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頓て死ぬけしきは見えず蝉の声
芭蕉(猿蓑)

猿蓑に前書きはないが、『卯辰集』には「無常迅速」という前書きがある。

句意は「蝉の命は短い。しかしこの元気に鳴いている蝉の声を聞いていると、とてもすぐ死んでしまうとは思えない」
近江の幻住庵での句。この句の蝉は滋賀県でにぎやかに鳴く油蝉か。

芭蕉がどういう気持ちで句を詠んだかというのは重要な問題であるのだが、私は別のことに興味を持った。
支考が『本朝文選』所収の「示秋之坊辞」に書き残しているところによると、加賀の弟子の秋之坊が元禄3年に幻住庵を訪ね一夜を過ごした後、この句が芭蕉から与えられたという。
秋之坊の生年や出自は定かでないが、元々加賀藩の武士であったようである。芭蕉を訪ねた頃は、その身分を捨てて貧しい出家生活を送っていた。
語り合った一夜で芭蕉はすっかり秋之坊にほれ込み彼なら同じ心境を共有できるという気持ちになったのであろう。句を与えることで、「人生は短いのだから心残りの無いよう思い切り生きなさい」というエールを送ったと考えられる。同時に芭蕉には世捨て人的な秋之坊をいとおしく思う気持ちも強くあったのではないだろうか。
芭蕉47歳。秋之坊はその時、彼の没年などから30歳前後の青年僧でなかったかと、私は勝手に想像している。

(文) 安居正浩
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