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論文を読む会のまとめ

・発表テーマ  「連句宇宙が見せてくれる愛と言葉」
・発表者    谷地元瑛子
・日時     平成29年3月35日(土)、14時30分〜17時
・場所     東洋大学白山校舎6号館5F 谷地研究室
・資料     @オーストラリア言語文学学会(AULLA)発表原稿
         A同上発表資料「久女歌仙考 プリマヴェーラの巻」
         B 同上資料(英文)
         C久女歌仙考 原句集
         D吉岡禅寺洞「久女の俳句」(『俳句研究』久女特集から)
・出席者    谷地快一、谷地元瑛子、大江月子、菅原通斎、中村こま女、宇田川うらら、
         大石しのぶこ、山崎右稀、荻原貴美、伊藤無迅 <敬称略、順不同、10名>
・議事録    伊藤無迅

<発表のまとめ>

1.発表のポイント
◆発表までの経緯
・発表者(谷地元瑛子さん)が10年ほど前、杉田久女に関する論文(英文)をインターネット上に発表したところ、感銘を受けたオーストラリア在住の女性からメールがあった。これが機縁となりメール交信をするうちに、女性からオーストラリアの学会で何か発表しないかとの誘いがあり今回の発表となった。(なお、この女性、アリス・スタンフォード氏は2015年に「杉田久女とホトトギス俳句」と題する論文でMonash大学より博士号を得ている)
◆発表の内容
 ■プロローグ
・まず発表者を理解してもらうため、自分の生い立ち、つまり横須賀という旧日本の軍港、戦後米国海軍の極東基地となった横須賀市で生まれ育ったことを話した。
・このような日本語と英語に挟まれた生活環境から言語を相対化して捉える癖がついた。
・私が連句の世界に入るきっかけは、20年前に芭蕉が生まれた伊賀上野で開かれた連句会に通訳として参加したことにあった。
・連衆の一人として参加した外国人と連衆との間に立ち、付け句を翻訳する役割であったが、いわば立体的言語サーカスともいうべき「座」の熱意に私は圧倒され感動した。以来、連句世界の虜(とりこ)になり、同時に連句を世界に広めたいと思うようになった。
 ■連句について1 <連句と俳句>
・国際的には俳句が知られているが、実は今から100年前に連句から独立したもので、連句は俳句の母と呼ばれており日本文化を体現するものです。
・実は連句こそ日本文化を体現しています。約1000年の間、日本の津々浦々で愛されてきたのは連歌・連句です。
 ■連句について2 <連句と近代>
・俳句は現在隆盛を誇っていますが、明治以降に起った我が国の近代化の流れは、ある意味で収斂段階に入っています。今まで疎外されていた連句も近代文学という偏った文学理解から解放されるべき時が、今来ていると私は信じています。
・近代以降、言葉は人間同士が繋がるためよりも、ディベートと呼ばれる討論の道具であったり、物事を分けて整理するためのインデックスだったり、法であったり、身にまとい人を排除する鎧やお面を作るための堅固な部品だったりしています。
・これに対し連句の場の言葉は、健康な呼吸をしています。言葉と言葉が自然に繋がるようにイニシャライズ(初期化)された本来の言葉とも言えましょう。
・例えれば、子供達が芝生で遊んでいるようなものです。そこで遊んでいる子供達は体で場の柔らかさやポジティブな空気を味わっているのです。
 ■連句について3 <食わず嫌い>
・連句を始めるに、実作が先か学習が先かは言わば鶏と卵の関係です。
・型やルールを覚えるのは瑣末で直ぐ役には立たない、では実作でと座に出ても専門用語が飛び交い不安になり、慣れていない付け句に躊躇し、とても連句を楽しむ心境にはなれない。この事情が、なかなか連句人口が増えない一因かと思う。
・しかし、このような時期を脱し、一度連句の醍醐味を味わうと従来のハードルが嘘のように霧消し連句の虜になる。
・私の場合は長い実作経験を経て連句の型と約束事が身に付き、連衆と共に魂の気息を吹き込み渾然たる世界を表出するという喜びに浸れるようになりました。
 ■連句について4 <連句の方法>
・連句は俳句や近代文学のように、唯一無二の著者は存在しません。参加者全員が協力して一つの作品を作り上げる文学です。
・参加者が即興で前句に付け合います。その際、すぐ隣の句にはリンクし一つ置いた句からはシフトするという原則があります。
・なので、決して辻褄が合ったストリーにはなりません。音楽や前衛映画のようにアンチ・ナラティブの詩が生まれます。
・付け心はどこか無意識の動きや夢と似ています。季節が設定されていても丁度夢の中のように流動的です。
・連句一巻の中で繰り返していい言葉は、月、花に限られ、同じ単語を避け、一歩も後に戻らず、常に新しい領域を開拓してゆくのが連句の基本です。
 ■連句について5 <命と愛>
・座に連なる人は「生きるとはどういうことなのか」という問いを胸にしまい、座という磁場で前句に向き合い、前句を自分のものにするほど深く鑑賞し付け句を案じます。
・付けるとは常に優れて個人的、創造的な営為です。その付け方をその内容により、うち添え、映り、響きなど分類することもあります。
・一巻とは発句で始まり多くの付け句を挙句でまとめた一つながりの詩です。連衆全員が魂の気息が吹き込まれた渾然たる一つの世界を表出することを目指します。
・連句の醍醐味、それはオーガニックな言葉のやり取りから生まれます。柔らかく人間的な場が創出され、静かさの中に快活な笑い声が起こる命の熱ある場所(座と言います、相撲の場所にも通じます)が生まれます。
・そこに共にある連帯感から、体と心にじわりと伝わる滋養は他では得難いものです。
・近代以降、言葉は人間同士がつながるためよりも、前述したようにディベートの道具であったり人を排除するための部品だったりしますが、連句の座は全くその逆の世界を目指します。
・連句には死せる詩人を生き返らせる愛の技があります。何百年も前に書かれた発句を21世紀の今日の連句の座の発句にして詠み進める「脇起し」という手法です。(昨年は蕪村生誕300年の年でした。私たちは蕪村をお招きして四歌仙を巻きました。)

