わくわく題詠鳩の会会報81   ホーム
鳩ノ会会報81(平成29年9月末締切分)
兼題 コスモス・秋祭


◎こんな世を許してしまふ秋桜       酢豚
→しなやかに「秋桜」が揺れる姿。それを寛容とか、慈悲とかいう心と見抜く作者。凡俗に真似の出来ない境地かもしれぬ。

◎秋桜やタイムカプセル掘りし跡       真美
→例えば校庭の外れに埋めたタイムカプセルを、時期が来て掘り起こした数年前の記憶。久しぶりに訪ねてみると秋桜が咲いていたという。不思議な新鮮さを感じる句。

◎コスモスやトラックの風分離帯       由美
→「コスモスにトラックの風」として合格にしましょう。「や」とすると表現が三つに分かれてしまいそうなので。たしかにあるね、という景情、よい句です。

○コスモスの鉢植え抱いて家路かな       貴美
→表現は整いました。ただ、ありふれている景色にとどまったね。

○コスモスや直滑降で降りた丘       美雪
→かつてスキーをしたスロープは、いま一面のコスモス。省略が利いた一句。

○山の湯は台風一過秋ざくら        憲
→ちょっと報告に終わった感じ。「秋ざくら」を持って来た効果が感じられない。

○笑むだけの人を見舞へり秋桜      ひろし
→「だけ」がやや痛々しい表現。病室の窓外(とみたが)に揺れる秋桜との調和もいまひとつか。

○コスモスの咲き乱れたる道遠し        繁
→易学用語で分けると「咲き乱れる」は陽、「道遠し」は陰となり、対極のイメージが並ぶ。よって読者には戸惑いが先に立ち、一句全体の情趣をとらえにくい。下段「玄海の波透き通り秋大祭」の評を参照してください。


○渚こぐ小舟や木戸の秋桜          ひぐらし
→「渚」と「木戸」の構図描きがたい。つまり「木戸」の位置を想定しがたい嫌いあり。

○今はなき初恋の人秋ざくら       俊彦
→表現に難はないけれど、詠み尽くされたテーマなので、よい句を得るには相当の鍛錬が必要かも。「秋ざくら」との結びつきが弱いのだ。

○コスモスがフットワークで風を除け   和子
→下五を「風を除け」と止めるのは不安定で説明的。感動の焦点を定めるために「風躱(カハ)すフットワークや秋桜」くらいかな。しかしあれは「フットワーク(足はこび)」じゃなく腰付きのような気もする。

○コスモスやキャンパスの中馬場のあり   啓子
→「コスモスや」とあればこれが感動の中心。にもかかわらず「馬場のあり」と結ぶと焦点が馬場に移ってしまう難点あり。


○駅前のコスモス浅き樽にゆれ       松江
→「浅き樽」にこだわっているのだろうが、悲しげに受け取れるのが難点。浅い樽でも生き生きしているというふうに眺めたい。

△コスモスやある思ひ抱きふるさとへ   静枝
→「ふるさと」は情の濃い世界ゆえ、「ある思ひ」だけでは弱い。

△秋風にけなげにゆれるさくら色      富美子
→秋桜の句になっていないので、まずは「秋」を捨てるか。


◎里帰りして復興の秋祭         ムーミン
→「復興の」が絶妙。表現に無駄のない点も読者に心地よい。

◎天狗から我が名呼ばるる秋祭       千年
→「天狗から」が絶妙。祭りの先頭を引っ張る天狗は友人の○○氏か、はたまた猿田彦か。

◎手作りの大蛇成敗秋祭           梨花
→「大蛇」はオロチ。「手作りの」がうまい。オロチ祭りは出雲に限らないようですね。

◎玄海の波透き通り秋大祭           瑛子
→易学用語で分けると「波透き通り」は陽、「秋大祭」も陽。よって全体が喜ばしき景色として鑑賞できる。上掲「コスモスの咲き乱れたる道遠し」の評と併せて読んでくれるとありがたい。

○接待す母に甘へる秋祭          山茶花
→「接待の母」か「接待する母」が正しい語法。

○故郷に三代そろひ秋祭          喜美子
→「そろひ」を「集ふ」にすると少し上等。「故郷」を言外に捨てて、「孫曽孫」などとすると、さらにリアリティが出る。

○秋祭り粋な長老木遣り節           光江
→景情整っているが、読み尽くされた感がある。「粋な長老」を言外に隠して、想像させることができれば面白いのだが。

○仕事をへひよいと立ち寄る秋まつり むらさき
→「ひよいと」という軽妙がこの句の眼目。「をへ」は「終え」と漢字を用いる方が読者に親切。


 
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