俳文学研究会会報 No.46   ホーム

日時 平成19年7月14日(土)
内容 俳文学に関する講話と句会
場所 甫水会館

はじめに                  安 居 正 浩
七月十四日(土)の俳文学研究会(於甫水会館)は、谷地先生の講話を聞き、その後に俳句会を行いました。
先生の講話は「芭蕉信仰とその周辺」と題し、義仲寺の再建にかかわった人々のお話を、裏話もまじえ興味深くお話いただきました。
俳句会は新会員の植田好男さんを加えて二十一名。お互いに句の批評を言い合ったのですが、表記は漢字がいいか、平仮名がいいか、盆用意と盆仕度という言葉の地域性など、話は多方面に及びました。そのため全句に触れる前に時間切れになってしまい、申しわけない結果となりました。 


谷地海紅選

特選 百円で夏帽子買ひ似合ひけり 林書    
  のうぜんの花散り敷きて雨あがる 美知子    
  彼の人の訪ねしはここ蝉しぐれ 美知子    
  氷菓子病衣の母に笑む力 文子    
  大西日中年巡査日誌書く 好男    
  還暦を過ぎたる水着干しにけり 正浩    
  何着ても似合はぬ朝の梅雨じめり 月子    
  物置の隅に忘れし蝿たたき 光江    
  沸し湯の底の冷たし半夏生 無迅    
  盆用意慣れず写真に向き合へず 文子    
  マリンバの音色涼しき風起こし 喜美    
  モネの絵の日傘となりて街を行く 喜美    
  塵取にまだ咲いてゐる凌霄花 文子    

互選結果
(◎印は特選)
古書市に触るるものみな梅雨の底 芳村 (内特選6)
牛久・芋銭記念館      
沼底に河童隠るる大暑かな 希望 (内特選1)
炎昼のわが立つここぞ爆心地 希望 (内特選1)
氷菓子病衣の母に笑む力 文子 (内特選1)
盆用意慣れず写真に向き合へず 文子 (内特選1)
瞳に海をまだもつてゐる日焼かな 無迅 (内特選2)
残すこと忘れたきこと夏の雨 正浩 (内特選1)
のうぜんの花散り敷きて雨あがる 美知子 (内特選1)
荒梅雨や終着駅の茫々と いろは (内特選1)
大西日中年巡査日誌書く 好男 (内特選1)
モネの絵の日傘となりて街を行く 喜美  
鬼灯市闇に浮かぶや仁王門 好男  
沸し湯の底の冷たし半夏生 無迅  
影負ひて走り来る子や蓮開く いろは  
変容は恋の数ほどダリア園 美規夫  
芦野吹く青田にやさし柳かな 美規夫  
金魚つりヨーヨーつりて手をつなぐ 富子  
河童忌やデジタル時計の文字動く 月子 (内特選2)
魚ねらいたたずむ鷺や青嵐 由美 (内特選1)
万緑や親子の銀輪駆け抜ける 喜美子  
物置の隅に忘れし蝿たたき 光江  
あぢさゐや袋小路のほの明かり いろは  
塵取にまだ咲いてゐる凌霄花 文子  
百円で夏帽子買ひ似合ひけり 林書 (内特選1)
彼の人の訪ねしはここ蝉しぐれ 美知子  
浮草に石一つ投げ話しこみ 月子  
蜘蛛の糸たわみて光る雨上がり 光江  
訪ぬれば青み増したる棚田かな 喜美子  
缶ビール口を開け合ひ旅始まる 芳村  
石畳すみれ一輪隙間より 佳子  
心平の雲と越えきし遠青嶺 無迅 (内特選1)
還暦を過ぎたる水着干しにけり 正浩  
眠られぬ一夜の友は蚊の羽音 富子  
読みさしの本を枕の午睡かな 由美  
ふんすいや葉騒ぐ風に吹かれ散る 由美  
さくらんぼ出て登校に手間どれる 海紅  
台風の進路の街や戻り梅雨 海紅  
広島や夾竹桃の白き朝 好男  
絵手紙や初摘り茗荷と花ことば 美雪  
遠浅間ニセアカシアの花匂ふ 芳村  
新緑の真只中に深入りす 光江  
朝顔の紺青空へしみてゆく 由美  
マリンバの音色涼しき風起こし 喜美  
    (先生の追加選は点数に入っていません)

