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延命を拒み梅雨なき町愛し

■200906_01
海紅 2009/06/01-15:39 No.[6439]----------------------------------------

延命を拒み梅雨なき町愛し


大江月子 2009/06/01-18:21 No.[6440]----------------------------------------

まさか海紅先生 御病気なんてことないでしょうね。なんて思ったりなんかして。


佐和子 2009/06/01-21:09 No.[6441]----------------------------------------

早いものですね。もう六月ですか。
延命を拒んだ人はどなたでしょう。ここは赤裸々に作者の母と断定させて下さい。そうしないと私が抱く物語が涙とともに進展いたしません。月子さんごめんなさい。旅立たれるお母様は凛々しく尊敬される生き方ですね。
梅雨のない北海道は素晴らしい限りの季節だそうですね 今日は曇りのようだと先ほど聞きました。


佐和子 2009/06/01-21:56 No.[6442]----------------------------------------

私の投稿は早とちりでした。
人命の尊厳にかかわります。まだご存命中の句でしたら申訳ございません。


佐和子 2009/06/02-20:58 No.[6445]----------------------------------------

死に向けて時を刻む人を決め付けましてどちらさまもお許し下さい。
やはりこの句を詠んで真っ先に頭に浮かびましたのは
斉藤茂吉の短歌「死にたまふ母」です。

我が母よ死たまひゆく我が母よ
我を生まし乳足(ちた)らひし母よ 茂吉

死にへの恐怖を口にしない母そしてその子は

 はるばると薬をもちて来しわれを
見守りたまへりわれは子なれば   茂吉

どうやら私には無理があり他力に寄りました自分の言葉
で今回は句感想できませんでした。


佐和子 2009/06/03-21:22 No.[6447]----------------------------------------

臥せている病人には何故か安堵の表情がみられます。
「先生、わたくしの余命は幾許でしょうか」と気丈にも聞いた事でしょうか。
この町に長く住んで患者の性格を知り尽くした医師といたしましても一瞬言葉を呑み遠くを眺める目をしてから「本土の入梅はどの辺まで行ったかなあ」と呟きそれから
「Aさん前にも話したようにS市の総合病院の方が此処よりも治りが早いのだがねえ」
臥せている人は微かに首を横に振りしばらくしてから穏やかな表情になりました。


ポプラ 2009/06/06-22:05 No.[6458]----------------------------------------

海紅さん(こう呼ぶことをお許しください)は、近年お二方のお身内を亡くされていらっしゃいます。延命を拒まれたのはどなたかは詮索すまい、が、そうであったのかと改めて知る句です。
厳しい冬のつぐないでもあるかのように、北海道には梅雨がないと聞きます。海紅さんの句の背景、そして源泉は北の大地なのですね。



佐和子 2009/06/09-21:18 No.[6469]----------------------------------------

まあ聞いてください。
私なんかは不治の病に罹りましたら身の不運を歎き
う〜ん悲しみ取り乱しますことでしょう。
あぁ怖いですね。作者は淡々とこういう人がいましたと
語っています。冷静にそして根底からの人間愛です。
その時は取り乱すことのないように自信ありません。


佐和子 2009/06/11-21:53 No.[6479]----------------------------------------

来る日も来る日も雨かと思いきや半日で終りました。人生経験が足りません。延命を拒否なされた方は残していく周りの人々に安心できるのですね。みんな仲良く生きてね。いいのこれ以上は。ほんの少し聞えます。


山房の海紅 2009/06/12-00:49 No.[6484]----------------------------------------

作者の海紅です。一つ一つのコメントをありがたく読みました。作者としてはポプラさんの解説ですべてが尽きています。感謝、感謝です。


天野 さら 2009/06/14-00:00 No.[6490]----------------------------------------

お母様のご命日が近づいたのでしょうか。故郷の北の大地とともにお母様を思い出されたのでしょう。私も一昨年母をなくしました。不思議なことに亡くなってからは元気でいたとき以上に母との思い出が鮮明に浮かんできます。寂しがらないようにとの母の心遣いかもしれません。先生のお母様も先生のことをいつも見守っていらっしゃいます。



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