わくわく題詠鳩の会会報87   ホーム
鳩ノ会会報87(平成30年9月末締切分)
兼題 七夕(棚機)・冷やか(冷ややか)

【Advice】下五の字余り、微妙な切れについて私見を述べました。また「捨てなさい」ということも力説しておきます。なお、「七夕」は「棚機」の宛て字、「冷やか」の送り仮名は今は「冷ややか」だろうと自問自答したことも付け足しておきます。

◎鎌倉は影絵となりて星祭        瑛子
→「となりて」がやや気になるが、古都と星祭りの対照は美しい。

○三世代家族宿れり星祭            千年
→「宿れり」はやや不明瞭、いや言い過ぎというべきか。「三世代家族」で十分と割り切って、いっそ捨てるほうが詩的である。

○でんぐりを教えし人と星祭る        真美
→「でんぐり返し」のことを「でんぐり」と略したとすれば減点。やはり「でんぐり返し」のまま悪戦苦闘すべきである。ただし、抒情はわかる。

○七夕や飾りへ届け肩車            鹿鳴
→実は「七夕や」だけでなく「届け」でも切れている。「七夕飾り」「肩車」の二つがあれば十分ではなかろうか。

○島と島つなぐフェリーや星祭        海星
→試験なら合格点ギリギリというところ。難はないが、観光地の絵葉書のような頼りなさは今後の課題だろう。

◎道場に踏み入る一歩冷やかに        千寿
→仏道か武芸かを言わないところに腕がある。そのため、切りとられた構図がなかなか美しい。「踏み入る」という文語の安定感も魅力的。

◎黒鍵の冷やかなりし夜のピアノ        啓子
→「白鍵」でなく「黒鍵」と定めるときの作者の決断が気になるが、「鍵盤」では描写において不十分という気持もわからなくはない。

◎秋冷のホット頼みしレモネード        直子
→「秋冷の」の「の」に軽い切れ字効果があって、上品。ただし、「頼みし」と過去ではなく、「ホットに替へる」と今(現在形)にしたい。


○秋冷や男の哀歌カラオケ店      ムーミン
→「字余り」「字足らず」、「自由律」さえも定型という常識の範囲でとらえ、型破りや逸脱ではないと考える私だが、下五(座五)の字余りはおすすめしない。余韻を求める観点から、「カラオケ店」すべてを捨てた方がよいとさえ思う。

○秋冷や学芸員のはにわ顔      ひくらし
→「はにわ顔」は面白いが、「秋冷」と併せると気の毒な気がする。

○香木の風ひややかに野辺の果て      むらさき
→「野辺」とあるので、自然の中でたまたま出逢った「香木」であろう。よって、その「ひややか」さは一種特別なものであったと思われる。ただし、「冷ややか」は冷淡なイメージの季題で、「果て」という言葉も手伝って、全体は淋しい景色である。

△文庫本開く車内は冷やかに        和子
→文庫本を読む行為は温かで、「冷ややかに」は似合わない。


△タクシー並ぶ冷やかな夜風吸ふ        智子
→吸わなくてもよいではないか。時間帯は読者に任せればいいではないか。「タクシー乗場」か「タクシープール」、あとは「夜風」「冷ややか」があれば十分。

△暁の方秋冷ひしと目覚めけり         憲
→「目覚めけり」があれば「暁の方」はいらないではないか。「秋冷ひしと目覚めけり」は美しい。

△冷えびえと湖に背を向け茂吉歌碑   ひろし
→「背を向け」ているのは歌碑であろうが、あるいは作者かもしれないと戸惑う。それは「茂吉歌碑」が「冷えびえ」している姿はとても哀しく、可哀想な景色だから。何に美を求めようとしているのかを再考したい。


△雨台風打ちつける窓の冷やかさ       彩也香
→季重なりがすべて悪いわけではないが、「雨台風」と「冷ややか」のイメージは近すぎるので、まずはどちらかを捨てる稽古をしたい。

△待ちあはせ線香くゆる冷やか門        富子
→蚊取り線香、それとも葬儀場か、つまり「線香くゆる」の働き(役目・効果・機能)が不明瞭。「冷やか門」という字余りは先掲の「カラオケ店」同様の理由で絶対避ける。

△戸の外の冷ややかに気の入れ替わる    松江
→「気の入れ替わる」は「心地よし」でよいのでは。そうすると、戸外が気持ちよいというありふれたことに終わってしまうので、もう少し新鮮な発見があるまで身を任せて(投げ出して)、季節を愉しんでください。

△秋冷えや入れ替える夜具の匂ひかな    貴美
→「や」「かな」はともに詠嘆(切れ字)。感動の焦点を明確にするために、まずこれを避けよう。なお、「夜具の匂ひ」は感覚的でおもしろい。

△雨冷えや骨壺地下におさめられ        由美
→悲しみをカタチにしたいという気持ちは届くが、「骨壺地下におさめられ」は「納骨」か「納骨堂」で済むと思う。「雨冷え」の斡旋も辛すぎる。「られ」つまり連用形で止めるのも不安定ゆえ、まずは避けたい。

△雨びえや藪漕ぎ脚の重さ増す        直久
→私事で恐縮だが、家計がそこまで苦しいことを知らなかった高校生活の一時期、私は山岳部に在籍していたことがある。だから、「藪漕ぎ」を承知している。だが、この句は「や」という切れ字があるのに、「雨がひどくて藪漕ぎの脚は重くなるばかり」という内容で、散文の一部を切りとる結果に終わった。できれば「雨でも藪漕ぎが愉しい」というような境地になるまでデッサンを重ねてほしいのだが。


 
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