俳文学研究会会報 No.57   ホーム

日時 平成21年12月20日(日)
場所 赤坂界隈吟行
赤坂見附駅を十時に出発、主な吟行地として、大久保侯慰霊碑、豊川稲荷、赤坂不動尊、氷川神社、勝海舟旧居跡、旧乃木邸を巡った。寒波で気温は低いものの風がなく穏やかな「忘年吟行句会」でした。生憎谷地先生は所要で帰省し吟行は欠席でしたが、帰京の足でわざわざ句会場に寄っていただきました。句会に先立ち「本当は怖い文学のはなし」という題で先生に小講義をして戴きました。人は心に傷があるからこそ、それが光源となり玉(人間)を磨くことで光るようになる、傷が無ければ光らない。という趣旨で、辻征夫の詩・蕪村の言葉を引きながらお話戴きました。

◎特選句 数字は選句数

― 谷地海紅選 ―

◎酒樽を大きく積むも年用意 正浩
 冬日さす旧乃木邸の厩かな 喜美子
 黄金より名を惜しむとぞ寒椿 正浩
 呼び込みの必死の貌や師走らし
 小春日の飛びこんでゐる自刃の間 無迅
 海舟と並びそびゆる枯銀杏 佳子
 国を憂ふ人絶えずあり帰り花 月子
 日だまりの庖丁塚や冬木の芽 無迅
 裸木のレース模様を空に編み 良子
 吟行に出かける朝の畑の霜 喜美子
 路地裏をパトカー廻る年の暮 美雪
 方策の柚子を送りてぶさた詫ぶ 千寿子
 暗殺の地とも思へぬ冬日和
 閉店にジングルベルの音高く 信代

互選結果

スノーダンプショベルスコップ雪明かり 海紅 1
酒樽を大きく積むも年用意 正浩 4(うち特選4)
乃木邸の往時を語るヤブツバキ かずみ 1
冬鳥のさへづり降るや氷川森 良子 1
冬日さす旧乃木邸の厩かな 喜美子 2(うち特選2)
祝福の紅葉きらきら綿帽子 文子 1
赤坂の四角な空の冬木の芽 文子 2
大銀杏師走の世界睥睨し 美智子 2(うち特選1)
遠き旅順乃木大将のラシャマント 月子 1
乃木邸の裸木根元さらされて 富子 1
逆縁の妹泣けば雪霏々と 海紅 2(うち特選1)
豊川の子だき狐のやさしき眼 1
豊川の苦労封じて九郎九坂 美雪 1
   乃木希典 
黄金より名を惜しみけり寒椿 正浩 2
閉店にジングルベルの音高く 信代 1
木洩れ日に女夫(めおと)の影や石蕗の花 宏通 1
年々に亡き母恋し霜夜かな 千寿子 1(うち特選1)
小春日の飛びこんでゐる自刃の間 無迅 2(うち特選1)
暗殺の愚残れり冬の園 酔朴 1
おみくじに幸を占ふ年の暮 由希 1
冬晴れに飛行機雲も見逃さず 宏通 1
朽ちかけし畳に冬日殉死の間 酔朴 5(うち特選2)
浮寝鳥波のまにまに有るがまま 3
極月の赤坂氷川前のめり 無迅 2(うち特選1)
三時前白い夕日が沈む里 佳子 2
冬の陽に笑顔の二人照らされて 由希 1
この場所で十年おやじのおでん 信代 1
その寺へ昨夜(よべ)降りつみし雪踏んで 海紅 2
国を憂ふ人絶えずあり帰り花 月子 2(うち特選1)
日だまりの庖丁塚や冬木の芽 無迅 1
裸木のレース模様を空に編み 良子 1
吟行に出かける朝の畑の霜 喜美子 1
かさこそと話してゐる敷もみぢ 弘三 2(うち特選1)
暗殺の地とも思へぬ冬日和 1
寄鍋を待つ面々や一人酒 1
南天の実の下番の山鳩よ 佳子 1
はればれと霜の柱や今朝の庭 信代 1

附記 会報作成にあたり、歴史的仮名遣いに統一いたしました。(海紅)

