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高 野
ちゝはゝのしきりにこひし雉の声
芭蕉(笈の小文・春・貞享五)

高野山にあって雉子の声を聞いていると、今は亡き父母を恋う気持ちがつのるばかりである、という意。芭蕉が高野山に詣でたのは四十五歳の三月(陽暦四月下旬)。前月中旬には伊賀の実家に帰り、亡父三十三回忌法要を営んでいた。高野山は空海が開いた真言宗の霊地で、芭蕉は〈此の処は多くの人のかたみの集まれる所にして、我が先祖の〔鬢髪〕をはじめ、したしくなつかしきかぎりの白骨も、このうちにこそおもひこめつれと、袂もせきあへず、そゞろにこぼるゝなみだをとゞめかねて〉(卓池『柏青舎聞書』)と、その際の心情を吐露する。「思う」ということ、これはできそうでできない詩作の要諦のひとつ。詠作の背景に、「山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」(伝行基・玉葉・釈教)、「子を思ふきじはなみだのほろろ哉」(山之井)が指摘されている。

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