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手のうへにかなしく消る螢かな
去来(曠野)

前書きに「いもうとの追善に」とある。

句意は「少し前まで光っていた蛍が今は手のひらの上で光らなくなってしまった。死んでしまったようだ。なんとはかなく悲しいことだ」

向井去来には千代(俳号千子・ちね)という妹がいた。二人は仲が良かったようで去来の『伊勢紀行』に一緒に伊勢詣をしたとある。その二年後二十代で亡くなった千子は「もえやすく又消えやすき螢哉」という辞世句を残している。
去来の句は前書きでわかるように妹の追善句で、千子の辞世句を受けて詠まれている。

若くして亡くなった妹への思いに心を揺さぶられる句なのだが、もしこの句に前書きがなかったらどうだろうと考えてみた。「かなし」は〈愛し〉とも〈悲し〉とも読め、また「消ゆ」は〈明滅が消える〉とも〈死ぬ〉とも読める。とすると 『手の上の蛍の光が今消えている。明滅を見ていると螢とはなんといとしいものだろう』と解釈することも可能である。妹を悼む句とは異なり、小さな虫をいとおしむまた違った魅力のある句として味わうことも出来るのではないだろうか。

(文) 安居正浩
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