歳時記の家(二)                   有村 南人
それらの根元は、水仙やクロッカスであったり、マーガレット、鈴蘭、花菖蒲、ダリア、百合、桔梗などのほか、百花繚乱とはこのことかと目を見張るほどである。こうして羅列していてもきりがないのだ。樹の幹、枝、葉、花など色つや良く、実もしっかり結んだ。
  驚いたことに、大木であろうと花であろうと、あらゆる植栽が鉢植えだった。道路に沿う私有の土地が狭いから当然、と言われればその通りである。
  鉢は園芸用品店に売っている生優しい作りの物では間に合わず、漬物用の樽であったり特大のポリバケツであったり、鮮魚が氷温になって届いたであろう発泡スチロールの箱であったりした。南側の玄関脇の軽自動車置場までが最小限に抑えられ、細い庭を西に向かって植木鉢が占領していた。隣の空地とは、コンクリートの塀で仕切られている。奥に行くほど薄暗く、一年中木下闇だ。通りからでもそれとわかる黄色の光は、からたちや柚、夏みかんのたぐいである。居間か何かの掃出し窓の下はずらりとベコニア、そしてハイビスカスの原色が数鉢に、数々の薔薇と、あとは私には名のわからない花々、という具合である。奥まって最も日当たりの悪い角に柿の木が一本、二階の屋根を越えるほど伸びていた。これはさすがに鉢植えでなかった。
  おばばの休日は風雨で体が吹き飛ばされそうな日だけだそうで、常の日課はほとんど庭仕事に費やされているようだった。小さく丸味を帯びた体躯を駆使して、おばばは自分より丈の高い脚立を難無く運び、鋸も使う。新しい鉢を増やす、施肥、水遣り、剪定、屑の始末・・・・。害虫の駆除さえ、可能な限り手作業だった。園芸を得意とするくらいだから、おばばは虫など平気である。大切な作品にくねくねとよじ上ろうとする幼虫は、見つけ次第素手でつまんで捻りつぶす。おばばの郷里で家の厠にいつも出没したとういうタランチュラに比べたら、東京の虫なんぞかわいいものだ、と言う。
  おばばには夫が健在だった。夫は妻の趣味に干渉しないらしかったが、時折、夫婦喧嘩が聞こえた。おばばの渋い声の方が夫より迫力があった。琉球言葉でやり合うから、はたの者に内容がわからない。しかし、けんかは二人にとって一時の雷雨なのである。仲が悪いのではない。
  昼時になれば玄関の引戸があき、まず愛犬が飛び出して、手を洗っているおばばにまつわり付く。それからおばばの夫が、手製の握り飯と高菜漬にお茶の道具などを運んでくる。玄関前には、おばばが一服するときのスチール製の椅子が置いてあり、それが急遽お昼のテーブル替りになった。傍らに三段ほど積まれて並ぶコンクリート・ブロックに夫婦は腰をおろし、昼食が始まる。食事の最中、おばばは膝の上に乗った犬の長い舌に顔を舐められながら、よしよし、とあやしている。こんなふうにして、おばばと愛犬は顔つきが似たのかもしれなかった。
  椅子の上が空っぽになり、おばばの煙草のけむりがにおう頃、どこかで見張っていたかのように、近所の美容院の「大先生」や理髪店の老夫婦が現れて、おたく紫陽花増えすぎて困らないの?ありゃあ、何度も言うようだが、切り花にしても水上げが悪くて、だの、おばばの祝殻の棘にやられた。おや、あんな所まで何の用で入ったんだ、だの、酒屋の新しい店員って飲んべえなんだってね、空きびん片付けしているの見れば、それが仕事とは言えおかしくってさ、酒好きゃ酒なら空きびんでもいいのかねぇ、なんて話になる。
  おばばが煙草をブロックのへりで揉み消し、愛犬を夫に預けて立ち上がると、昼休みの終了である。おばばは、首に掛けたタオルの片端で顔を拭ってから、さて、と言うふうに軽く両手の平を打ち鳴らす。一輪車の上を作業台にして、土と肥料の袋を開け、株分けなどの仕度に取りかかるのだが、閑人達は解散し難いのか、菓子屋のロールケーキが年々細くなっているけど、気がついていた?みたいな世間話にしばし余念がない。
  騒々しいからであろうか、この家の上空に野鳥は寄り付かなかった。が、植物に潜む獲物を鳥が嗅ぎつけないわけがないので、きっと、人や犬のいない時分を見計らって、内緒でついばみに来ていたのかもしれない。
おばばの家に異変が起きた。
  繁みのどこかでふと思い出したように奏でていた虫の声も落ち着いた、晩秋のことである。
  「ご自由にお持ち下さい」
  玄関先のおばばの椅子に、ダンボール箱を切りとって作った告知板が貼り付けてあった。黒いマジック・インキで矢印も書かれている。矢印は椅子の隣の一輪車を示し、そこには、肥料や土の紙袋ではなく、少し色の悪い柿が山積みとなっていた。柿が獲れすぎて困るのだろうか。毎年時期になると、二階の窓周辺に数珠つなぎの干柿が飴色をして何列もぶらさがっていたのだが、おばばは今年柿を剥かなかったのだろうか。
  「ご自由に・・・・」と書かれているのに、何が後ろめたいのか「すみませんが、一ついただきます」と、私はあたりに聞こえるように言った。選り好みしてあれこれ手に取るのもためらわれて、目でなるべく甘そうな色の一つを選び殊更に胸の前に掲げると、その場を離れた。柿は渋柿だった。
  それから数日経ったが、おばばの家の玄関があくことはなかった。おばばも夫も犬も赤い軽自動車も消えた。夜になると明かりが灯るから、誰か住んではいるのだろう。

