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夏来てもたゞひとつ葉の一葉哉
芭蕉 (笈日記・夏・貞享五)
夏にやってきても、この一つ葉という草は、まことに涼しげな一枚の葉であることだ、という意。作者の境涯である。一般的に植物というものの習いは、春に出た芽が夏にかけて茂り、秋に向けて枯れそめて冬には朽ちる。かつて、作者はほかの季節にそういう目でこの草を見ている。その事実が「夏来ても」という措辞を生んだ。その記憶が「たゞひとつ葉の一葉」という発見となった。発見とは感動のこと。作者は対象をしっかり見ている。つまり一つ葉の形状を過去の記憶と共に、自分の身体を通している。この点がわからないと、「枝葉を茂らせるほかの草木に対する、一つ葉の寂しさ」とか「一種のあわれ」を読みとる誤りをおかしてしまう。「ひとつ葉の一葉」という繰り返しを、言葉遊びなど解説して満足してしまう。一つ葉は陰湿の山野に自生するシダ類のひとつ。根茎は地中を這って密生するが、それぞれはただ一枚の葉で、冬に枯れることもない。新しい葉が生じる夏の涼しげな姿を実際にみれば、安易に「寂しさ」に収斂させることの誤りに気づくだろう。植物、つまり非情のものに、有情を見るとは、こういう句を例にして理解できるであろう。
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