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一つ家に遊女も寝たり萩と月
芭蕉 (おくのほそ道)

『おくのほそ道』の市振での句。 
同じ一軒の宿に遊女と泊合わせた。おりしも庭には萩の花が咲き、月も照らしているよ、の意。遊女達のあわれな身の上を思う気持ちが、萩の花と月でより余情を深める。萩の花は遊女、月は芭蕉だと見る人は多いが、芭蕉が自身を上から照る月に見たてることはないのではないかとの意見もある。
この章は『曾良旅日記』に記述が無く、内容も異色であることなどから、『撰集抄』の江口の遊女の説話を元にした芭蕉の創作と考えられている。『おくのほそ道』全体を連句的に見るとそろそろ恋の場を必要としたからである。文章が創作であれば当然句も虚。
では現代俳句で「虚」の問題はどう考えればいいのだろうか。指導者から、実際に見聞きし感じたことを詠まなければいけないと指導されることがある。しかし元々俳句が、自由に想像の世界を切り開いてゆく連句から生まれたものであるから、そう堅苦しく考えなくていいと思う。実感や経験を句にすることは大切だが、例え空想で句を作ったとしても、どこかに作者自身が出て来るはずだから、あとは読者が評価してくれる。俳句は気楽にやりましょう。
とはいっても男性なのに女性の句を詠んだり、親が元気なのに病人にしてしまうなどは行き過ぎだと思うが・・・。 

(文) 安居正浩
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