俳文学研究会会報 No.55   ホーム

日時 平成21年7月12日(日)
場所 甫水会館

― 谷地海紅選 ―

◎睡蓮の小さき甕置き京町家 ひぐらし
 夏の日を待ちこがれつつ傘を干す 冨美子
 ふるさとを問はず語りにさくらんぼ いろは
 七夕の珍しく晴れた逢瀬かな 喜美子
 のうぜんの明るさが好き君が好き 美知子
 良き事の起こりさうな日百合開く 酔朴
 いかづちにひれ伏す京の家並かな ひぐらし
 墳涼し天上天下見はるかし ひろし
 指先のゴーヤのにほひ多佳子の忌 無迅
 尼寺の皇女の墓や岩鏡 光江
 穫りたての茗荷をそへて母の膳 喜美子

互選結果

ふるさとを問はず語りにさくらんぼ いろは 3(うち◎1)
のびやかに光吸い込む日輪草 由希 1
五月雨や並んで座る猫と人 はな 2(うち◎1)
隠れたる抵抗に合ふ茄子のとげ 酔朴 4(うち◎1)
虫干しの虫穴通る光かな 月子 1(うち◎1)
毛虫焼く眉も顰めず眼も閉じず 1
朝顔市近づくほどに人溢る 1
日傘さして小さな恋を隠したる 海紅 4(うち◎1)
ふうと飛び砂漠の海へ合歓の花 いろは 1
朝顔やつるは意志もて何処へ行く かずみ 1(うち◎1)
初蝉や恙無く集ふ友 喜美子 1
冷素麺母の白髪のやわらかさ 美雪 2
のうぜんの明るさが好き君が好き 美知子 1(うち◎1)
雑魚寝して指先触るるキャンプかな ひぐらし 4(うち◎1)
薫風や和服美人も手に携帯 つゆ草 1
炎昼の一筋道を沖縄忌 希望 2
堆(ウヅタカ)き壁際の本パリー祭 無迅 2
質店を閉じて石榴も切られけり 月子 3
初歌集めくる向かうに雲の峰 酔朴 1
弓を引く二の腕白し柿若葉 5(うち◎1)
桃ぜりー笑い上戸に待つさじや 良子 2(うち◎2)
良き事の起こりさうな日百合開く 酔朴 2
穫りたての茗荷をそへて母の膳 喜美子 2(うち◎1)
鎌倉を走る日照雨や花とべら 芳村 1(うち◎1)
無花果のあすをプチンとかむ日暮 良子 2(うち◎1)
足袋蔵のスタンプラリー夏燕 1
パソコンの指緩むかな夕日中 かずみ 1
雨あがり目に紫陽花の青青と ふみ子 1
鬼門口南天の花咲きにけり 信代 1(うち◎1)
坂道を一気に登る俥夫の汗 光江 1(うち◎1)
菖蒲園笑顔行き交ふ車椅子 惟代 2
蹲踞(ツクバイ)の所作うひうひし薄衣 希望 1(うち◎1)
百日紅気負ふごとくに咲きはじむ ひろし 2
報恩の酒瓶ひとつ月見草 無迅 3(うち◎1)
鷺草のやうに佇む媼ゐて つゆ草 1
いつだってあなたの味方夏あざみ 美知子 4
雪の下真っ直ぐ伸びて白き花 佳子 1
いかづちにひれ伏す京の家並かな ひぐらし 2(うち◎2)
生ききつて仏の貌の涼しさよ 希望 3(うち◎3)
梅雨空を三角に裂く三本締 惟代 1
カヤックや転覆転覆つゆはれま 美雪 1(うち◎1)
夕立の闇に百戸の家灯る 海紅 2(うち◎1)


参加者 
谷地海紅  尾崎喜美子  奥山美規夫  青柳光江  堀口希望  三木つゆ草  五十嵐信代  情野由希  大川蒼子  谷美雪  大江月子  ひぐらし  宇田川良子  平岡佳子  伊藤無迅  義野支考  大箭冨美子  青柳光江  金子はな  大原芳村  吉田いろは  梅田ひろし 
小出富子  浜田惟代  水野千寿子  金井巧  平塚ふみ子  椎名美知子  米田かずみ 
柴田憲

