俳文学研究会会報 No.48   ホーム

日時 平成19年12月8日(土)
内容 大手門より江戸城址(皇居)に遊ぶ
場所 甫水会館

皇居吟行記 ― 席題「裸木」考 ―                  伊 藤 無 迅
やばい、遅刻だ! たかだか二分と読んでいた東京駅北口から皇居大手門前(集合場所)までを、歩き出したら結構遠い。慌てて奥山さんに遅刻の電話する。到着するや否や、筆者に席題の要請がでる。咄嗟のことで思わず「裸木」と口走る。挨拶もそこそこに園内に入ると景観は一変、落葉樹などほとんど無い。「裸木」は失敗か・・・とかすかに後悔の念が湧く。暫く歩くと空間が開け、見事な欅の大樹が二本、天を掃く様に立っている。少し胸をなでおろす。
裸木となりて晴れ晴れ雲を乗せ    文子
  風も無く暖かく絶好の吟行日和である。俳文研初参加の森恒之さん、情野(せいの)由希さんを交え、一行は思い思いに庭園を散策、句作に没頭する。園内には石蕗の花や山茶花、冬桜(十月桜)など、冬の花・返り花が咲き乱れ思いのほか華やかである。
青空へその手を伸ばす石蕗の花    由希
  筆者の歳時記によると「裸木」は、「枯木」の異名、ほかに傍題・異名として「枯枝」「木道」「枯木山」、「枯木星」「枯木宿」が並んでいる。皇居に入るのは始めてで園内の印象が判らず、簡単に「裸木」を選んでしまったが、入園直後に後悔の念が生じたのはこの傍題・異名をもつ「枯木」とは程遠い華やかな園内景観からである。本来は荒涼とした雑木林、葉を落とした街路樹などの季感が「枯木」かも知れません。皆さんごめん! ただ、「裸木」は「枯木」より「やや温かく、強い感じがする」と歳時記にありますので少し救われました。甫水会館に戻り、午後二時に句会スタート。句を開けてみれば、以下のように多くの佳句があり、席題への小生の心配は全く杞憂であった。。

― 谷地海紅選 ―

◎裸木となりて晴れ晴れ雲を乗せ 文子    
○平和とは小さき花びら冬桜 文子    
○青空へその手を伸ばす石蕗の花 由希    
○きらきらとお濠いっぱい冬日和 富子    
○石蕗の花みんな光を吸ひたがる 文子    
 皇居にて日向ぼこする至福かな 喜美    
 石蕗の花番所の瓦釘浮けり 恒之    
 冬麗らスケッチブックの淡い色 いろは    
互選結果
ただならぬ寒さや松の廊下跡 ひろし  
裸木の全きかたち空をつく 由美  
負うた子の遠き温もり冬ざくら いろは  
平和とは小さき花びら冬桜 文子  
石蕗の花番所の瓦釘浮けり 恒之  
裸木や右翼の車列走り過ぐ 月子  
裸木の向かうを雲の流れけり 芳村  
裸木となりて晴れ晴れ雲を乗せ 文子  
冬麗らスケッチブックの淡い色 いろは  
裸木に意志といふものありにけり 海紅  
石蕗の花みんな光を吸ひたがる 文子  
青空に裸木扇びらきかな ひろし  
歳晩や森深く住む天皇家 恒之  
自らを愛しみ揺るる冬桜 ひろし  
公演を終へたる月子十二月 海紅  
石垣に紅葉の影の濃かりけり 芳村  
名園の裸木の下本開く 酔朴  
青空へその手を伸ばす石蕗の花 由希  
サワサワと落葉の成せる点描画 千寿子  
摺り足で惜しむがごとく枯葉道 酔朴  
すれちがふ裸木の下異邦人 無迅  
きらきらとお濠いつぱい冬日和 富子  
裸木や空に大の字汐見坂 美雪  
石蕗咲くやボンボンエールの謂れ聞く 喜美子  
皇居にて日向ぼこする至福かな 喜美  
木洩れ日の紅葉の下に来て二人 海紅  
裸木や宮殿囲み高々と 月子  
諏訪の茶屋裸木に咲く花思ふ 美雪  
裸木の影大奥の跡に濃し 恒之  
ヒメリンゴ裸木なりても赤く染め 主美  
江戸城に今日の暮しやかいつぶり 月子  
十月桜一と枝揺らす風であり 芳村  
冬の蝶散る葉に混じりふはふはと 喜美  
見上ぐれば裸木描く青キャンパス 主美  

