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論文を読む会議事録
懐疑という心
―記録集「国際俳句シンポジウム『不易流行』」を読むに前に―
谷地快一
 「論文を読む会」で正岡子規国際賞事業「国際俳句シンポジウム『不易流行』」の記録集(平成16年3月 愛媛県文化振興財団)を読んだ。川本皓嗣氏をモデレーターに、パネリストとして岩岡中正・夏石番矢・堀切実各氏を迎えたもの。シンポジウムは平成十五年十月二十五日(土)に、愛媛県県民文化会館(特別会議室)で行われている。
  谷地は先に川本皓嗣氏からその論考「『不易流行』試論―ボードレールの〈モダン〉を手がかりに」(『天為』百五十号記念号 平15年2月)を提供され、シンポジウム記録は堀切実氏から恵与されていた。仲間に諮ってこれを芭蕉会議の論文を読む会の教材としたのである。サイトへの掲載を目的に、投稿していただいた会員各位に御礼申しあげ、これらのすべてが、今後の句作や研究の指針となることを願っている。
  輪読するにあたり、谷地はまず不易流行とは幽霊のような言葉であることを前置きした。理念としての「不易」と、情況としての「流行」という言葉は、古来それぞれ独立して存在した。その二つをひとつの概念として用いたのは、おそらく芭蕉が最初であろう。だが、芭蕉自身が書き記した資料は堀切発言ある通り、「只今天地俳諧にして万代不易」(元禄3・12・23付去来宛書簡)しかなく、そのほかは聞書か、その聞書を敷衍したものであるからだ。しかもその聞書は「千歳不易」「天地固有の俳諧」「天地流行の俳諧」「風俗流行の俳諧」「一時流行」「世上の流行」等、その表現が微妙に異なっている。不易流行を論じる私どもはまずこれらの資料と向き合い、そのつじつまの合わない点を考え抜かねばならない。この愚直ともみえる手続きを省いて納得すれば、事の次第にうとい幽霊の末裔になりさがるしかない。憶えることに性急である必要はない。懐疑という心を忘れないことだ。                        
(会議日7月23日、9月24日)