 ◆歌仙「プリマヴェーラ」の試み
・連句通には、パートナーが揃わない時、自分一人で連句を巻く独吟という手法がある。
・発表者は実作例として予め杉田久女の俳句を素材に歌仙「プリマヴェーラ」(資料B)を独吟で巻いたものを発表しました。残念ですがここでは紙面の関係で英文の歌仙「プリマヴェーラ」は割愛します。
・なお資料Cは、上記独吟歌仙「プリマヴェーラ」の元になった久女の原句をまとめたものです。

2.発表を聞いての所感
・当日、発表者は学会で発表した資料@の説明について多くは語らず、もっぱら久女のことや、資料AおよびCの歌仙「プリマヴェーラ」に関する説明に終始した。たぶん資料@は後で読めば分かると判断、出席メンバーを見て話題を切り替えたようである。(このため今回出席できなかった会員のため資料@の概要を上記に纏めておきました)
・おそらく論文を読む会の出席者の関心は、連句という日本人でさえ馴染みのないものを、オーストリラアの皆さんが理解できたかどうかではないかと思う。
・このため、筆者から「説明をして、聴衆に受けたと思う点」を質問してみた。その結果発表者は、以下の事項を挙げた。

・連句の座での言葉は音読が大事ということを説明、理解された。
・日本の言葉はディベードなどで相手と戦う武器ではない。逆に相手を理解する又は共感するためのものであるという話。
・言葉と言葉の間には繋がるものがある、あるいは行間を読むという日本には独特な言葉の世界というものがあるという話。ただ、これは理解されたかは難しい、ある程度は理解してもらえたよう思う。

・思うに発表者は、久女が世間から如何に誤った印象で捉えられているか、久女の実像は丁寧な人付き合いをする人間味あふれる女性であったかを、歌仙「プリマヴェーラ」を話題にしながら訴求したかったようである。その効果があり「久女が近くなった」という出席者もおられた。
・最後に谷地先生から、連句に関する本質的なお話があった。

・すなわち明治の近代化により西洋流の「構える文学」が近代文学の中心的な考えとして定着した。幸か不幸か連句は子規の連俳否定論で近代化の波を受けなかった。
・俳句は子規や秋櫻子など影響で、常に名句を詠まねばならぬという近代文学の特徴「構える」要素が移入されている。
・明治以前の日本の文学は近代文学のように「構える」文学ではなかった。
・連句はその姿を留めて現在に至っている数少ない文学。
・だから、皆さん「構え」ないで気軽に連句に参加して下さい。

(了)