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参考図書室
現代俳句の切れについて
堀口 希望

一、はじめに
  「沖」の俳句は切れがあまい、という評をときどき耳にする。
  過日、図書館で調べものをしていたら『俳句は十七音字と「切レ」とで成立する詩である』(清水杏芽・平成11年・沖積舎)という本が目に付いた。著者は、俳句は十七音字・季語・切れを三要素とするが、十七音字も季語も詩を生む力を欠いており、「只有形無形の『切レ』のみが詩を生む力を持ち、十七音字と季語を含めて詩である俳句を生んでいる」と述べている。
  そして、能村登四郎の〈長靴に腰埋め野分の老教師〉は「老教師」で切れているとする石田波郷の解説を批判し、また、飯田龍太の〈大寒の一戸もかくれなき故郷〉は「故郷」で切れているとする草間時彦の解説を批判している。要するに両句は「老教師」「故郷」で切れていないというのである。切れていないから俳句でない、と主張しているのだろうと理解した。
  また、俳人協会の機関紙「俳句文学館」の第400号(平成16年8月5日)に渕脇護は「切れ字の危機」という一文を書き、「や」「かな」「けり」を使った俳句はご老体の慰み物めいているが、「しかし、依然として俳句では『や・かな・けり』を中心とする『切れ字』が、俳句の全生命を左右する」と主張している。
  一方、筑紫磐井は雑誌『俳句』(平成15年3月号)の「現代俳句時評―現代俳句と切れ」の中で「〈上五に切字「や」を置き下五を名詞止めにする句〉を典型的な切れのある句と考えれば、登四郎は現代俳句は切れを持たないほうがよいと考えていたことになる。実際、能村登四郎は伝統俳人の中でも切れのない俳句が顕著であり、むしろ積極的に現代俳句は切れのない俳句から生れると見ていた節がある」と述べ、切れの無さを肯定的にとらえているように思われた。
  このような諸説に触発され、現代俳句においては「切れ」の有無をどう考えたらいいのか、自分なりに答を出してみたいと思ったのが、この小論に取り掛かった動機である。

二、芭蕉までの切字論
  私が問題にしているのは現代俳句における「切れ」である。しかし、現代俳句は芭蕉に代表される「俳諧の連歌」(以下、俳諧という)の発句に由来し、俳諧は平安時代末期に発生した連歌を踏襲したものである以上、現代俳句の「切れ」を考察するについても連歌の発句に遡らざるを得ない。ここでは、論旨上必要最少な範囲で連歌の発句の「切れ」(連歌の時代の言い方としては、「切字」であるが)について触れたいと思う。
  連歌の発句の切字について論ずる場合、どの論も必ず最初に触れるのは『八雲御抄(やくもみしょう)』(順徳院)である。『八雲御抄』は鎌倉時代の歌論書であるが、その中で既に「発句は必ずいひきるべし」と述べている。
  では、「いひきる」(後世の「切る」と同義語)とはどういうことか。これについて川本皓嗣は二つの意味があり、二つは表裏一体の関係にあるという(『俳句教養講座俳句の詩学・美学』平成21年・角川学芸出版)。一つは「最後まで言い終わり、叙述を完結させること。具体的には、ひとまずセンテンスを終止させること」であり、もう一つは「第二句以下の助けを借りてはならない、後続の句とはきっぱり『切れよ』ということ」であるという。川本はこの二つを「一句としての完結性」と「第二句からの独立性」と端的に表現している。
  こう言えば、どんな文章であれ、詩であれ、歌であれ、句であれ、完結性と独立性を持つのは当たり前だ、と思われるかもしれない。しかし、連歌においても俳諧においても、一句として完結し独立しているのは発句だけであり、第二句(脇句)以下は独立せず、前句とセットになって一つの世界を形づくり次の句にバトンタッチするのである。     
