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都ちかき所にとしをとりて
薦を着て誰人います花のはる
芭蕉(其袋・新春・元禄三)
 美しい初春の今日、薦(こも)を着て乞食姿(こつじきすがた)の僧がいらっしゃる。どなたなのであろう、あの徳の高い方は、の意。季は「花のはる」で新春。「花」は賞美の言葉で桜のことではない。「薦」は莚(むしろ)で、莚をかぶっている僧は乞食僧ということになる。芭蕉は〈なを(ほ)放下(ほうか)して栖(すみか)を去(さり)、腰にたゞ百銭をたくはへて、柱杖一鉢(ちゆぢやういつぱつ)に命を結ぶ。なし得たり、風情終(つひ)に菰(こも)をかぶらんとは」(栖去之弁)といい、万物放下の乞食の境涯を求めた。なお「います」は尊敬語。
  乞食の中に立派な世捨人がいるものだという感慨を、西行(実は西行に仮託した語り手)の『撰集抄』に見える乞食僧を思いかえす形で、真に風雅の誠を追求する人物へ呼びかけた句である。しかし、元禄三年(一六九〇)四月十日付此筋・千川宛書簡に〈京の者共はこもかぶりを引付の巻頭に何事にはと申候由、あさましく候〉とあるように、京都の他門の俳人たちには理解されなかった。元禄三年正月二日付荷兮宛書簡に「都の方をながめて」と前書、同年正月十七日付万菊丸宛書簡には「歳旦、京ちかき心」と前書。ほかに元禄二年(一六八九)十二月末日(推定)付去来宛書簡を参照。なお、芭蕉は路通とともに元禄三年の新春を迎えている。
   注・本稿は『芭蕉講座』「第四巻 発句・連句の鑑賞」(有精堂、昭58)の谷地稿にほぼ従った。なお「柱杖」の「柱」の偏は正確にはテヘンで、支えるの意。
(文) 谷地
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