ホーム
参考図書室
見えないものの世界
梅田 ひろし

 最近、自分自身の句の世界が至って狭いことが気になってきた。それは何ゆえであろうかと考えてきたが、結論的に見える世界に捉われすぎている、もっと「見えないもの」も句に取り入れる必要があるのではないかと思うようになってきた。これはその「見えないもの」について考えるところを書いたものである。
 十九世紀の写実主義の小説家は、カメラで克明に写しとったような街の描写や住居の描写をしている。自我の眼をもって外界を見極めようとした写実に対する情熱を感ぜずにはいられないが、ここではつまり、カメラ・アイ的な絶対的客観性を求めたものである。
 絵葉書のような風景とか、写真のような絵という言い方は、今日では全く軽蔑的な言辞であるし、引き合いに出されているカメラにとっても迷惑な話であろう。カメラと言う場面においても、それを覗く人の眼とシャッターを押す意志が必要である。上は土門拳氏の作品に表現されている土門氏の詩魂といったものから、下は安直な自動操作カメラによる私たちなどの観光写真、人物写真における各人の構図のあり方まで。
 何ものかを見て、文字によってであれ、色彩によってであれ、カメラのようなものであれ、写しとることは、すべて能動的な行為である。
 受身の形で見えているだけであったものを、見るという能動的な行為に切り替えることが創作の始まりであると言えよう。見ることには、すでにして見たいという意志が働いており、外部の世界と、自己内面の世界との結合が始まっているのである。
 話を俳句の世界に置き換えてみると、見ることの一番プリミティブな形は、見たものを単純に写真を撮るように、そのまま書きとめることである。そこでは言葉は手段として、見たものの再現に使われる。写生と言われてきた手法がそれである。この写生においては、画家のデッサンにおける数多の鉛筆の線と同じように、見ることと同時に言葉が動き始め、言葉が多用され、たくさんの試作品が出来上がって、その中から、見たものと言葉とが一体となった作品、少なくとも作者が見たものを言葉に置き換え得たという手ごたえのある作品だけが残される。
 ただここで、何をもって決定稿とするか、見たものと言葉とが一体となる瞬間の機微が問題になるのであって、見ること自体がすでに能動的、主体的なものなので、いくら写生と言っても、作品とただ単に見えているものとは決してイコールではない。「見る」行為は、「見えるもの」といまだ「見えないもの」との間にあって作者の主体的な色を帯びている。リアリズムの小説のように長々と家や花を綿密に描写するのではなく、五七五という短い定型という枠にしばられているので、なおさら、描写がすべてとはならない。

    輿入れのむかしの道を道をしへ     狩行

豪華な輿入れの長い列が眼に浮かんでくる。
 輿で嫁ぐのは格式を備えた家と家との縁組である。嫁入り道具とそのあとにつづく参列者。現実に見えていないが、以前に経験した輿入れの実景が道おしえに触発されて浮かんできたものであろう。現実に見えるものだけを追っていたのでは、こういう句はできない。句に込められた情感あふれる作者の思いもさることながら、現実から出発して、現実を超え得た作品の自立性が読み手に迫るのである。
 言葉の伝達力やコミュニケーション性を考慮すれば、言葉によって見たものを忠実に写すというデッサンの修練は大切であり、それによって読み手にたいする説得力は強まるが、デッサンの結果において、ものと言葉とが一つになって成立したと感知できる作品は、見たものの再現にとどまらず、当初見たものを超えて、今まで見えていなかったもの、すなわち、表にあらわに見えないままに本来ありながら隠れていたものが、当の作者にも初めてあらわになっているということであろう。
 ここで、当たり前といえば当たり前のことであるが、俳句を作るに当たっての思いは、見たことの再現ではなく書くことによって初めてあらわになる「見えないもの」を見たいという欲求からくるものであろう。
 「見えないもの」を見る喜びを知れば、見たものをそのまま写す喜びだけでは満足できず、どの作品にも自分だけの「見えないもの」を表現したくなる。そうして「見る」行為は自分の「見えないもの」の世界が、普遍的な真実性をもって読者に迫るようになることであろう。

