わくわく題詠鳩の会会報68   ホーム
鳩ノ会会報68(平成27年7月末締切分)
兼題 白玉・炎帝


◎白玉を一つ残して男客             月子
【評】まことに余情深し。これが俳句の典型のひとつである。

◎兼題は白玉であり食べにゆく          酢豚
【評】何の解説も要さない。これが俳句の典型のひとつである。

◎銀ぶらのあとの白玉裏通り           靖子
【評】「白玉」がまことに効果的。体験に裏打ちされた実感とみる。

◎白玉の小ぶりといふも祇園小路         啓子
【評】音数、そして「といふも」と呼応関係を整える意味で座五「祇園らし」としてはどうか。全体の品の良さを評価する。

○白玉や薄目を開ける幼年期           千年
【評】白玉の本情は蜜豆や水羊羹と同じで涼しさ(暑さしのぎ)にある。句は大人になっている作者が白玉を通して、子どものころの写真を見るような涼しげな感慨に浸ったのであろうか。それを「薄目を開ける」という表現に期待したか。ただし、その比喩がやや難解かもしれない。

○白玉や不戦の誓ひ崩るるや          ひろし
【評】「白玉」に平和のイメージを持たせて、昨今の危うい自衛論議を嘆くか。ただ、古典俳句を通してものを考えてきた私は、このようなテーマは俳句(発句)という詩型になじまないと考えている。〈それが海紅の限界〉と言われればそれまでだが。

△白玉の湯気のむこうに小豆かな        山茶花
【評】これは冷やす前の白玉。茹小豆と合わせる前の景色だろう。小豆を「かな」と詠嘆したので、焦点がずれてしまった。


△白玉やかのマドンナも孫三人        ムーミン
【評】「白玉」と「かのマドンナ」で読者の想像を確かなものにするのはむずかしい。

△白玉もほんのりあまく午後のかふぇ        むらさき
【評】「白玉」は甘いと決まっているのだから、「ほんのりあまく」という説明は不要。

◎炎帝に賜りし色凌霄花             梨花
【評】「賜りし色」が大仰だが、この作者の個性とすべきか。

○炎帝に負けじと母の塩結び           由美
【評】「炎帝や母の大きな塩結び」とすれば「負けじ」という余情が出る。すなわち「負けじと」が無駄な表現であることを覚えたい。

○炎帝よ術後の目には眩しかり         和子
【評】「眩しかり」は形容詞「まぶし」の連用形。形容詞の連用形で結ぶ俳句をときどき見かけるが、語法的に落ち着かないので避けたい。眩しいのは目に決まっているのだから「目」を捨てて、「炎帝の眩し過ぎたる術後かな」などとしてはどうだろう。本復を祈ります。


△炎帝や採り積む西瓜の座り整へる        泰
【評】「採り積む」を捨てると、綺麗な十七音になる。

△炎帝や太古の夕陽残したり            貴美
【評】語法上落ち着かない気がする。「や」「たり」ともに語感の強いので、ひとつは捨てるべきか。「太古の夕陽」も抽象的。

△炎帝の猛りゐる今家居かな           憲
【評】暑い日は家にいるという意味だとすれば徒事で詩情に乏しい。

△また一つ朱夏に重ねる馬齢かな       ひぐらし
【評】「炎帝」は夏を司る神、「朱夏」は則ち夏のこと。いずれにしても「馬齢」との関わりが弱い。


△丹波路も激雨おさまり炎帝に          佳子
【評】報告に過ぎないので物足りない。「丹波路」である効果が出ていない。

 
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