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草いろいろおのおの花の手柄かな
芭蕉(笈日記)

 この句は昭和五十八年、アメリカのレーガン大統領が衆議院本会議場での演説に引用したことで知られている。
  「いろいろな種類のたくさんの秋草がいろいろな花を咲かせているが、それはめいめいの草の手柄といってよい」という意。自然の力のすばらしさにあらためて感動している句であろう。『笈日記』岐阜の部に「留別四句」の一句として掲出されるので、貞享五年、『更科紀行』に旅立つ時の別れを告げる句である。見送りの人々対する感謝の気持ちを表明しているのであろうが、その陰にこの時の送別句に対するそれぞれの出来ばえをほめる意味をこめている可能性がある。

   貞享五仲夏 
   その年の秋ならんこの国より旅立
   て更科の月みんとて、
   留別四句
送られつおくりつ果ては木曾の秋 翁
草いろいろおのおの花の手柄かな
   人々郊外に
   送り出で三盃を傾侍るに
朝顔は酒盛り知らぬ盛りかな
ひよろひよろとこけて露けし女郎花

上記「留別四句」の内、「朝顔は」及び「ひよろひよろと」の句は『曠野』「初秋」の部に入集し、「おくられつ」の句は同じく『曠野』の「旅」の部に入っている。しかしこの「草いろいろ」という句だけは入集されていないことから、その意図が気になるところである。なお「草いろいろ」という表現は『古今集』秋上の「みどりなるひとつ草とぞ春は見し秋はいろいろの花にぞありける」(読み人しらず)を踏まえるとされる。

 掲出句の句碑を探して戸塚に出掛けた。戸塚は旧東海道五番目の宿場である。江戸からは約十里(40キロ)にあり、当時の成年男子の標準的な一日の行程が十里であったので、最初の宿泊地として繁盛した。多分芭蕉も泊まったであろう。
  この句碑があるという八幡社は中々見つからない。区役所に駆け込んでようやく矢部町の街山(つじやま)八幡社であると教えられる。今は車も入れないような複雑な住宅地の中で、入り口には庚申塔や地神塔などの古碑が並び、境内には力石(鳴息一心)がある。境内の外の道路際、鉄柵の中に句碑を見つける。「霊水池」と書かれた井戸があり、その隣のほぼ四角の白い自然石に「草色々おのおの華の手柄かな」と刻まれ、周囲には「蛇のひげ」だろうか、青々とした草が植えられていた。区役所の資料に文政八年(1825)の建立とある。
  句意が比較的わかりやすいこの句は、東海道、鎌倉道、大山道を行き交う大勢の旅人を励まし、慰めたのであろうと往時を偲んだ。

(文) 根本文子
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