    摩天楼より新緑がパセリほど     狩行

 新緑と高層ビル街に林立する摩天楼との取り合わせが、実に新鮮でトリビアルな表現であることも衝撃的であるが、新緑の実態をここまで掴んだのは、その場には存在していない、見えてはいないパセリが作者には見えたことによるのである。このパセリが現実に存在する新緑を超えた、真実の新緑を創造し得ていると言える。
 俳句において「見ること」が言われ、写生が唱えられてきたのも、見ることの力を本能的に確信したからであろう。
 見ることによって日常性の奥にある深淵を見たいという願望、日常の次元から見れば、それは別の世界と言えるが、誰の感覚の奥にも共通項としてひそみ、誰もが無意識的に見知っている領域である。この領域がいわゆる「見えないもの」の世界であるし、俳句を含むすべての文学作品のリアリティの有無は、作品にこの領域の感覚があるかないかに基づくものと思う。
 「見えないもの」が何であるかの論議には、一人一人が持つ美意識、詩性の質にもかかわってくる。「見る」という認識作業を進めて「見えないもの」に至ることなく、日常と同じ情緒や感慨の詠嘆だけを俳句に求めるならば、「見る」という能動的行為はなく、見ることは受動的な意味で技法上の問題にとどまってしまう。実作の姿勢は、作者の選択や志に基づくものであるのはやむを得ないことであるが、私は、単なる日常的に把握した思いの吐露を定型詩、俳句の理想とはしたくない。
 「見えないもの」に日を当てるために、特に時間的、空間的に大きく幅広い感覚を持ちたい。俳句という定型詩には詠いあげるリズムの要素もあるが、より絵画的、視覚的、静的である。見ることが知ることを意味するように認識詩としての要素を持つ。そのためにも、「見る」ことによって、「見えないもの」を作品の上に顕在化するように努めなければならないと思う。

    飛梅の白さ左遷のむかしより     狩行
    星の中に目つむるならひ籐寝椅子   狩行

 「左遷のむかしより」「星の中に目つむるならひ」という視覚的には見えない世界を、見事に一句の中に取り入れて詠い上げている。単なる写生句にない奥深さがこれらの句には秘められている。
 「見えないもの」の感触は私たちの周囲に常に充ちているのではなかろうか。ときには恐ろしい情景となって、さだかに見えることもある。広島や長崎の原爆投下の惨状を見てしまった人が失語状態に陥ったという話が心を離れない。私自身も、昭和二十二年のカスリン台風による利根川の決壊による水害で、流される家の上で必死に助けを求める一家などの悲惨な状況を今でも鮮明に覚えている。
 こうした死や災害にまつわる・・・・・普通では「見えないもの」が束の間見えたという印象が私の心の底に刻まれている。
 しかしながら、「見えないもの」はもっと何でもない日常にも存在しているのであろうと思う。
 よく散歩している道の辺の垣根に、今年も大輪の薔薇が見事に咲いた。艶美な朱色がとても高貴で魅力的である。今までの自分であったなら、すぐさま見たとおりの薔薇の情景を句帳に書きとめていただろう。しかし、これからは見たからといって、すぐに花の様子を俳句の形で描写したり、感懐を述べたりしようとは思わない。ゆかしい眺めではあるけれど、性急に書きとめることは、見えているものによって、あるいはいち早く出る言葉によって、真によい俳句を生み出すことが邪魔されてしまうかも知れないことを恐れるからである。
 私の内面にある「見えないもの」の世界では、この薔薇もさきの水害の悲惨な状況も同じような位置にある。それが作品として現実になるときには、実際に見た、あるいは見えたものとは違った形をとることになるかも知れない。「見えないもの」は言葉をあたえられないまま、人間の中に存在しているものである。
 「言葉」は人間同士の間では、すでに通じ合っている共通理解の世界でもある。それが顕在化される過程はまさに各人各様の感覚によるものなのである。
 ここでいう「見えないもの」を俳句に取り入れることとは、いわゆる「芸」といわれる、その人が持っている柔軟な精神を指しているように思える。その柔軟な精神は最後の俳諧師といわれた秋元不死男のいう「芸」と重なるものであろう。
 秋元不死男の言葉に
   私は「俳句もの説」を書き、モノモノと言ってきた。だが、モノだけを強調するので
  は客観写生との違いを納得させることができない。どのようなモノを選び取り、それを
  句の中にどう生かすか。モノを斡旋する“芸”こそ実は私の言いたいところであった。
というものがある。「どのようなモノを選び取り、それを句の中にどう生かすか」というこの言葉こそ、「見えないもの」を俳句に取り入れる「芸」と同質のことを述べていると思う。今までの自分のことを考えると、まじめに写生することに力を入れてきた。それだけではよりよい俳句を作ることは難しい。
 より以上上質の俳句を目指すには、「見えないもの」を俳句に取り入れるには、自分自身を磨いてもっと幅広い「芸」を持つ人間となり、心に余裕を持つような人間にならなければと、今回これを書きながら、痛切に反省した次第である。


(『狩』平成21年9月号より転載)