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論文を読む会のまとめ

・発表テーマ  「寺田寅彦と連句」
・発表者   市川千年
・日時    平成30年11月10日(土)、14時30分〜17時30分
・場所    東洋大学白山校舎6号館5F 谷地研究室
・資料     @「連句と寅日子」(テキスト)
         A寅彦年譜(参考資料)
・出席者   谷地快一、市川千年、菅原通済、谷地元瑛子、鈴木松江、三木つゆ草、
         水野ムーミン、西野由美、梶原真美、加藤哲人、大石しのぶこ、山崎右稀、
         伊藤無迅 <敬称略、順不同、13名>
・議事録作成 伊藤無迅

<発表のまとめ>         

1.発表内容
 本発表は寺田寅彦の連句観を通して連句実作の実際を深めようとするもので、連句愛好の会員を一人でも増やしたいという発表者の思いが伝わる発表であった。またテキストの内容や構成もよく考えられていた。なお本発表のテキストは芭蕉会議サイト「参考図書室」に登録済である。

(1)連句と寅日子

 「寅日子」とは寺田寅彦の俳号である。松根東洋城と初めて巻いた両吟歌仙に「水団扇の巻」があり、この歌仙を鑑賞しながら寅彦が初め体験した連句をどのように思ったかを探る。
・ 歌仙「水団扇の巻」は大正14年8月27日、昼食前〜午後8時半まで9時間かけ名残りウラ2句まで巻き、残りは翌日追加して満尾する。このときの歌仙は、同年10月に東洋城が主宰する俳誌『渋柿』に掲載された。
・ 寅彦はこの時の感想を友人小宮豊隆に以下のように書き送っている。
「やつて見ると段々に六かしい事が分つて来るのを感じました。(略)此ういふ体験だけが一日の荒行の効果であつたかと思ひます。かういう事を考へて見ると、人の付け方が自分の気に入らぬ時でも、其れを其儘に受納して、そうして其れに附ける附け方によつて、その気に入らぬ句を自分の気に入るやうに活かす事を考へるのが、非常に張合のある事のやうに思はれて来ます。此れは勿論油臭い我の強いやり方でありますが、さういふ努力と闘争を続けることによつて、芭蕉の到達した処に近づく事が出来るのではないかという気もします」

 まずテキスト記載の「水団扇の巻」を全員で鑑賞する。連句に詳しい海紅先生、菅原通斎さん、谷地元瑛子さんの解説も入り実際に連句をどのように作ってゆくのかを話しあった。

・ 寅彦、東洋城は、この後多くの歌仙を巻いて連句への思いを深めた。その思いを寅彦は色紙に好んで「俳諧根本芭蕉直結」と書いた。一方東洋城は連句世界に「流轉無障の世」「金剛不壊の界」「八面玲瓏の相」という世界を見出すようになる。
・ なお寅彦は生涯に歌仙を47巻(未完成を入れると70巻)巻いたとのことである。

(2)連句の付け合いの読み方(例)

 連句の妙味は付けにあり、その付けの勘所を会得することが連句を楽しむコツである。その付けについて、先人の言葉や具体的な作品鑑賞を入れて説明があった。

虚子の連句観の紹介
「聯句はさまざまの宇宙の現象、それは連絡のない宇宙の現象を變化の鹽梅克く横様に配列したものである」(高浜虚子「聯句の趣味」 明治三二年五月「ほとゝぎす」所収)。

       いのち嬉しき撰集のさた      去来
      さまざまに品かはりたる戀をして  凡兆

  名残りの裏六句の最初の句(雑で戀)である。意味は「前句の勅撰集に入るとある歌は定めていろいろの戀歌もあろうとの連想から或人に思ひ及ぼし、其人は様々な變つた戀をして」と詠んだのである。「戀をして」と未了にしたのは、「いろいろの戀をしていろいろの歌を讀んだ」とも、「後には發心して僧になつた」とも、或ひは「終に老境に立至つた」とも、そこは讀者の想像に任して置くためである。かゝる敍法は連句には甚だ多い。<高浜虚子「連句論」(明治三七年九月『ホトトギス』所収)から引用>

