず、テストが終われば無意味になりがちです。けれど英語で詩をつくり、その表現で世界の人と社交辞令レベルではなく人情の機微や内面を照らす精神性でつながることは喜びをもたらします。句を付けるたびにともに鑑賞し合って最終的にひとつの連句詩を織り出すことは豊かな人間関係を生み出します。国際連句は私のライフワークとなりました。もちろん、チャレンジング、つまり簡単ではありません。けれど上智で習ったロシアの小説も、アメリカで習った英語の詩も、ここ清泉で習った万葉集も、自分で出会った正岡子規や坂口安吾や宮沢賢治の世界などなども全て活かせるのが国際連句なのです。

皆さんは将来のことをおぼろげに想像することがあるでしょう。ひとつ言えるのは結婚し、母となると,女性は自分の人生をナビゲートしにくくなるということです。男性とはいまだにこの点が違います。けれど皆さんには結婚する、しないに関わらず、是非自分の一生のしごとをみつけ、自分の運命を自分で切り開いてほしいのです。ライフワークを持って前向きに生きれば自分の心身を整えられる、新しい出会いがある、世界にひらかれた挑戦がある,時にはお金のもらえる仕事も舞い込む、さらに生活リズムを守るセラピ効果もある、広い世界から厳しい批判も受けるのですから、何歳になっても精神的に成長できます。私たちの会は国際連句協会という名前ですが、英語の略称のAIRで世界の俳句愛好家に知られております。

それではここから皆さんが将来いきいきとした国際人になることを期待して、英語の詩を紹介します。国際連句をする以上英語の詩を知らなければなりません。

This is just to say
William Carlos Williams

I have eaten
the plums
that were in
the icebox

and which
you were probably
saving
for breakfast

Forgive me
they were delicious
so sweet
and so cold

まるでこれは冷蔵庫に貼付けてある書き置きですね。どうしてこれを詩とよべるのでしょう。思いがデザインされた勢いのある言葉になっていれば詩です。
目でみても4行づつ3連で、印字の配列もきれいです。声に出してみれば,
はぎれのよい単語がもたらす清潔感と弁解めいた論旨が絶妙な味をだしている
おしゃれな詩であることがわかります。一般に詩の訳はむずかしいですが、ちょっとやってみましょう。

ちょっと云っておくね
ウイリアム カルロス ウイリアムズ

冷蔵庫に
あった
スモモを
食べたよ

多分あなたが
朝食用に
とっておいたー
んだろうな

ごめんね
おいしかった、
甘いし
とっても冷たかったよ

二人は結婚していて、よく整理された清潔な冷蔵庫を共有していますね。
ごめんと言っていますが後悔は特にしていない様子です。言葉少なに書くスタイルは何かに似ていませんか? 19世紀の英語詩はロマンチックにことばを重ねたものが主流でした、頭韻や脚韻を規定通りに踏んで、比喩表現や象徴を駆使、また論理構成にもめくばりして精巧に作ったのです。
ところが20世紀の初頭になって、イマジズムという潮流がおこり、もっとシンプルに直接的に短く表現する詩に関心が向いたのです。イマジストたちは当時のジャポニズムの影響もあって、日本の短詩、ハイクに大変深い関心を寄せました。そのなかで一番有名な人がEzra Pound でした。このパウンドの友人が小児科医でもあったWCウイリアムズです。WCWのわかりやすい詩は多くの人に愛されました。彼らイマジストの考え方をまとめますと:

『言語は伝達の手段である。その言語に能う限りの意味を充電させるためには次の3つの手段がある。

1. ものを視覚的想像力に投影させる。
2. ことばの音とリズムとによって感情をうごかす
3. 受取り手の意識のなかに残留している連想を刺激する』

これでパウンドが日本の短詩、ハイクに惹かれたのがわかりますね。俳句も
理屈ではなく、写生を大事にし、575のリズムを守ります。その上季語をつかって読み手の意識に残留しているものをひきだし、詩的効果をあげますね。

もうひとつWCWの詩を読んでみましょう。

The Red Wheelbarrow

so much depends
upon

a red wheel
barrow

glazed with rain
water

beside the white
chickens.

