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まつ茸やしらぬ木の葉のへばりつく
芭蕉

 松茸に、何か知らない木の葉がべったりとへばりついている。まるでその木の葉のように、顔見知りの支考にべったりとへばり付いて、見知らぬ男がやって来たよ、という意。何気ない写生句のようであるがこれは寓意の句とされている。支考編『笈日記』(元禄八年刊)の「伊賀部」元禄七年九月の記事に、「九月二日、支考はいせの国より斗従をいざなひて伊賀山中におもむく、是は難波津の抖擻(とせう)の後、かならず伊勢にもむかえむと也。三日の夜かしこにいたる。草庵のまうけも、いとゞこゝろさびて、蕎麦はまだ花でもてなす山路哉 翁、 松茸やしらぬ木の葉のへばり付く 仝、 この松茸をその夜の巻頭に乞うけて、哥仙侍り」とある。「抖擻(とそう)」は行脚のこと。また「哥仙」は歌仙に同じ。蝶夢編『芭蕉翁俳諧集』によれば、此の句に付けた脇句は「秋の日和は霜でかたまる 文代(ぶんだい)」であった。文代は伊勢の斗従の別号とされる。支考にぴったりと付いてきた斗従の様子を、芭蕉が戯れに「へばりつく木の葉」といったもので、「知らぬ木の葉」とか、「へばりつく」というくだけた表現が晩年の「かるみ」とされる。この句は元禄七年九月と想定され、芭蕉は十月十二日に亡くなっている。

 

 残暑の一日、滋賀県甲賀の信楽でこの句碑に出会った。玉桂寺という古刹で、寺には樹齢千年といわれるコウヤマキが群生している。句碑は明治三十五年の建立であるが、墨直しが行われたのか句に朱が入っている珍しいものであった。

(文) 根本文子
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