付け合いの基準や方法を三段階で方式化しようとした研究家
* 付句作者は前句に対してどのような発展的理解を示したか(見込み)
* それをもとにいかなる場面・情景・人物像などを付けようと考えたか(趣向)
* そのことを句にするために題材や詞をどう選んだか(句作り)
(『近世文芸 研究と評論』第八十号所収 『続猿蓑』「八九間」歌仙分析 佐藤勝明・小林孔 平成二三年六月)という三段階である。以下はその例である。

    夏の夜や崩れて明し冷し物  芭蕉
     露ははらりと蓮の縁先    曲翠

@前句を夜の宴も果てた早朝の座敷とみて(見込み)、A短夜のはかなき一景を案じつつ、視点を室内から屋外に移し(趣向)、B障子をあけて縁側から眺めると、池の蓮の葉に露が転がっている(句作り)とした。(備考 発句の景をそのまま映し、眼前の景を打ち添えた脇句で、「崩て」に「はらり」を響かせている)(同八十八号 『続猿蓑』「夏の夜や」歌仙分析 平成二七年六月)

再び寅彦の連句観について
 発表者は寅彦の「連句雑俎」の一節を上げ、歌仙「猿蓑、巻五」を引きながら寅彦の付け合いに対する思いを探る。

 「読者はむしろ直接に、例えば『猿蓑』の中の任意の一歌仙を取り上げ、その中に流動する我邦特有の自然環境とこれに支配される人間生活の苦楽の無常迅速なる表象を追跡する方が、遥かに明晰に私の云わんとする所を止揚するであろう。試みに「鳶の羽」の巻を繙いてみる。鳶はひとしきり時雨に悩むがやがて風収まって羽づくろいする。その姿を哀れと見るのは、すなわち日本人の日常生活のあわれを一羽の鳥に投影してしばらくそれを客観する、そこに始めて俳諧が生まれるのである。旅には渡渉する川が横たわり、住には小獣の迫害がある。そうして梨を作り、墨絵をかきなぐり、めりやすを着用し、午の貝をぶうぶうと鳴らし、茣蓙に寝ね、芙蓉の散るを賞し、そうして水前寺の吸物をすするのである。このようにして一連句は日本人の過去、現在、未来の生きた生活の忠実なる活動写真であり、また最も優秀なるモンタージュ映画となるのである。」(「連句雑俎」 連句の独自性 昭和六年三月『渋柿』)

        鳶の羽も刷ぬはつしぐれ        去来
         一ふき風の木の葉しづまる     芭蕉 
                ・
                ・ 
         いまや別の刀さし出す         来 (ナオ八句目から)
        せはしげに櫛でかしらをかきならし   兆
         おもひ切たる死ぐるい見よ       邦  @
        青天に有明月の朝ぼらけ         来  A
         湖水の秋の比良のはつ霜       蕉  B

● 青天句(A、@との関連において)について
「たしか、ドストエフスキーの『白痴』の中に死刑場に引かれて行く途中で、白昼の空の光をしみじみ味わうという條があったと思う。死に面した時の空の光の印象は実際不思議な者だろう。――此の句を付けた去来の心持にはそれに似た者が有りはしなかったろうか」(大正十二年十月『渋柿』)
● 湖水句(B)について
「あらゆる事件や葛藤が収まって静寂な自然が展開するような気がする、一つのCadenceを作っている」( 同 )

  発表者は、「青天」句に寅彦がドストエフスキー『白痴』の一場面を思い描いていることを『渋柿』で知り、原作『白痴』から、その該当部分の一節を紹介する。

「(三分後に処刑される青年が)そこからほど遠からぬところに教会があって、その金色の屋根の頂が明るい日光にきらきらと輝いていたそうです。男はおそろしいほど執拗にこの屋根と、屋根に反射して輝く日光をながめながら、その光線から眼を離すことができなかったと言っていました。この光線こそ自分の新しい自然であり、あと三分たったら、なんらかの方法でこの光線と融合してしまうのだ、という気がした」(ドストエフスキー『白痴』木村浩訳、新潮文庫、昭和53年)