 
欠席投句者
梅田ひろし
 

「おてもと句会」             

 四月の目黒吟行から三ヶ月、久しぶりの句会は多くの参加者があり盛会でした。その流れで「おてもと句会」も二十二人の参加がありました。今回は宴席を、いつもの「庄屋」から隣の「千年の宴」に変えて開催しました。互選結果は本番句会の好調を持ちこんだ、ひぐらしさんが、ぶっちぎりの最高点でした。

振り向けば円了先生大西日 ひぐらし 13
大西日遠き昔の燃えし恋 つゆ草 9
大西日軒端に入りて送信す 千寿子 8
西日濃し海を見下す遭難碑 希望 8
大西日道草食つて下校の子 7
寅さんの後姿や大西日 無迅 7
釣り人の手許ゆるみし大西日 光江 6
まなうらに父焼きし火や大西日 芳村 6
居酒屋や句会帰りの大西日 支考 5
走りくる彼は醜男大西日 月子 5
同じ年の女と並び大西日 海紅 4
口惜しき一日の過ぎ大西日 ひろし 4
大西日障子をこがす強さかな 美雪 4
サングラス娘さし出す大西日 富子 4
大西日胸高鳴りて波の音 ふみ子 4
五重の塔浮き彫りにせし大西日 佳子 3
大西日吾が生まれ家を燃えつくす 信代 3
けふ生きし証し残りき大西日 酔朴 2
大西日プラットホームで人を避け かずみ 2
大西日育ちすぎのミカン顔 良子 1
喜びのはじける顔に大西日 喜美子 1
千年の満腹満腹大西日 いろは 1



 一寸鑑賞 

  ひぐらし句  文句なし、場(連衆)の心得は、心憎いほど。
  つゆ草句   ご馳走様、そのスケールの大きさに圧倒されました。
  千寿子句   下五が手柄でした。現代を巧みに取り込み大成功!

関東は、この二日後に梅雨があけました。さー夏本番ですね。暑さに負けずに、次の句会(九月?)に、また元気でお会いしましょう。( 無迅 記 )

 

〈 品 川 界 隈 〉

 大森貝塚を発見したモースは、幼い頃から異常な執着をもって貝類を収集し十八歳の頃には、学者にも一目置かれるまでになっていた。趣味が高じ日本に貝がたくさんあると聞き、私費で来日した程だった。来日間もなく汽車の車窓からの発見は、必然的偶然だったといえる。モースの来日が明治九年と比較的早かったため外国人も少なく眼にも止まらなかったのだろう。地元民からすれば、海辺だったことは知っていた。貝の層を目にしていたとしても、関心がなかった。モースは一旦帰国し再度妻子を連れ、日本に戻ってきた。大学教授の肩書で各地の調査、民具、陶器を収集した。
 人を斯くまでにかりたてるものはなんだろうか。新しいモノの発見は下地が必要だ。
高校を出たり入ったりして、大学卒でもなく、教授になれたのは外国人ということと、それなりの知識、熱意があったのだろう。それに引き換え牧野富太郎は、学歴がなく生涯冷遇された。牧野の救いは、学閥社会に屈せず研究を続けられる熱意であった。
モースと通じるものがある。人はすべからく、打ち込むことのできるものがあり、続ければ何らかの結果が生まれそうだ。
 結果、一生懸命という魂などまるで無意味と思える生物がいる。水族館で必ず、浮遊しているクラゲである。クラゲには脳が無くただ漂うだけである。最近このクラゲを見て癒され、わざわざ飼う程の人気があるという。またクラゲを乾燥させ植物と置くと湿り気が持続するという効果があり、厄介者の以外な役割に持ちつ持たれつの社会が成り立つと感心する。
 品川の水族館に癒されにいくか、大森貝塚に歴史のロマンを求め、更に品川歴史館で知識を高めるかだ。歴史館は、古代から現在までの歴史を辿ることができる。品川宿の賑わい模型図で見ることもできる。

時間的に両方見られないとするなら、どちらを選ぶだろうか。  (奥山酔朴 記)

(考えておいてくださ〜い!)

俳文学研究会会報 No.54
   
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