  『八雲御抄』から約百年後(足利尊氏の時代)の連歌学書『連理秘抄』(二条良基)は「かな」「けり」「らむ」をもって切字(という言葉は使っていないが)を例示しており、その後も時代を追って切字の数は増えていった。
  切字の目的を別の面から見れば次のように言うこともできる。
  川本は言う。連歌の発句には切字以外にもいくつかの制約がある。短句(七七)でなく長句(五七五)であること、季語が入ること、格調が高いこと等である。しかし、奇数番目の句はみな長句であるし、雑(ぞう)の句以外にはすべて季語が入るから、長句と季語だけでは発句か付句か区別が付かない。格調が高いことも発句の条件であるが、格調の有無は読む人の解釈や印象に左右されるから客観的な価値基準とはなり得ない。そういう事情で、切字が工夫された。発句は必ず切字を用いる、発句以外には切字を使わない。すなわち、切字があれば発句、なければ付句であると。

三、芭蕉の切字論
  俳諧のルールは連歌を踏襲したものであり、テキストとしても『八雲御抄』『連理秘抄』などの歌論書や連歌論書を用いてきた。切字」についても同様で、いかなる文字をもって切字とするか限定し、その文字を使えば発句、といういわば形式論に終始していた。
  しかし、芭蕉に至って切字論は質的に変化した。すなわち切字という形式論から「切れ」という本質論に変化したのである。
  芭蕉の切字(「切れ」)観は、弟子達の著述の中に散見されるが、私は特に次の二つの論に注目したい。
@『三冊子』は芭蕉の弟子である服部土芳が生前の師の言説を纏めた俳論書で、芭蕉晩年の主張と芸境をもっとも忠実に伝えるものといわれているが、この中で芭蕉の切字(「切れ」)観を端的に示すものとして次のように述べている。
  「切字なくしては発句の姿にあらず、付句の体(てい)也。切字を加へても付句の姿ある句あり。
 誠に切れたる句にあらず。又、切字なくても切るる句あり。その分別、切字の第一也。その位は
  自然と知らざれば知りがたし」
芭蕉は「切字なくしては発句の姿にあらず」と、連歌以来の考え方を継承しつつ、「切字」があってもなくても、切れる句は切れ、切れない句は切れない、大切なことは「誠に切れる」ことで、それは自得するしかない、と言っている。ここで芭蕉は発句の「完結性」と「独立性」を、切字という形式ではなく、「切れ」という実質で考えており、芭蕉以前の切字観を抜け出している。
Aもう一つ注目したいのは、芭蕉の句「辛崎の松は花より朧にて」についてのエピソードである。このエピソードは『去来抄』(向井去来が師の没後に著した俳論書)や『雑談(ぞうたん)集』(宝井其角編・俳諧撰集)などに見られるが、ここでは栗山理一の『芭蕉の俳諧美論』(昭和46年・塙書房)を参考にして『去来抄』の文章を要約したい。
  〈辛崎の松は花より朧にて〉(句意―湖水一面朧ろに霞みわたる中、湖岸の辛崎の松は背後の山の桜よりさらに朧ろで風情が深い)について、伏見の俳人がこの句は「にて留め」で切れがないから発句ではないと難じたのに対し、其角は「にて」は「かな」と同じように使われるとし、この句の場合、「かな」とすると句調が差し迫って感じられるので、「にて」とゆったり留めたのである、と弁護した。呂丸は其角の解釈に同意しながらも、これは発句ではなく第三(脇句の次の第三番目の句)であるとした。去来が言う。この句は第三ではなく、やはり発句である。第三は発句・脇句の句想から転ずるから、考えてこしらえるものである。もしこの句が考えて作られたものなら、句の価値は第二等に堕ちるだろうと。これに対して芭蕉は、いずれの見解をも斥けて、「我はただ花より松の朧にて、おもしろかりしのみ」と断じている。
  このエピソードに関し栗山は非常に興味深い見解を述べている。芭蕉は「もはや切字の有無を思料する域を離れて、ただ眼前の風光に触発されて生動するものを打ち出そうとしたまでだと極言する。いいかえれば、純粋な感動をこそ詩的真実とする芭蕉にとっては、詩的真実の発見には語法も従属すべきであるという傲慢もあえて許されてよいとする自侍があったのではなかろうか」というのである。