  さらに発表者は寅彦の鑑賞の心底にあるものに思いを馳せ、各種文献をあたり、ついに寅彦が『白痴』の描写に似た場面を寅彦自身が過去に体験していることを突き止める。
● 大正十一年四月『渋柿』に寄稿した寅彦の文章より
「安政時代の土佐の高知での話である。刃傷事件に坐して、親族立会の上で詰腹を切らされた十九歳の少年の祖母になる人が、愁傷の余りに失心しようとした。居合わせた人が、あはてゝ其場にあつた鉄瓶の湯をその老媼の口に注ぎ込んだ。老媼は、其鉄瓶の底を撫で廻した掌で、自分の顔を矢鱈と撫で廻した為に、顔中一面に真黒い斑点が出来た。居合わせた人々は、そういふ極端な悲惨な事情の下にも、矢張それを見て笑つたさうである」                                   
● 『寺田寅彦全集』第一巻の安岡章太郎の解説文より
「この短文(上記寅彦が『渋柿』に寄稿した文章:筆者注)は一見、何でもない昔話のようだが、ここには寺田寅彦の胸底にある歴史・郷土・血族などへの想いが、すべて塗り込められていると言っていい。じつは、これは井口村事件として土佐ではよく知られた事件で、この詰腹を切らされた少年、宇賀喜久馬は寅彦の叔父であり、切腹の介錯をしたのは喜久馬の実兄寺田利正で、寅彦の実父である。このことを寅彦は、なぜ率直に明かさず、まるで山間の僻地に伝わる寓話か何かのような書き方をしたのか、これは文学者としての寅彦を考える上で見過ごせぬことと思う」

  発表者が上記の文章を、ここで説明した理由については、余り多くは語らなかった。多分二つの意味があったのではないかと思う。一つは付け句には、その人の幼児体験や印象が表れる時があると言う事であろう。発表者は去来が付けた「青天」句に寅彦がドストエフスキー『白痴』の一場面、刑場に引かれてゆく青年をイメージした事に着目する。寅彦の深層心理に、これに似た幼児体験があると推測し、探し当てた文章が『渋柿』寄稿文であろう。二つ目は、この寅彦の幼児体験に関する安岡の文章、つまり身内が井口村事件の当事者であるにも拘わらず、これを寓話化する寅彦と文学観との関係である。発表者はこの件についても何もコメントしなかったが、あるいは寅彦の付けの信条が、ここにあったのかも知れない。つまり事実や現実を素材にする大切さは認識しているが、それを素材にする際は皮一枚で止めて余韻を残せと言う事かも知れない。

(3)寺田寅彦語録、および寅彦の時間認識

  その後発表者は、寅彦の著作に残された連句観に通じると思われる文章を選び、その説明をした。概要は以下のとおりであるが、詳しく知りたい方は「参考図書室」に登録したテキストを参照願いたい。なお寅彦の時間認識については解釈が難しく、まとめ難いものがあるので所感の項で筆者の思いと共に触れたい。

□ 病室の花

 「三週間余り入院している間に自分の周囲にも内部にも色々の出来事が起った。色々の書物を読んで色々の事も考えた。色々の人が来て色々の光や影を自分の心の奥に投げ入れた。しかし、それについては別に何事も書き残しておくまいと思う。今こうしてただ病室を賑わしてくれた花の事だけを書いてみると入院中の自分のあらゆるものがこれで尽くされたような気がする。人が見たら何でもないこの貧しい記録も自分にとってはあらゆる忘れ難い貴重な経験の総目次になるように思われる。(「病室の花」 大正九年五月『アララギ』)

 ⇒ 寅彦は「総目次」と述べているが、シンボライズの概念であろうか。日本古代から信じられてきた「言霊」や俳句の「季題」、あるいは本意(ほい)に通じる記述である。日本人にはそういう時間を重層的に捉えることに違和感なく、論を尽くさずして通じ合うものがあるということか。

□ 物理学者としての寅彦

「複雑な万象を貫く一脈の真理あるいは原理理法が存在するという信念、あるいは少なくもそういうものが存在すると信じたいという希望をもっている。そのような希望を抱いて万象に対しこれに照らしてこれを見た結果を云い現わす時に哲学が生まれるのである。」(「物理学序説」生前未発表 第一篇緒論 第一章 学問の起源、言語と道具より 大正九年十一月十二日に稿を起こす)

 ⇒ 出典は「物理学序説」、寅彦は著名な自然科学者であった。寅彦は物理学者として、自然化学の世界と(俳)文学の世界を渡り歩いた。後述する小宮彰の言う「寅彦が対峙した<二つの文化>」であろう。

