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蜘蛛の囲の頭にさはる生家かな
kumo
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写真提供:箱崎秀夫(フリーカメラマン)

■200606_02
海紅 2006/06/22-17:47 No.[51]----------------------------------------

蜘蛛の囲の頭にさはる生家かな


小出富子 2006/06/23-13:34 No.[52]----------------------------------------

どんなにか、お忙しい毎日をおくられていらっしゃるか、いつも、心配しております。この句は、急用があって、御実家にお帰りになられた時、蜘蛛の巣が頭にさわるという、私も忙しいが、私の生家も、もっと、もっと、忙しく、蜘蛛の巣を払う間もなかったのか、気づいてあげなければ、いつも、いつも、気にはかけているが、来てみればこんな事になっているなんてと、悔やまれていらっしゃるお気持ちが、胸をしめつけます。


椎名美知子 2006/06/23-16:51 No.[53]----------------------------------------

訪れた実家は時の流れをわすれたような空間。にもかかわらず確実に変わっていて、迫りくる侘しさ。故郷を離れて生活しているものがまず思うことは無沙汰を詫びる気持ちのようです。
「どんなに出来ることはしたつもりでも、悔いが残るものです」と人に言われてほっとしたものです。共感いたしました。蜘蛛の囲が多くの言葉より雄弁に語っていて勉強になりました。



大江ひさこ 2006/06/24-12:13 No.[54]----------------------------------------

蜘蛛の囲という言葉を知りました。パソコンで変換すると「蜘蛛の囲」とでてきます。広辞苑で「くものい」を引くと「蜘蛛の網」を「くものい」と読みます。漢和辞典で引くと「網」は「い」とは読みません。でも「網」の項目に「い」と読ませる字が出ています。がその字は私のパソコンの辞書にはなくてここに書けなくて残念です。また私の小さい漢和辞典の「囲」の項目には蜘蛛は登場しません。でも例句を探すと蜘蛛の囲はたくさん俳句に使われているのですね。
私は蜘蛛が嫌いではなく、日常の暮らしの中に蜘蛛はどこにでもいて、朝、新聞を取りに出た玄関先に一夜のうちにこれほどと思う蜘蛛の巣がかかっていたりしても気がつかず、壊してしまって「あっごめん」なんていうことがよくあります。
したがって私はこの句にであったとき、どちらかというと心穏やかに訪れた生家で頭に触った蜘蛛の巣にも「なんだおまえこんなところに」と門口を入っていく気分が読みとれて、あるいは作者の句の背景を読み切れていないかも知れませんが、どちらかというと明るい雰囲気の句として好きです。



根本文子 2006/06/26-10:37 No.[56]----------------------------------------

「故郷の廃家」を思い出しました。(幾年故郷来てみれば、咲く花鳴く鳥そよぐ風,門辺の小川のささやきも慣れにし昔に変わらねど、荒れたるわが家や、住む人絶えて無し)うろ覚えで間違いがあればお教えください。
この歌詞に込められたような故郷の生家に対する複雑な感慨を、短い俳句と言う十七文字で余す所無く表現されているとおもいました。


高木久子 2006/07/12-11:19 No.[63]----------------------------------------

頭にさはるという表現で、頭にさわってはじめて蜘蛛の囲がそこにあったことに気がついたという、急いで生家へ駆けつけた雰囲気が伝わってきます。何歳になっても懐かしい生家、離れた故郷を思う気持ちが伝わってきます。

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