参加者 

谷地海紅 尾崎喜美子 奥山酔朴 三木つゆ草 米田かずみ 大江月子 宇田川良子 小出富子 水野千寿子 金井巧 安居正浩 谷美雪 平塚ふみ子 根本文子 五十嵐信代 中村美智子 菅原宏通 情野由希 伊藤無迅 平岡佳子(欠席投句) 柴田憲(欠席投句)  尾崎弘三(欠席投句)  
(無 迅 記)

 

「おてもと句会」(赤坂吟行句会)

作 品 作 者 点   
涙目で泣くも笑ふも年忘れ 文子 11
すてるものひらふものあり年忘れ 酔朴 10
年忘れ嫌ひも好きも飲み干して かずみ 9
古希兎寅へとびこむ年忘れ 月子 9
だんまりもしやべくりもゐて年忘れ 千寿子 6
一杯のビールで忘らるる年もあり 良子 5
寂しさの上着脱ぎ捨て年忘れ つゆ草 5
年忘れケチャップの赤好きになり 無迅 5
揚げ出しのつゆを残して年忘れ ふみ子 4
年忘れ酒酌みかはし福来よと 美雪 4
年忘れはじける友の笑顔かな 喜美子 4
宴会の喋り手多し年忘れ こま女 4
箸はまづポテトフライに年忘れ 海紅 3
年忘れ変な気持ちだがいい気持ち 宏通 3
何夜でも忘れて楽し年忘れ 由希 2
明日また年忘れある年忘れ 正浩 1
健康のすこやかなりし年忘れ 富子 1

一寸鑑賞 
文子句 : 笑ったり泣いたり本当にお疲れ様でした。
酔朴句 : 捨てたり拾ったり本当にご苦労様でした。
かずみ句 : 好きな事嫌いな事本当に色々ありました。
(無 迅 記)

 