□ 寅彦の時間認識

「季節の感じは俳句の生命であり、第一要素である。これを除去したものはもはや俳句ではなくて、それは川柳であるか一種のエピグラムに過ぎない。俳句の内容としての具体的な世界像の構成に要する「時」の要素を決定するものが、この季題に含まれた時期の指定である。時に無関係な「不易」な真の宣明のみでは決して俳諧になり得ないのである。「流行」する時の流れの中の一つの点を確実に把握して指示しなければ具象的な映像は現われ得ないのである。(「天文と俳句」 改造社『俳句講座』第七巻所収 昭和七年八月)

 ⇒ 自然科学の時間と連句における時間認識の差は、寅彦にとり晩年の大きなテーマであったようだ。

(4)話題提供
@ 仏教の時間論 ・・・仏教学者、木村康賢の説
「まだ光が当たっていない、映写前のフィルム」が未来
「光が当たってスクリーンに像が映っている、その瞬間のフィルム」が現在
「映写が終わって下のリールに巻きとられたフィルム」が過去
「フィルムのコマとコマの間隔」が一刹那という時間
      以下(略)
(佐々木閑、近藤寿人編『芸術と脳―絵画と文学、時間と空間の脳科学―』 第一部「脳は時間をどのように記し、理解するか」所収、大阪大学出版会、平成25年)
⇒ 寅彦の時間認識に対する関心は深く、映画の理論であるモンタジュー手法に関する著作もあるほどである。

A 寅彦の結婚
 寅彦は伴侶にめぐまれず、三度の結婚歴がある。いずれも病死である。今回の発表では最初の妻である夏について、友人の堀見末子(まっす)の思い出を紹介した。

(5)寺田寅彦の目指したもの
 発表者は、寅彦の言葉と思われる「物理学生としての私ではないもつと自由な「私」だと思っていただきたい」を上げたあと、寅彦が目指したものを文献から引用し発表を締め括った。

 「主体の時間的経験とそして時間において不可逆に進行する事象のあり様を明らかにすることが主要な関心だったことを、寅彦の生涯の仕事は示しているように思われる。物理学における無時間的法則性の理念と時間的経験の価値付けの対置の問題が、寅彦が対峙した<二つの文化>の問題のより深い意味だったと考える」(小宮彰『論文集―寺田寅彦・その他』花書院 平成三〇) 

 「両者をともに追及して、寅彦自身にとっての「自然」を、より明らかにとらえること、より納得できる表現を与えること」(小宮彰「俳諧と物理学―寺田寅彦2つの世界―」)

2 所感
 私は5年前「論文を読む会」で柳田国男と寺田寅彦の連句観について発表したことがある。その際、寅彦の示した時間認識が強く印象に残った。今回も寅彦の時間認識についての説明があった。寅彦は、なにゆえに時間に拘ったのだろうか。小宮彰氏が述べる「寅彦が対峙した<二つの文化>」とは物理学と連句世界のことであろう。換言すれば西洋文化と日本文化の代表的な世界とも言える。物理学を専攻した寅彦には、この二つの世界の時間認識の差、特に連句世界がもつ重層的な時間認識が大変気になったようである。例えば寅彦は当時映画や演劇界で話題になっていた「モンタージュ理論」に強い関心を示し、これに関する論文まで残している。さらに物理学者らしく連句世界の時間認識を「モンタージュ理論」により科学的に分析を試みた形跡さえある。私は5年前、寅彦がそこまでして時間認識に拘る理由がよく分からなかった。ただ寅彦の連句への関心は単なる科学的な関心ではなく、物理学を修める明治人の内面的な渇きを癒すためともとれるような、ある種の悲壮感さえ感じられた。その後、柳田の日本民族学を学ぶ過程で日本と西洋の視点(着眼)に差(特徴)があることを知り、何故か寅彦の「時間」を思い出した。国男の「視点」と寅彦の「時間」の問題意識には何か通底するものが感じられたからである。つまり外からの視点(科学的、合理的な視点)と内なる視点(民族が築き上げてきた内的情操を重視した視点)という差が、寅彦が対峙した<二つの文化>の「時間」認識の差と相通じるものを感じたからである。
 連句を以上のような理屈でとらえることは、たぶん間違いであろう。ただ俳句を生んだ連句の世界には、我々が置き去りにした大切なものが沢山埋もれているように思う。今回の発表は、そのようなものを掘り起こしてくれたように思う。

<伊藤無迅>
(了)