一輪車*

土運びの一輪車

これにかかっているんだ

じつに多くの事がね。

雨に濡れてつやつや赤い

一輪車、

白い鶏のとなりにおいてある

一輪車に。

******** *********

*英語でwheelbarrow,日本語ではねこと呼ばれる土砂などを運ぶ時使う手押し一輪車のことです,バランスを取りながら押します

原詩は2行目が単語一個になるようにデザインされていますね。詩人は農夫の気もちを代弁しているのでしょうか。ねこ車がないと農作業は出来ないと云っているのでしょうか。食べ物をつくってくれる農夫が困ればわたしたちみんなが困る、‘存在にかかわる実に多くが一輪車にかかっているというわけです。雨に煙る農場において,濡れてひときわ鮮やかなペンキの色がこの情景を引き締めているとも云っているのでしょう。 白い鶏だけでは絵にならない。 真っ赤な金属製の手押し車のわきにふわふわの羽をもつ鶏がいるのです。シンプルな詩ですが、赤い一輪車によって雨の情景が彷彿としてきますね。皆さんの
視覚的想像力は大いに活性化したでしょう?

こういう短詩が書けるようになれば、英語連句ができます。極短の詩であれば
互いに交換して鑑賞し合う事ができるからです。連句の場合,交換するばかりか、大きなひとつの詩のなかにいづれもが組み込まれてゆくのです。

みなさんは文学は個性の発露であり、詩作は自分の世界に籠ってする創作活動であると考えているかもしれません。けれどことばは本来人にむかって放たれるのです。今度の東日本大震災で被災した福島の或る高校の国語の先生が
ツイッターで詩の礫を直接、不特定多数の人々に発信し続けました。彼の言葉の力は多くの人に届きいま人々を結びつけています。極限の状態にあって
ひとりになってはいけないという叫びが私たちを打ちます。

彼の詩を引用します。

今、これを書いている時に、また地鳴りがしました。揺れました。息を殺して、中腰になって、揺れを睨みつけてやりました。命のかけひきをしています。放射能の雨の中で、たった一人です。

新たな詩人よ 嵐から雲から光から 新たな透明なエネルギーを得て 人と地球にとるべき形を暗示せよ  ( 宮澤賢治 ) 詩友よ。詩を、詩を、詩を書こう。(この部分は和合さん)

4月11日。私はあなたを想っています。土砂降りの中、傘をさして、故郷を追われていくたくさんの影を、丘の上で想っています。馬のいななき、余震。

福島は私たちです。私たちは福島です。避難するみなさん、身を切る辛さで故郷を離れていくみなさん。必ず戻ってきて下さい。福島を失っちゃいけない。東北を失っちゃいけない。夜の深さに、闇の広さに、未明の冷たさに耐えていること。私は一生忘れません。明けない夜は無い。

福島の花の美しさをみなさんにご紹介したいです。いつか、福島に来て下
さい。願っています。おやすみなさい。福島で生きる 福島を生きる

花を咲かせるには、未来が必要だ。子どもたちは、私たちの夢。昨日の帰りのタクシーでは、遅い夕暮れの山の姿を見た。守らなくてはいけないもの。語りましょう、交わし合おうよ。何を。言葉を。今が、最も言葉の力が必要なとき。一人になってはいけない。

実は、日本の文芸である連歌・連句は歴史上の動乱期にさかんに
なったのです。貴族が典雅なお堂で集うだけでなく、一般の人や旅人が道端の花の下で句をつけあったのです。

連歌/連句では句と句の間が大切です。行間にことばにならない思いを籠めるのです。ここで前句の作者のこころと次の句の作者のこころが出会うからです。お互いの句の共鳴を味わう境地が動乱や災害におびえる人々のこころを落ち着かせたのだと思います。むすび付けたのだと思います。

皆さんは宗教の時間に『三位一体』を習いましたか? いまは宗教の時間は
ないのかもしれません。私たちのときはこのことばを何度も習いましたが、
さっぱりわかりませんでした。連句をやって漸くわかるようになりました。
世界の人々に信仰されている宗教の数はいくつあるのかわかりません、キリスト教だけが神様でさえ,父と子と聖霊のあいだに絶えず愛の交流がある、
交流なしには神でさえ存在できないと教えている宗教なのです。

今回の大地震で多くの被災者だけでなく、私たちも今までの価値観を見直す
ほどの衝撃をうけています。大津波、原発の同時多発長期事故はいままでのことばでは表現できないほどの苦しみを私たちの社会にもたらしています。

