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餞乙州東武行
梅若菜まりこの宿のとろゝ汁
芭蕉 (猿蓑・春・元禄四)
前書に、乙州(おとくに)が東武、つまり江戸へゆく際のはなむけの句、とある。梅が咲き、若菜が萌えて、鞠子の宿では名物のとろろ汁を食べる。旅にはまことによい時節ですよ、と道中の多幸を祈っている。『猿蓑』所収歌仙の発句。「梅」「若菜」と春の季題がふたつあることを気にする人がある。季重なりという、ルール違反を犯していると主張する人たちは、「梅」「若菜」のふたつゆえに増す、季感や餞別の情というものを味わえない。これは悲しい事態である。これは「梅」「若菜」の句ではなく、「とろゝ汁」の句である。この生活的素材が詩のリズムに組みこまれてゆくために、「梅」「若菜」の伝統が奉仕している。この点に芭蕉の新しさがある。〈巧みて云へる句にあらず、ふと出てよろしと跡にて知りたる句なり。斯くの如き句は、又せんとは云ひ難し〉(三冊子)という。句作を続けていれば、こういう至福に恵まれることが誰にもある。ちなみに乙州は大津の荷問屋ゆえ旅の多い暮らしをした。芭蕉遺稿を『笈の小文』と題して出版した。姉は智月、妻は荷月の名で俳諧をたしなむ。
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