  芭蕉は切字について「むかしより用ひ来る
文字ども用ゆべし」(『三冊子』)というようにかなり保守的であったが、それは初心者への指導的配慮という一面が強かったからではなかろうか。より本質的には、切字があろうとなかろうと、切れている句は切れており、切れてない句は切れてない、「切字に用ふるときは四十八字皆切字」(『去来抄』)というところにあり、究極は「辛崎の」の句のエピソードから推察されるように、切字(「切れ」)の有無はどうでもいいことであって、眼前の風光に触発された詩精神(純粋な感動)をどう表現するかということだけが問題だったのではないか、と思われる。この点は、現代俳句の切字を考える上でも極めて示唆に富むのではなかろうか。

四、子規・虚子以後の切れ論
  さて、芭蕉の時代を頂点とし、その後も明治の中期まで連綿と続いてきた俳諧を徹底的に破壊し、しかしその発句だけは生かし、これに「俳句」の名を冠して新たな文学(芸術)に仕立て直したのが、正岡子規の俳句革新運動であった。
  子規が俳諧を攻撃したそのイデオロギーは西洋近代の芸術思潮であり、具体的には「個性」と「写生」の尊重にあった。俳諧は、数人が寄り集まり(座)、一定のルール(式目)のもと、交代で詠み繋げ、三十六句(歌仙)あるいは百句(百韻)をもって一巻とする、しかもそこには宗匠の手が自在に入る―このような遊芸であった。芭蕉の俳諧に対する真摯な姿勢に対してこれを遊芸と決め付けるのは如何なものかとも思うが、西洋近代の芸術観からすれば俳諧は遊芸であったし、少なくとも幕末、明治中期の俳諧は全くの遊芸だった。このような遊芸は子規にとっては到底文学とはいえなかったであろう。
  子規はこのような観点から俳諧を捨てる一方で、発句は「個性」と「写生」を盛り込む器たり得るから文学たり得る、と考え、発句の革新に取り組み、俳諧から切り離した新たな文学として俳句文学を確立したのである。
  では、子規は俳句に形として何を求めたか。どうも季語と五七五定型だったらしく、『獺祭書屋俳話』(明治26年)『俳諧大要』(明治33年)等を繙く限り「切れ」については殆んど論じていないようである。
  子規の後継者の高浜虚子も切れについては大らかだったようで、『定本虚子全集・俳話集(二)』(昭和24年・創元社刊)の「第五編・切字」では「切字の論の如きは左程大切なることとも覚えず」と言い、「兎も角も十七字をならべて、一の中心ある意味を顕はさんとする時は、自然に何処かにて切れるやうに言葉を配列することを常とし、却て切字についての小六ヶ敷議論を耳にする時は、天真爛漫の句を為すこと能はざるが如し」とも言っている。
  もっとも、復本一郎の『俳句実践講義』(平成15年・岩波書店)によると、虚子も晩年には「切字」を重視する立場をとっており、昭和30年12月4日付の朝日新聞では「『や』『かな』の如き切字は十七音(五七五)と共に俳句の骨格を成すものである。(略)自から俳句という一つの詩の、根本の形を規定してゐるものである。(略)『切字』というものが問題にされず、従来の俳句らしい調子が無視された現代の一部の傾向は決して愉快なものではない」と論じている由である。
  では、子規・虚子後はどう考えられているのだろうか。
  「切れ」絶対論者は冒頭にあげた清水杏芽であろう。何しろ書名が『俳句は十七音字と「切レ」とで成立する詩である』というのであるから。清水は子規・虚子の不徹底な切字観(例えば「虫の声」というような名詞止めの句でも「虫の声かな」の省略されたものと見ればいいという論の如き)が、現代俳句百年の間違いの因と指弾し、「切れ」の絶対性を主張している。