合 評                 伊 藤 無 迅
 今回の句会では、合評に約二時間時間を取ることが出来、活発な鑑賞が交わされた。特に、面白かった問題句は、次の一句。
裸木や右翼の車列走り過ぐ     月子
  四点句であるが、中七の解釈で評価が分かれたようで、「右翼の車列」が右翼の宣伝カーであることが明確に判れば、さらに選が増えたと思われる。裸木と右翼宣伝カーの配合が絶妙であり惜しい、という意見が合評の大勢を占めた。因みに筆者は、中七の「右翼の車列」を、交差点の点描(右側車列が信号が変わり走り出した)と解釈してしまった。言われて見れば、そうか右翼のアジ車かと納得できる、が選句の時は判らなかった。数時間前、待ち合わせ時間を気にしながら、交差点の信号待ちでいらいらした筆者にとり、やはり「右翼の車列」はどうしても交差点の点描になる。この辺が実景を優先させるという吟行句の怖さである。また、選句の時間は一瞬であるため、表現はある程度の正確性が必要になる。(因みに筆者は気づかなかったが、当日実際に右翼のアジ車が走っていたようで、この光景を実景として見ている人もいた。)

参加者 
谷地海紅、尾崎喜美子、奥山美規夫、梅田ひろし、根本文子、谷美雪、小出富子、中村美智子、大江月子、吉田いろは、水野千寿子、大原芳村、米田主美、森 恒之、三木喜美、西野由美、情野由希、伊藤無迅  (以上十八名。敬称略、順不同)    


