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郭公(ほととぎす)声横たふや水の上
芭蕉(藤の実)

 初夏の隅田川、ほととぎすがするどい声を残して飛び去った後も、その声は水の上にゆたかに広がりまるで横たわってでもいるかのように波にたゆたうことだ、という意。「郭公」つまり閑古鳥を「ほととぎす」と読むのは和歌の習いだが、ここは時鳥(子規、不如帰、蜀魂)である。
  元禄六年四月二十九日付、大垣の荊口宛て書簡でこの句の作句事情を知ることができる。手紙によれば芭蕉はこの春、猶子桃印を病気で亡くし断腸の思い止み難く、精神もくたびれ、花の盛り、春の行方も夢のようで句も出来なかった。夏になりほととぎすが啼きわたるようになると、人々はそれを句に詠む。しかし自分は蜀の望帝が旅先で死去したとき、その魂がほととぎすになった故事を思い出し、桃印のことが一入悲しく思われるので、ほととぎすの句は作らないと決めていた。そこへ「愁情なぐさめばやと、杉風、曽良、水辺之ほとゝぎすとて、更ニすゝむるにまかせて」、ふとできた句という。「赤壁賦」(蘇東坡)の一節「白露江ニ横タハリ…」を踏まえた点を味わってほしいとも書いている。このとき芭蕉は「同じ心」でもう一句、「一声の江に横たふやほとゝぎす」を詠んだ。そして「ふたつの作いずれにや」と決めかねているところに、沾徳や素堂、安適などが来て、「水の上」に決まったという。(以上、荊口宛書簡)。しかしこれを聞いた許六は強く反対し「一声のかた勝れりと思へるなるべし」(『篇突』)と云っている。さらにこれに対し、去来がまた反論している。(『旅寝論』)。
  先日、作句の現場を見たいと思い深川に出かけた。この句は江戸時代以来人々に好まれなかったのか句碑が見つからない。平成九年に芭蕉記念館に隣接する隅田川テラスに、九枚の句碑プレートができ、その一枚に入っている。心地よい川風の遊歩道、水ぎわから一メートルくらいのその句碑の傍に立つと、隅田川はきらめく大河である。この河の上を声を残して飛び去るほととぎすを想像する。確かにその声は水の上にひろがり、消えがたく横たわりただようであろう。和歌の代表的な題である「ほととぎす」は芭蕉の句に多く、およそ二十六句を数える。なかでもこの句は、世を去ってまだ一ヶ月の桃印への想い、死者の魂の鳥であるほととぎすへの思いを抜きにしては語れないであろうと強く感じた。

(文) 根本文子
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