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論文を読む会のまとめ

・発表テーマ  鶴見俊輔「限界芸術」から見た俳句
・発表者     伊藤無迅(および議事録作成)
・日時      平成27年11月14日(日)、14時30分〜17時
・場所      東洋大学白山校舎6号館 谷地教授研究室
・資料     @桑原武夫文庫版『第二芸術』まえがき(資料1)
         A鶴見俊輔『限界芸術』を読む(資料2)
         B飴山実の俳句観(雑誌『俳句』昭和55年1月号収載座談会)(資料3)
         C芸術の体系(鶴見俊輔)(レジメに相当、資料4)
・出席者   谷地快一、相澤泰司、堀口希望、尾崎喜美子、菅原通斎、谷地元瑛子、
         鈴木松江、伊藤無迅 <8名>

<発表のまとめ>
1.発表の概要
桑原武夫は『第二芸術』の文庫版を出版する際、「まえがき」で鶴見俊輔の「限界芸術」とドナルド・キーン・梅棹忠夫の対談を紹介している。これを紹介する桑原の意図は、俳句のあるべき姿の一つとして「名声、地位、収入などと無関係の、自分のための文学」にあると思われる。そこで鶴見俊輔の「限界芸術」と飴山実の俳句観をテキスト(考察の素材)として、鶴見の分類に俳句をマッピングし俳句芸術の現状とあるべき姿について仮説を提示した。その後、全員で発表者の提示内容について考察した。
2.発表のポイント
◆資料1(桑原武夫文庫版『第二芸術』まえがき)について 
・桑原には『第二芸術』執筆当時、『限界芸術』で述べている芸術の分類概念は無かった。
・桑原が紹介した「ドナルド・キーン・梅棹忠夫対談」で話された「名声、地位、収入などと無関係な、自分のための第二芸術は大いに奨励されるべき」という会話の中で使われた「第二芸術」は鶴見が述べた限界芸術の領域に重なるという認識が桑原にあったと思われる。
・つまり桑原は『第二芸術』で否定した長谷川如是閑の「日本の伝統的文明の全国民的性格」(『日本的性格』)を認め、その領域こそが、かつての俳句・川柳の領域であり、とりもなおさず鶴見の「限界芸術」の領域であったと三十年後に認めた発言と言える。
◆資料2(鶴見俊輔『限界芸術』を読む)について
・俳句、短歌は大衆芸術に分類される。しかし、月並俳句は限界芸術の領域に属する。
・この「月並俳句」は比較的内輪のメンバーで行なう月例句会と解釈してよいであろう。
・限界芸術は大衆芸術、純粋芸術を生む力となるものである。また限界芸術は集団生活の様式(生活、仕事)をベースとするものである。
◆資料3(飴山実の俳句観)について
・飴山の説によれば、俳句の詩型は未完結型で季語も生活感を仲介に他者と作品世界を共有する詩型である。
・つまり、「近代的個我」の確立や自己主張〈自己完結〉をめざす欧州輸入型の近代芸術の領域には向かない詩型であると言える。
・定型・季題の背景には生活感が重要、季題表現は生活に裏打ちされた材質感が必要。
3.まとめ
・芸術は一つのものと漠然と捉えられがちであるが、芸術を三つに分類し、その各々を特徴的に捉え直した鶴見の見方は非常に新鮮かつ衝撃的である。
・鶴見の分類は、自ら述べているように柳田国男の民俗学から得たヒントがベースになっているため日本の芸能の生い立ちと、その後の芸術への発展を知る上で非常に説得力がある。
・飴山実の俳句観は、端的に言えば座の文学といわれる近世の俳諧観に近いものであるが、そのことが逆に俳句本来の定型や季題の解釈論に説得力を与えている。
・飴山のいう「ヘボ筋」が明治以降の俳句の大衆芸術化への胎動と捉えられなくもない。したがって現代俳句が「ヘボ筋」か、否かは今後の歴史が判断するところであろう。
・発表者作成の座標図(資料4)で限界、大衆、純粋の各芸術を示す線が右肩上がりの矢印で示されているため、限界芸術→大衆芸術→純粋平術という発展ステップを表わしていると誤解され易い。
  →両端矢印に修正し、範囲(領域)を表示するという意味付けにする。 

最後に、発表者の発表論旨を纏めると以下の通りとなる。
俳句活動を考える際、資料4でマッピングしたように活動領域が多く存在する。しかし「俳壇での名声や地位、あるいはそれによって得られる収入」に関心がなければ、俳句本来の詩型を生かせる「限界芸術」の領域で「自分のための文学」として、価値観を共有するメンバーと活動するのが最良ではないかと思われる。

予定では、発表者の発表論旨をたたき台に、さらなる考察を深める計画であったが、各資料の理解と整合に時間をとられ考察を深めるまでには行かなかった。
今後、出席者の俳句活動を考える上での参考情報として戴ければ幸いである。
(了)