わくわく題詠鳩の会会報83   ホーム
鳩ノ会会報83(平成30年1月末締切分)
兼題 淑気・火事

【Advice:季題の基礎】淑気の淑は品のある穏やかさ。淑気は陽春に等しく、新年の天地に満ちるめでたい気配。天文に分類するが、初日や御降りのように五感に訴えるのでなく、五感そのものである。よって取り合わせ(配合)による句作はむずかしく、二物衝撃(二つの事物がかもし出す味わい)は期待しにくい。つまり、五感に触れる具体的なものの中に感得することになろう。

◎四海波謡へり淑気新たかな    憲
→「四海波静かにて、 国も治まる時つ風、枝を鳴らさぬ御代なれや、 逢ひに相生の松こそめでたかりけれ……」(高砂)ですね。ただし、「謡へり」とすると二箇所で切れるので、「四海波と謡ひて淑気新たかな」と一気に表現するとよい。この作者の代表句になるだろう。

◎物干しの服のしわなき淑気かな    真美
→季題との不即不離をわきまえた名句。この作者の代表句になるだろう。

◎ガラス戸のスーパームーン淑気かな    ムーミン
→新しいことばを上手に使った。「かな」が落ち着かないので「淑気満つ」にしたいね。

◎絵馬書きて社の枝の淑気かな          貴美
→まことに素直な佳句。「絵馬かけて」とどっちがよいか。

◎江戸前の半纏の朱の淑気かな        ひぐらし
→江戸っ子独自のたしなみが感じられる点がよい。「季題の基礎」に即していえば、半纏をを通して一年を見通す作者がよく表現できている。

◎箱根路の若人纏ふ淑気かな         喜美子
→よい句だ。箱根路が効果的。「若人」でなくてもいいか。「纏ふ」は易しく「まとふ」といきましょう。

◎有明にゆつたりと鳶淑気かな    由美
→「有明」はまだ月が残る時間だが、それでよいか。「有明の鳶ゆつたりと淑気かな(満つ)」の方が安定感あり。最後は自分で判断。

◎江戸火消木遣り高らか淑気満つ    直久
→「高らか」は饒舌だから捨てて言外に。


○遺品の帯締めて迎ふる淑気かな    むらさき
→季題に対する大胆な挑戦だが、「季題の基礎」に即していえば、読者は「遺品の帯を締め」る人に陽春の気分は読み取らないだろう。

○号砲が淑気切り裂くビルの谷    直子
→号砲を駅伝のスタートと読んでみたが自信がない。駅伝の号砲と言えれば「ビルの谷」は捨てることができる。つまり言外に置くことができる。つまり、詩は足し算でなく、引き算であることがわかる。省略が大切であることがわかる。

○壮年と肩を寄り添う淑気かな    繁
→「季題の基礎」に即していえば、淑気の在処を「壮年と肩を寄り添う」姿に求めるのはむずかしい。

○ささへられ温もれる背に淑気満つ    山茶花
→「季題の基礎」に即していえば、「ささへられ温もれる背に」は別の句にしたほうがよい。


○遠き日に子等ならぶ膳淑気満つ    松江
→「遠き日に」は懐旧の思いが強くて淑気と競合(せりあう)するので、それが事実としても捨てる。

◎膝頭ふるへふるへし近火かな    啓子
→日常語ながら、あまり使われない近火(ちかび)、遠火(とほび)ということばを思い浮かべた点に、この句の成功がある。「ふるへふるへし」は苦労したのだろうが、再考の余地あり。

○父の声火事だ死ぬぞ逃げろ外に    美雪
→この作者の個性を生かせば、「火事だ死ぬぞ逃げろと父の記憶かな」というところ。


○郷土史家静かに火事を言挙げす    千年
→「言挙げす」が重たく、「静かに」となじまない。力まずに「火事のこと語り出したる郷土史家」などではいかが。

○火事場へと車・自転車・人走る      ひろし
→報告にとどまった。中黒を使わない努力は「平明に述べる」練習につながる。

○佇むや昨夜の半鐘炎あと    静枝
→鎮火後の心情として「佇む」はよくわかる。ただ「半鐘炎あと」という日本語が煮詰まっているのでわかりにくい。

○落雷の火群に軋む家悲し    和子
→「火群」は「ほむら(炎)」か。本当に悲しすぎて目を背けてしまうので、俳句にしなくてもよい景色と言っておきたい。

【番外篇】福寿草(昨年一月の題)の句が混じっていた。サイトの兼題一覧で昨年の項を見誤ったのだろうか。もったいないのでコメントさせていただく。

○雪原に部下庇う人よ福寿草    瑛子
→雪をかぶる福寿草の一群れに人間社会を重ねたか。五七五の韻律の約束があるので「人よ」の「よ」はなくてもわかる。

○都市緑地となりたる遺跡福寿草    実篤
→遺跡は過去の人類が遺した跡である。そこがいま草地になっていて、福寿草が美しいと読んだ。次に福寿草の効果のほどは意見が分かれるだろうが、景情は整っている。

【付記】「鳩の会会報82」で実篤氏の〈白鳥のチェロの「白鳥」なぞる湖〉について、「分らなかった。自句自解を乞う」とコメントしたところ、作者から、「投句後すぐに、これでは分からないだろうと気づき、次のように推敲しました」と前置きして「白鳥はサンサーンスの曲に乗り」との推敲案が届いた。自解に〈「サンサーンス作曲の「動物の謝肉祭」の中にあるチェロ曲「白鳥」は湖で泳ぐ白鳥を見て作られたが、その曲を知っている我々は逆に白鳥がサンサーンスの曲に乗って泳いでいるように見える錯覚の面白さを詠んでみたもの」とある。すぐれた自解で、推敲力も称えたい。ただ参考までにいえば、推敲句は実際にサンサーンスが流れているように読める。こういう点が作為をこらす句のむずかしいところ。十七音で収める詩のむずかしさ。普通は比況の助動詞「如し」でこのハードルを越える。


 
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