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しかめたる鏡のかほの寒さかな
九節(有磯海)

句意は「しかめっ面をした私の顔が鏡に写っている。こんな顔をしていれば一層寒さを感じるではないか」

九節(きゅうせつ)は芭蕉の門人で伊賀上野の商人。同じ伊賀蕉門で芭蕉の信頼の厚かった猿雖(えんすい)の姻戚という。二人とも内神屋(うちのかみや)という屋号を名乗っているのだが、『俳文学大辞典』などを見ても商人や富商と書かれているだけで商売の内容は書かれていない。伊賀蕉門の研究で一番詳しいと思われる『伊賀蕉門の研究と資料』(富山奏)にもその記述はない。ただ土芳の『三冊子』(愛知県立大学所蔵本)の後見返しに出版者として「伊州 内神屋三四郎」という名前があり、その人物は猿雖の後裔と伝わっているので、同じ屋号の九節も版元に関わる商いをしていたのかもしれない。

商売か身内のことで何かうまくいかないことがあるのか、それともただ気分が悪いだけなのか。いつの間にか顔をしかめている鏡の中の自分を見て、一層寒さを感じているのが面白い。「鏡」は江戸時代だからガラスではなく、青銅・白銅・鉄などを水銀やざくろの酸で磨き上げた手鏡だろう。

顔の表情一つからでも俳句は生まれる。どんなことにも反応できる感受性さえ持てば作句に苦労しなくてすむということである。

(文) 安居正浩
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