  石田波郷も(これも復本によると)結社誌「鶴」の昭和17年11月号で「韻文、特にわが俳句では、表現の核といふものは絶対に厳重でなければならない。自分はこのために、『や』『かな』『けり』を必ず用ひよ、といふことを敢て言った」と述べ、「切れ」の重要性を強調している由である。
  概ねの論者は、ニューアンスの相違こそあれ「切れ」を絶対視あるいは最重要視しているようである。
  これに対して、「切れ」不要論は(私の調査不足があるのかも知れないが)ほとんど見ることができなかった。

五、私見
  以上、「切れ」(以下「切字」を含む)の歴史を概観し、「切れ」は俳諧の発句を一句として完結せしめ、しかも第二句以下から独立させるために無くてはならない修辞法であることを知った。
  また、「辛崎の松は花より朧にて」の句により、芭蕉は究極には「切れ」よりも純粋な詩的感動をどう表現するかの方を重要視したのではないか、ということも見てきた。
  そして、子規の俳句革新運動により、俳諧(その俳諧こそが「切れ」を必要とした)は徹底的に破壊され、発句のみが俳句に姿を変え現在に至っていることも見てきた。
  では現代の俳句は「切れ」の有無についてどう考えればいいのであろうか。
  私の結論は次の三点である。
@ 子規の俳句革新運動によって興った俳句と
いう文学は、俳諧の発句に由来するが、もはや発句ではない。脇句以下を切り離した俳句という新しいジャンルの文学である。したがって発句の約束事(例えば挨拶性など)に束縛される必要はない。「切れ」の有無も然り。俳句は「切れ」から自由である。
(「俳諧の約束事」といった場合、「五七五定型」「季語」をどう考えるかという問題が生ずるが、別の次元である。)
Aそれでは、俳句にとって「切れ」は無意味かといえば、そのようなことはない。このように言うと、@と矛盾すると受け取られるかも知れないが、言いたいことは「切れ」は絶対不可欠のもの(俳句の本質)ではないが、僅々十七音字が文学(詩)たり得るためのすばらしい修辞法であるということである。僅か十七音字によって読者に作者と同じ感動を共有してもらおうとしたら、あるボリュームの感情なり、思想なり、出来事なり、情景なりをその中に盛り込まなければならなく、いきおい言葉の節約や省略や飛躍が必要になる。また詩である以上、詩としての調子も欲しいし、余韻も欲しい。ここに「切れ」の価値があるのである。繰り返して言えば、俳句にとって「切れ」は絶対不可欠なものではないが、俳句を文学たらしめる上で非常に有効・有用なものである。
B私達は「切れ」のない俳句、あるいは「切れ」のあまい俳句にも積極的にチャレンジしていいのではなかろうか。芭蕉が「辛崎の松は花より朧にて」のエピソードで「我はただ花より松の朧にて、おもしろかりしのみ」と断じた姿勢は俳句の句作にも参考になるのではなかろうかと思う。要するに俳句は季語を伴う五七五定型の詩であり、その値打ちはひとえに詩精神の有無とその表現如何によるのである。「切れ」があっても詩といえない五七五が世の中に氾濫しているし、「切れ」がなくても立派な俳句もあるのである。
  以上、三点にまとめて私見を述べたが、そもそも「切れ」の有無の判定はむずかしい。冒頭、清水が「切れ」のない句として挙げた 
  長靴に腰埋め野分の老教師    登四郎
  大寒の一戸もかくれなき故郷   龍太
は、次の二句とどう違うのだろうか。 
  送られつ送りつ果ては木曾の秋  芭蕉
  去年今年貫く棒の如きもの    虚子
ちなみに、この芭蕉と虚子の句は林翔が「体言(名詞)の切字」の例としてあげた句である(『芭蕉と現代俳句』平成7年・角川書店)。 私には上記四句のどの句の何処に「切れ」があり、どの句にないのか分からない。しかし四句とも立派な俳句であると考える。
  このような曖昧な「切れ」を絶対的なものとしてもしようがない。必要に応じ「切れ」を十分に生かしつつ、場合によってはそれを無視する姿勢も必要であろう。
(「沖」平成22年10月号より転載)