多くの人々が悲しみの涙にくれています、悲しみを受け止めた上で、こころのバランスをとり、勇気をもって一日一日成長してゆく人間でありたいとおもいます。これは年齢に関係ありません。

何歳になっても学ぶ姿勢を持っていてこそ,人と深いところで出会い、
互いから学びあい,絆をつよめることができるのです。 そしてひとが人らしく生きるとき、生きた自分の言葉を持っている事は強みです。
二カ国語で表現できればさらに絆が広がり,深まるのです。

試験のための勉強に終わらせてはつまりませんよ。

最後にアメリカの現代女性詩人の詩を読みましょう。国際連句で知り合ったアメリカ人に教わりました。

Wild Geese
Mary Oliver
You do not have to be good.
You do not have to walk on your knees for a hundred miles through the desert, repenting.
You only have to let the soft animal of your body love what it loves.
Tell me about despair, yours, and I will tell you mine.
Meanwhile the world goes on.
Meanwhile the sun and the clear pebbles of the rain are moving across the landscapes, over the prairies and the deep trees, the mountains and the rivers.
Meanwhile the wild geese, high in the clean blue air, are heading home again.
Whoever you are, no matter how lonely, the world offers itself to your imagination, calls to you like the wild geese, harsh and exciting--over and over announcing your place in the family of things.
(優等生でなくていい/苦行を積まなくてもよい/体の中にすんでいる
ソフトな生き物を自由にしてあげてほしい、すきなものを愛させてほしい/絶望?/わたしの絶望も語りましょうか?/けれどそうしている間、太陽も雨粒も大平原、深い森、そして山も河もよぎって動いてゆくし、雁たちは青空を切って渡ってゆく/あなたが誰であっても、たとえどんなに孤独でも、世界はあなたに開かれている、想像たくましく雁たちの声を聞こう,ものみな繋がるこの世界にあなたの場所のあることを何度も何度もあのエキサイティングでしわがれた声があなたに告げているのだから。)

自分を決して絶対とせず、広い世界に放つ連句はメアリーの世界観に重なります!

________
(おまけの歌詞)

人は島ではない、孤立してはならないという思想は西洋にもありました。(詩人にしてイギリス国教会、ロンドンセントポール教会の司祭を勤めたジョン=ドーンの『人は島嶼にあらず』いう言葉がよく知られています。その伝統の中で『僕は岩だ』という歌詞を書いたのが80年代の人気グループ、サイモンとガーファンクルのポール=サイモンです。反語がじつに効いています!

I am a rock
Simon and Garfunkel

A winter's day /In a deep and dark December;
I am alone,
Gazing from my window to the streets below
On a freshly fallen silent shroud of snow.
I am a rock,
I am an island.

I've built walls,
A fortress deep and mighty,/ That none may penetrate.
I have no need of friendship; /friendship causes pain.
It's laughter and it's loving I disdain.
I am a rock, I am an island.

Don't talk of love,
But I've heard the words before;
It's sleeping in my memory.
I won't disturb the slumber of feelings that have died.
If I never loved I never would have cried.
I am a rock, I am an island.

I have my books And my poetry to protect me;
I am shielded in my armor,
Hiding in my room, safe within my womb.
I touch no one and no one touches me.
I am a rock,I am an island.

And a rock feels no pain;
And an island never cries.

(十二月の暗い日,僕はひとり、窓から下の通りをみている。雪がつもった通りを。/僕は岩,僕は島/僕は壁を作る,堅固な砦を。僕には友情は要らない,友達とのおしゃべりや笑いなんかうんざりだ/僕は岩,僕は島/愛の話は止めてくれ,昔聞いたよ。死んだ感情をよび醒まそうとは思わない。愛してさえなければ傷つくこともなかったのだ/僕は岩/僕は島/僕には本がある,僕を守ってくれる詩もある。・自分の殻、自分の部屋に籠っていれば安全だ/誰も僕にさわらない・僕もだれにも触れない。/僕は岩,僕は島/岩は痛みを感じない,島は決して泣かない。)。

〔附記〕本稿は平成23年6月6日、鎌倉市の清泉女学院高等学校(階段教室1)において行われた「総合学習・卒業生高一講座」の講演をまとめたものである。この講座は清泉女学院高等学校とラファエラマリア会の共催による。