わくわく題詠鳩の会会報63   ホーム
鳩ノ会会報63(平成26年9月末締切分)
兼題 蛇穴に入る・玉蜀黍


◎穴惑日和や我も眠りたし    ひろし
【評】「穴惑日和」とは新鮮な言葉。ただし「眠りたし」は少し説明的で、「うとうとと」などとオノマトペにするとおもしろいかも。

◎蛇穴に入るもう少し詰めてくれ     酢豚
【評】冬を迎える心境を、蛇の冬眠になぞらえたおかしみと読んだ。「もう少し詰めてくれ」を蛇の発言(心中)とすれば、修辞上は「もう少し詰めてくれ/蛇穴に入る」と排列するほうがおもしろいように思う。

○蛇穴へこの郷で人生き抜けり     月子
【評】蛇が冬眠にいたる姿を通して、我もまた、君もまた、この地にそれぞれの人生を描ききったという感慨を述べたと読んだ。しかしその思い余りて、中七・下五の表現がふっきれていない(諦めきれていない)。「蛇穴へ」は切れを意図するようにも、そうではないようにも読める。はっきりと自分のことに限定して、「悔いのなき生涯なりき蛇穴に」「この郷に○○余年蛇穴に」という鋳型を参考にしてください。

○日溜りにまどろむもあり秋の蛇     希望
【評】たしかに一景だが、季題の枠内にとどまって読後の余韻やや不足。

○ときならぬ復興景気穴まどひ   ひぐらし
【評】「穴惑ひ」を詠むというより、この季題を人の暮らしの比喩として用いたのだろう。時事(社会事象)の句は安っぽくなりがちだが、ここは抑制が利いている。

○遊びたき盛りの小蛇穴まどひ   むらさき
【評】「小蛇」は「子蛇」の意か。「小蛇」なら「遊びたき盛りに」そぐわず。「子蛇」ならば矛盾なし。

△秋の蛇狭庭に古着捨てるごと     和子
【評】「古着捨てるごと」という直喩おもしろい。しかし、そのために、冬眠の句でなく、蛇のヌケガラ(脱皮)の句のように読める。そうすると「秋の蛇(穴惑ひ)」という季題から逸れてしまう。それが難点。「狭庭」でなければならぬ理由もないので、捨てたほうがすっきりする。


△壁掛に「四季」のLP穴惑ひ     千年
【評】絵柄を思い浮かべられない。ヴィヴァルディの「四季」のLPジャケットが壁掛けとして掛かっている景か。仮にその景として、「穴惑ひ」との取り持ち(斡旋)をどう理解すればよいか。取り合わせ句の難解な例とみた。上五・中七のスッキリ化(省略)が必要かもしれない。

△戦後には穴でくつろげ蛇さんも     佳子
【評】「人間は終戦後にようやく人心地つくことができた。蛇も冬眠でゆっくりするがよい」、散文化するとこのようになるか。「蛇穴に入る」こと自体か、「蛇穴に入る」という世界の周辺を可視化する道を選んでほしい。その意味で「穴でくつろげ」は不要。

○玉蜀黍日の匂ひして茹であがる    ちちろ
【評】「日の匂ひして」に発見がある。野外で茹でている感じが出た。

○焼ききびを頬張るベンチ鳩囲む   ムーミン
【評】「鳩囲む」が正しいスケッチとは思うけれど、「鳩親し」などと主観をまじえると情がでる。

○唐黍の初穂喜ぶ父なりき     瑛子
【評】追懐の情を素直に仕上げた。ただし字義に従えば「初穂」は稲穂であるべき。父君のこだわりの「唐黍」とみれば、これもありか。


○唐黍の後一列を惜しみつつ    山茶花
【評】季題を中心にすえた素直な句。「惜しみつつ」では不安定ゆえ「惜しむかな」とすれば諧謔味も増すか。

○もろこしの香りただよふ大通り    喜代子
【評】平凡な景だが、詩人を気どる人の多い世界で、こうした素直な句作りは肝要。

○唐黍を焼けばレンジのチンと鳴り    靖子
【評】「チン」と鳴るのは「焼き上がる唐黍」ではなかろうか。その辺の表現の工夫が求められる。

○焼唐黍歯に挟まりて独り言ち      憲
【評】「焼」は不要。「歯に挟まると独り言つ」と着地をかっこよく決めよう。

△赤黒の髭数へつ蜀黍食む        美雪
【評】下五字余りが気になる。「蜀黍」をコウリャンでなく普通の唐黍と解して、茹で上げてなお髭のあるものを食べている様子とみる。その上で「髭」の句か、食べる句か、どちらかにしぼった方がよいと思う。この場合「髭」に力点があるとみて、たとえば「唐黍の髭に○○○○思ひかな」というような型にあてはめてみるのも学習になる。

△輓馬レース友のバッグにゆでもろこし  由美
【評】「輓馬レース」「ゆでもろこし」のどちらかに主題をしぼるべし。基本的に、二つのことは言えないと思うべし。

△唐黍を食む間黙するおやつかな     直久
【評】「おやつかな」を削るべし。唐黍を食べている間の静けさだけをクローズアップすればよい。

△唐黍や夕陽に向かいて刈りすすむ  泰
【評】「唐黍刈り」の句であるから「唐黍や」の「や」は削るべし。「唐黍刈りの夕日に進み引き返す」。

 
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