皇居を吟行しながら
                 奥 山 酔 朴
 持って生まれた血筋によって不平等が生じる。仕方のないことだ。三百年続いた徳川の武家社会が崩壊し、古来の天皇制が復活し、新しい国家神道の構築が企てられた。国家護持の象徴であった比叡山を焼き払った傍若無人な信長も、天皇家には刃を向けなかった。皇室とはそれほど脈々と続いた威厳である。南朝・北朝と分かれた時期はあるものの、途絶えることのない血筋としては世界にあまり類がないであろう。だから、第二次世界大戦の敗戦がなければ、皇居とは雲上の世界で、我々が足を踏み入ることもできなかった。このたびはその皇居を吟行した。
広さは約115万平方メートルという。計り知れない数字だが、今その一部を解放している。旧江戸城本丸・二の丸・三の丸への見学は、駅から近い大手門が便利だ。そこは本丸への表玄関でもある。枡形に曲がれば、江戸時代そのままに百人番所が控えている。甲賀・根来・伊賀の忍者組各百人が交代で検問にあたったという。本丸登城口に石垣に使われた石材が置かれている。石垣は各藩が幕府に忠誠を示す証として築いたものだ。藩の威信をかけた工事だから、その造り方や素材の石もさまざまなのが興味深い。関東大震災にも耐えた石積みの技術には科学的な根拠があるという。誇るべき匠の技である。こうしたたぐいまれな技能を持つ国が開国を余儀なくされたのは何故だろう。それは運命のいたずらともいうべき偶発的な薩長派閥の権力掌握に依るのであって、天皇家とは水戸黄門の印籠に過ぎなかったのかもしれない。
  本丸を登りきると芝生が広がる。かつてこの辺一体で政が謀議されていた。将軍ただ一人のための大奥もこのあたりである。政と子孫繁栄は不可分な関係にあったらしい。天守閣正面向かって、左の茂みが忠臣蔵の舞台である松の廊下跡だと説明板がある。城内で一番長い廊下だったという。薄暗いせいか、空気が冷ややかである。よくここを散策する人によれば、季節に限らず、この一角だけは常に寒々としているという。浅野内匠頭の無念が今も残るということか。
  樹木に囲まれた自然豊かな空間だが、ぽっかりあいた天守閣跡には高層ビルがそびえている。都心はビル工事が盛んで、ハンマーを打つ音が途絶えることは少ない。この天守閣は明暦の大火で消失した。江戸一番の高層で地上十五階、地下一階という構造で、石垣の高さを加えると五十八メートル近いという。高台の高さを加えると高層ビルにも匹敵する威容であったろう。高いがために延焼を免れたかった。天守閣跡の休憩所に、城郭の復元模型と、百年前の城内写真と同一場所で撮られた現在の写真が並んで壁にかけてあり、幕府瓦解後のまもないころの姿を見ることができる。絢爛豪華なものほどその跡はあわれである。
  梅林坂を下る。江戸城を築いた太田道灌が植えた数百本の梅の古木が六十本ほど植え継がれている。苔むした石垣を背景にした花は風情があるに違いない。坂を降りると左が平川門、右は二の丸に至る。平川門に架かる木橋は当時の俤をよく残しているという。二の丸一帯は庭園で樹木も多く、句作に絶好の場所のひとつである。おそらく都道府県から寄贈されたのであろう、県木がずらりと諏訪の茶屋まで続いている。諏訪の茶屋には立ち入り禁止の柵がある。はじめ吹上の庭にあって赤坂仮皇居に移り、ふたたび吹上に戻って、さらに現在地に落ち着いたという。解体されずに残った由緒ある建物だから広く開放されてよいと思うのだが、そんな思いを斥けるように威容を誇っている。
裸足で日向ぼっこする姿が見える。陽だまりの中で本を開いている人がいる。スケッチしているのは画学生か。場所がら、外国人も多い。初冬というより、小春の名がふさわしい一日である。あたりを枯葉がゆっくり舞い落ちてゆく。わたしは落葉を慈しむように、摺り足で林の中を抜けていく。仲間も思い思いにこの季節を心に仕舞い込むように、暖かい日射しを浴びながら歩いていく。
  黒船来航後、幕府は階段をころげ落ちるように親藩からも欺かれて倒れていった。仮に全国の藩が団結し、脅威に耐えうるだけの武器を保持して戦ったならば、この国はまた違った近代史を歩んでいただろう。愚かも叡智も、後の時代がきめてゆくより仕方のない歴史である。再びバブルのはじけそうな師走の街を尻目に句会場へ向かった。


皇居吟行「おてもと句会」(番外句会)
 皇居吟行句会のあと、いつもの居酒屋「庄や」でお酒をいただきながら、恒例の「おてもと句会」を行いました。初参加は、恒之さん、由希さんでした。酔いが回るとともに頭も回転、構えない気楽さか、あるいは短冊が箸袋のせいか、通常の句会ではとても詠めないような自由奔放な句が今回も出ました。どうぞ鑑賞ください。
捨てられし句の数々や年忘れ 恒之    
年忘れ新人類の出会ひ有り 美智子    
三日目の風呂の水抜く歳忘れ 無迅    
待ち人をまだ待つてゐる年忘れ いろは    
長ねぎは煮えぬがよろし年忘れ 海紅    
ほほばりつ指折りしつつ年忘れ 千寿子    
年忘れ忘れたくない出会つた人 由希    
年忘れ私の年齢もさようなら 主美    
年忘れおいしい酒と笑顔あり 喜美子    
年忘れやきそばたぬき力そば 美雪    
ソファーのカバー編みあげ年忘れ 富子    
教室の句会の続き年忘れ 芳村    
汝と共にえびになるとも年忘れ 酔朴    

一寸鑑賞

恒之句:酔うほどに捨てた句に思いを馳せる。多作多捨の恒之さんは俳人の鑑。
美智子句:俳句は挨拶、その前にやっぱし出会いですよねー。
由希句:今日の出会いはどうでした?
主美句:なんと大胆な句、でも判る判る。(年令→歳だとルビが不要になりますね。)
美雪句:こういう人に悪い人はいない。
富子句:なんて健気(けなげ)な人なんでしょう。
酔朴句:とことん飲りましょう、でも汝はいったい誰?
 
俳文学研究会会報 No.47
   
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