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参考図書室
『出航』俳句に見る「取合せ」
安居 正浩

 皆さんは日頃俳句をどんなふうに作っておられるのだろうか。1.自然を見てまた日常の生活の中で、全くの無から五七五を生み出そうとする人、2.歳時記から好きな季語を見つけてそこから発想を膨らます人、3.いいフレーズを先に見つけて、うまく合う季語を探す人など色々だろう。
1は実体験派、2・3は書斎派と言えるかもしれない。
そして2・3のケースで意識しているかどうかは別にして、「取合せ」という方法が使われている事が多い。
 「取合せ」とは何か。『俳文学大辞典』には「二つの題材を効果的に配合し、その相互映発により詩趣を醸成する方法」とある。簡単に言えば「雰囲気の違う言葉(季語を含む)を二つ合わせて、別の世界を生み出す俳句の手法」とでも言えようか。
最近の『出航』第36号から具体例を拾ってみたい。
まず森岡主宰の句では
  青水無月樹下に研ぐべき志
  半生のうかと過ぎけり冷奴
  心太黙つてばかりもゐられまい
などが「取合せ」と言える。
 一句目は「青水無月」と「志」が、二句目は「半生」と「冷奴」、三句目は「心太」と自身の心境が「取合せ」になっているのがおわかりいただけるだろう。そして一句目と二句目は「樹下に研ぐべき」と「うかと過ぎけり」が上五と下五をうまくつなぐ役割を果たしている。三句目では「心太」と心境がストレートにぶつけられている。「取合せ」の言葉それぞれは直接の関係はないのだが、どこかで響きあっている。ただこの響き合いは読者の読みにゆだねられているので、鑑賞が多様になる可能性もある。この多様性がまた句の魅力を増すとも言える。
 許六の『俳諧問答・自得発明弁』で芭蕉は「取合せ」について次のように言ったという。
「発句は畢竟取合物とおもひ侍るべし。二ツ取合て、よくとりはやすを上手と云也」
(訳・発句とは結局取合せものと思いなさい。二つのものを取合せ、上手にとりはやすのを名人というのだよ)
 弟子の聞いた言葉なので、鵜のみにするのは危険だが、芭蕉が「取合せ」を重要な手法として考えていたことは間違ない。また傍線部分の「上手にとりはやす」とは、先に述べた「樹下に研ぐべき」と「うかと過ぎけり」の果たしている、うまくつなぐ役割のことと考えればいいだろう。
 このように森岡主宰も詠み、芭蕉も推奨しているのだが、『出航』では「取合せ」の句は明らかに少ない。多分主宰の抒情的な傾向が全体に行きわたっており、「取合せ」と対照的な「一物仕立」(一つの材料だけで一句をつくる句作法)の句に魅力を感じている人が多いのであろう。
 数少ない「取合せ」の句の中で、成功していると私が思う句をいくつか上げてみたい。
  からつぽの香水の瓶業平忌   大森春子
は、「空の香水瓶」と「業平忌」の取合せ。どこがいいかとの説明は中々難しい。何故香水なのか、何故からっぽなのか。しいて言えば、香水と色好みの業平のつながりとでも言えようが、読者の読みに任せた方が様々な良さが見えてきそうだ。
次の三句はもう少し鑑賞しやすい。
  鳥兜吾が心にも善と悪       松野とみ
  何れかが何れはひとり麦の秋  山下雅子
  梅雨晴や優先席の忘れもの   川村惠子
 松野さんの句は、鳥兜の持つ毒が、善と悪という発想になったのであろうし、山下さんの句は限りある人生と麦秋の寂しさが響き合う。また川村さんの句は梅雨晴の気分と、老人が座席に残した忘れものの取合せがちょっとコミカルな味を出している。
それぞれ「取合せ」をすることで、思いが読み手に伝わってくる句になった。他にも
  浮く野菜浮かぬ野菜や半夏生  菊川俊朗
  塀に球投ぐる少年梅青し     小林 純
  生くるとは迷ふことかも蝸牛   町田次郎
  桜桃忌少し平和に慣れすぎて  神山節子
  山影の幾重にも晴れ原爆忌   沼田雅子
  紫陽花やここに大船撮影所    尾之上敏美
  さくらんぼ転校生のませてをり  福島 茂
  πと書く円周率や蟻の列      遠藤吉隆
  うそ泣きを覚えし幼児花うばら  福田秀子
  空蝉や母の胎内われ知らず   雪 虫
  空檻に獣のにほふ半夏生     鏡渕 操
  靴裏にガムの張り付く大暑かな 池田朱実
などは成功しているのではないか。
 一方で「取合せ」の形になっているものでも、季語がそのまま説明されているもの
    水澄みてころがる石や鮎の川
    愛称で呼び合ふ古老夏祭
    街並みも霞んで見ゆる大暑かな
    人去りてほのかに冴ゆる夕桜
や、内容が季語とつながり過ぎているもの
    生きるとは歩くことなり炎天下
    鮎解禁老舗に並ぶ鮎の菓子
    雲影のみるみる流れ青田風
    今日一日主婦を忘るるサングラス
 も散見された。句はよくできていても、印象は薄いことに気が付かれるはずだ。
 
 「取合せ」はうまくはまれば読み手を感動させられるが、一人よがりになることもある。それだけに成功した時の喜びは大きい。
 俳句の詠み方にこれが一番というものはない。「一物仕立」の句でも
     虹の根をこれから掘りにゆくところ 金子敦
のような面白い句も出来る。
 ただ『出航』の皆さんは、もう少し「取合せ」に、それも離れたもの同士の「取合せ」に挑戦してみてはどうだろう。いろいろな句のある方が作品の幅が広がると思う。そして俳句を作ることに新たな楽しさが生まれるに違いない。                           
(俳句雑誌『出航』第37号より転載)