 翌年の夏のある夕方だった。おばばの家の植栽に、ホースを揺らして水遣りをしている女性の姿が、遠目に見て取れた。意外な光景だった。私は立ち止まり、しばらく女性の動きを追っていたが、意を決して近付いた。女性が仕事を終えてどこかへ去ってしまったら一巻の終りだ、と思ったのである。
  「失礼とは存じますが、こちらの植物を育てていらっしたご婦人は・・・・」と切り出すと、それは私の母だ、昨年の十一月の末、肺がんで亡くなった、七十歳だった、と女性は淡々と言い、壁際の水道の蛇口を締めた。
  「母の遺志を大切にしたいので、こうして守っています」
  水を浴びた樹木と土から、蒸し暑さと涼味が同時に匂った。
  「実は昨年こちらにあった柿を一ついただいたもので」「そうでしたか、また今年もどうぞ」
  (あ、そういうことだったのか)私はおばばの娘にお悔やみを言った。夕刻のせいもあってか、女性がおばばと相似しているようには見えなかった。体格がよくて、父親似でもない気がした。けれども、おばばのあとを継いでくれる人がいて良かった、と内心素直に喜んだ。父親と犬の消息は問えないでいた。
  しかしその秋、柿の載った一輪車はなかった。生でかじって旨くない柿を、また特別ほしいわけではない。おそらく山と積まれていても、私はもう手にしなかったであろう。が、どこかで落胆していた。柿の木は株だけを残し、切られていた
  そうして更に一年あまり過ぎると、通りの四季を彩ってきた花卉は見る毎にやせ衰えていた。母体は植木鉢の土だから、手塩にかける者がいなければ草木の生命が持たない。おばばの丹精した鉢に、土が剥き出して乾き、強風の日はそれが舞い上がった。家の住人が私のようなものぐさかどうかはわからないが、ハイビスカスは虫の餌食となり、夏みかんは粒小さく、柘榴の葉は変色したり、虫が隠れ家にしていた。その小枝は養分を使い果たして、貧弱な果実をぶら下げている。椿は蕾を抱きながらそのまま固まってしまい、時期が過ぎても、とうとう開かなかった。咲き乱れていた花々も雑草に勢力を奪われていた。木瓜は前年と変わらず緋色の花を付けたが、これだけが土壌から育っているのだった。
  まだ表札がおばばの姓のままになっている家は、夜になると窓から明かりがもれた。東側の壁があらわになって、薄い新建材だから夏などは午前中に熱をたっぷり吸収し、屋内の住人は暑くてたまらないのに相違なかった。(野いばらとか百合なんかの匂をかぎたくて、蜂にびくつきながら花芯に鼻を擦り寄せたっけ・・・・)すっかり萎縮して新しく芽吹くことができないでいる野いばらは、次の年には朽ち果てているだろう。そうだ、あのおばばのスタイル、首のタオルと柄物のエプロン、スニーカー、それが定番だった。スカートとズボンは日々の作業内容で決めていたらしいが、竹秋のころ、通りに散った竹の葉をシャラシャラと箒で集めるおばばに、もう会うこともなければ、重陽のころには、発泡スチロールの箱に実った稲の穂をたなごころに受けて、その重みを確かめるようにしていたおばばを再び見ることはない。閑人たちも見かけなくなった。大先生の店と理髪店の戸口に、萩の一鉢なりと、おばばの形見分けがされていないものか探したが、どの店もひっそりしていた。
  それでも私は諦めきれなくてこれからも、もしかしたら、とそのあたりを彷徨するのであろう。
                                         〈完〉


俳文学研究会会報 No.45
   
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