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畳めは我が手のあとぞ紙衾
曾良(猿蓑)

「題竹戸之衾」と前書きがある。
句意は「芭蕉先生の紙衾に見える折り目は、私が一生懸命たたんだ手の痕なのですよ」
前回紹介した芭蕉が竹戸に贈った「紙衾」については、後日談が伝えられている。芭蕉の大垣到着は、元録2年8月21日頃と言われているが、曽良は遅れて9月3日に入っている。その時紙衾はすでに竹戸の手に渡っていた。自分が「おくのほそ道」の旅で、手に触れてきた愛着のある紙衾が他の者の手に渡ってしまっているとは。何故芭蕉は自分にくれなかったのであろうか。その悔しさを詠んだのがこの句である。
ただ曽良は芭蕉の露払いとして少し前にも大垣に立ち寄っている。そのとき竹戸に出会ったと『曽良随行日記』には記されている。だから二人は親しかった可能性もある。句ほどには悔しい気持ちはなく竹戸への多少のからかいと、「良かったね」との気持ちを込めた句とも読むことは出来る。

(文) 安居正浩
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