《 吟 行 記 》

 赤坂見附駅出口Dで人を待つ。ミステリー吟行の出発地である。通路は「星の散歩道」という名がある。三十分毎に照明が暗くなり、天井に星座群が映し出される。干支十二に対し、十三の星座にあてはめることはできないのだろうか。見慣れた通行人は立ち止まるでもなく足早に去っていく。音楽と幻想的な星座に自分の星座を探しに浮遊するかのように辿っていく。持って生まれた星の下に人は浮き沈みの一生を終える。天命など信じまいが、占いとは統計学の歴史でもある。因みに自分の星はしし座で、行動力があり、リーダーシップがあるという。内気で、人前に立つのが嫌な者からすれば嘘のようだ。居合わせた月子も同じしし座と聞き、もし月子が男だったら違った道を歩んでいたかと思うと、複雑な星の巡り合わせもやはり定めの法則があるようだ。
 薄暗い星の散歩道を抜ければ、途端に車の騒音が行き交う高架下に出る。弁慶堀で澱んだ水の中に釣り糸を垂れている。こんな処で釣れるのかの疑いをあざ笑うかのように釣りあげた。
 弁慶橋を渡ればこの辺一帯は紀尾井町といい、紀州徳川、尾張徳川、井伊彦根藩の親藩で江戸城を守っていた。ホテル群が清水谷公園を包むかの様に建っている。当時は鬱蒼とした藪だった。ここで、西南戦争の翌年、一八七八年に大久保利通が待ち伏せしていた賊徒に暗殺された。大久保は数日前に「西郷とケンカして高い処から落ち脳みそがピクピクしていた」という悪夢を見たと前島密に語っている。暗殺当日飼犬が、いつもと違う異様な吠え方で見送ったという。更に警察のトップには暗殺の情報が流れていたということもあり、大久保も少なからぬ予感があったのだろうか、懐には生前の西郷からの手紙を偲ばせていた。竹馬の友から西南戦争で袂を分かち、故郷で英雄扱いされた西郷に対し、近年まで大久保は評価されなかった複雑な感情の歴史が残っている。西郷の人情、大久保の合理性が結び続いていたなら、不平士族等の反乱が無かったかも知れない。大久保の怜悧さが私利私欲に走らせたと言われるが、没後当時の金で八千円の借金がある程潔白であった。政府が遺族を心配し借金以上の募金を集めたという。
   国を憂ふ人絶えずあり帰り花        月子
 紀尾井坂を更に上れば岩倉具視がやはり襲われ、堀に落ちたため危うく一命をとりとめた事件史がある。お互いの都合次第で暗殺が繰り返された明治には、心もとない明るさの中に暗という不気味な音が含まれている。平穏無事を望めなかった激動の明治でもあった。しかし平穏無事を願う時代はいつの世も変わらない。
   おみくじに幸を占う年の暮        由希
 徳川吉宗の懐刀大岡忠相が勧請し、自邸に祀っていたものを、移転させて創建された豊川稲荷がある。歴史に名を残す者は信心深いのも共通しているようだ。歴史を残すのも作るのも本人ではなく、やはり見えざる運の采配がある。幼い頃犬に睾丸を噛まれ生死を彷徨い、そのまま逝っていれば、変わった日本の歴史になったであろう勝海舟の存在だ。四十九歳から亡くなる七十六歳まで住んだ勝安房邸跡がある。近くの氷川神社の地名の由来から「氷川清話」を残した傑物である。幕臣でありながら、明治政府でも高官となった切り替えの早さに最後の主君徳川から苦々しく思われ、福沢諭吉からも毛嫌いされた。他者の批判など気にかけない豪直さがありながら、幼い頃噛まれたトラウマは消えず、犬をみると飛び上がる程怯えた一面もあった。若い頃の名前と、晩年の頃と名前を変え、違った人物と思わせるポーズのようにも思える。そんな移ろい易い人の噂も時代に消えていく。変わらないのは勝よりも遥かに長く生きてきた樹齢三百年以上の大銀杏が、話せるなら証言となるだろう。
   大銀杏師走の世界睥睨し         美智子
 木立が覆い被さるような境内に、そこだけ光が差し込み花嫁の真っ白な衣裳が輝いている。新しいカップルがうまれ、新しい命へと継いでいく。大樹の寿命からすれば、人は坂を上り下りの限られた短い人生だが、短いながらも確実な一歩を残せれば良いと思う。
   祝福の紅葉きらきら綿帽子        文子
 氷川神社を挟み、江戸時代に作られた緩やかな氷川坂と急な元氷川坂がある。急な元氷川坂を下りたところが勝海舟邸跡になっている。勝は若い頃何度か住まいを転々している。世情不安定な時代にあって、身を守る策だったのかもしれない。この頃一番血気盛んで、坂本竜馬が勝を切ることを目的とした面談も、勝の人物に惚れ、以後親密になったという逸話がある。
 昼の赤坂はメディアの発信地であるTBSが中心で、夜は高級クラブ、政界の暗躍の場所となる料亭が暗くなるのを待って静けさをたたえている。昼と夜の顔を使い分け、また夜と昼を逆に生活している眠らない街でもある。眠らない街が人を狂わせるのだろうか。防衛庁跡にできた東京ミッドタウンの公園で、クサナギツヨシが全裸になり世間を騒がせた。毛利藩のあった場所で庭園の一部を和洋折衷に利用した開放的な空間に、全裸で深夜の大気を感じたい気持ちがわからないでもない。酔った勢いとはいえ、裸になって自分を曝すことは、ストレス社会では少しは許されてもいい気がするが、生涯頑なにマントを脱げず、そして常に負い目を背に感じながら自刃の道を選んだのが乃木希典だった。西南戦争で薩軍に軍旗を奪われた時点で乃木にとって余生だった。日露戦争での多くの犠牲者を出した作戦に愚神という噂も流れたが、軍神として後に乃木神社が建てられた。資料室に希典、静子夫人の自刃が並べ置かれてある。死ぬことによって安住を得たのだろうか。道連れは一人夫人を残す憐みか、それとも絆を深める手段だったのか。謎は一部始終を見ていた残された庭の木だけが知っている。
 乃木邸の裸木根元さらされて       富子
                                 (酔 朴 記)

   
 

【 吟行のお知らせ 】

一 日時   四月二十五日(日) 午前十時 東上線東松山改札口集合 雨天決行
       (牡丹の美しい季節です。楽しみにしていてください)
 句会場  嵐山、女性会館

俳文学研究会会報 No.56
   
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