白山句会会報 No.33   ホーム
白山句会 白山句会報第33号

□ 日時  平成30年2月11日(日)
□ 句会場 墨田区立「すみだリバーサイド・ホール」会議室
 
 平成30年の初めての句会は、山崎右稀さんのお世話を頂き浅草で開いた。句会場は墨田区役所内の会議室を予約して頂いた。初参加の方が二人、一人は神戸市の藤井啓子さん、もう一人は主宰のゼミ生寺岡彩也香さんである。藤井さんは俳歴どおりの佳句を、彩也香さんも新鮮な俳句をご披露された。お二人にはまたの再会を願うばかりである。今回も暮れの記念パーティーに続き若手会員に句会場設営や会計などを支援して頂いた。頼もしい存在となってきました。次回は4月8日(日)を予定しています。恒例になりつつある「お花見句会」となりますので多数の参加をお待ちしています。


〈 俳 話 少 々 〉

 今回は根本梨花さんにお願いしました。
・ご両親が俳句を嗜み時々自宅で句会を催していたことや自宅近くに芭蕉句碑があったなど俳句には比較的馴染のある環境で育った。しかし大人の詠む句は意味が分からず、どこが良いのか分からなかった。そういうこともあり俳句にはあまり興味がなかった。
・高校の時、蕪村の平易な句を知り「俳句はこれでいいんだ」と思ったことがある。
・俳句をやってみようと思ったきっかけは年老いた母の介護をしているときです。母の物忘れが進み日常のコミュニケーションが取れなくなりました。しかし俳句の話には反応してくれました。母とのコミュニケーションが俳句関連の言葉だけになったとき俳句の力を知りました。
・それからこの母を支えていきたいと思い、横浜のカルチャーセンター初心者講座(講師:『槙』主宰の平井照敏)クラスに入りました。父母の晩年を俳句中心に過ごしたことは本当に良かったと思います。やがて父母も平井先生も相次いで亡くなりました。
      音符のやうに子の駈けてくる花野かな    梨花(文子)
      梨の花鍵あけて入る父母の家         同
・私は自分が俳句について何も知らないことを痛感していましたので「俳句とは何か」をきちんと学びたいと思い、学者であり、俳人でもある東洋大学の谷地快一先生の門を敲きました。
・谷地先生に最初にお会いした頃「コンプレックスこそ生きる力」とおっしゃった言葉に感動して句帳に書いた懐かしい一句です。
      藤ゆるる傷も力と思へる日            梨花
・あれから10年余、勉強と実作に四苦八苦しながらも沢山のことを学ばせていただきました。「俳句とはなにか」の答えをまだみつけられませんが、17文字の俳句形式と季題は例えば遠距離介護の新幹線の中や、渡る雁の声を聞きながら一人車を駆る時自分に寄り添い受け入れてくれる「みちづれ」のような存在となっています。
・今日は若い方に一言ということですので、今この句会に参加したことで私達はすでに句友となります。これから山も谷もありますが一喜一憂せず、自分の今の感動を自分の言葉で俳句を詠むことを長く続けて頂きたい。そうするうちに思いがけない言葉が降ってきて、誰かの心に届く一句が出来たりするのです。
・先人が残してくれた「俳句」という日本特有の文化を消滅させることなく次の世代にしっかりと繋げていきたいですね。<根本梨花>

<以上のとりまとめ、伊藤無迅記>


〈 句 会 報 告 〉
* 一部作品については、作者の意図をそれない範囲で原句表現の一部を改めた句があります。
* 海紅選は互選点数に含まれておりません。

☆ 海紅選 ☆

★本選★
陽春や撫で牛なでて句会場 無迅
北斎の絵の白黒にある余寒 啓子
暖かや赤い欄干背に写真 ムーミン
神谷バーの名に誘はれて春句会 美知子
春風や隅田の川の橋づくし 無迅
多言語の飛び交ふ寺や梅ふふむ 喜美子
春立ちぬ橋を渡れば句会場 静枝
水鳥の背に早春の光差す 馨子
嘴をそつと近づけ水温む 真美
あたたかな道に迷子の猫二匹 彩也香
撫牛を二人でなでる春の空 梨花
セーターの青にとけ込む空の青 智子
春めくや鼻緒を挿げる槌の音 松江
撫牛の背なのひとなで春浅し 啓子
春寒しまだ灰色の隅田川 智子
隅田川電車の音ののどかなり 美雪
★予選★
紅梅の賑はひを背に子規の句碑 馨子
手袋に温もり残る落し物 静枝
春の雲恋文みくじの捨てどころ 無迅
春浅し手もち無沙汰に屋形船 うらら
寒月に召さるるごとく兄逝けり ひろし
さざんかと木魚をきいて桃青寺 彩也香
鳥二つ揺りかごとなる春の川 しのぶこ
春浅き言問橋を渡りけり 梨花
春一番手押し車の老婆の背
雪解けや広場にはしやぐ父子の声 ふみ子
若草をくすぐつてゐる未来かな しのぶこ
蜘蛛手なす古木の先に若芽あり ムーミン
探梅の香る道中友と逢ふ 梨花

*今回は先生の予選句も載せました。本選句と予選句の間にある「小川」のようなものを皆さんに体得して頂ければとの思いです。<伊藤無迅>


☆ 互選結果 ☆

11 春めくや鼻緒を挿げる槌の音 松江
7 北斎の絵の白黒にある余寒 啓子
5 春風や隅田の川の橋づくし 無迅
5 撫牛の背なのひとなで春浅し 啓子
5 昭和あり江戸ある今の春歩く 美知子
5 水鳥の背に早春の光差す 馨子
4 隅田川電車の音ののどかなり 美雪
3 春の雲恋文みくじの捨てどころ 無迅
3 寒月に召さるるごとく兄逝けり ひろし
3 雲間より春日差したる牛を撫づ ふみ子
3 浅き春江戸をうつして川流る 美知子
3 多言語の飛び交ふ寺や梅ふふむ 喜美子
3 まくら橋その由来より春めきぬ 啓子
2 紅梅の賑はひを背に子規の句碑 馨子
2 レンタルの衣装店には春の色 うらら
2 春の塵映画の前に涙させ しのぶこ
2 大川をすつぽり包み春の風 喜美子
2 初句会墨田の水面に風冴ゆる こま女
2 鳥二つ揺りかごとなる春の川 しのぶこ
2 寒牡丹かくもとぼしき日を恋へり ひろし
2 わずかなる日当たり良きし冬すみれ 山茶花
2 猫の子が我より先に参拝し 奈津美
2 撫牛を二人でなでる春の空 梨花
2 北斎絵かかる社に梅香る
2 若草をくすぐつてゐる未来かな しのぶこ
1 柊の花の香惜しみ抽出しに 山茶花
1 梅東風が鼻をくすぐる隅田川 奈津美
1 春浅し手もち無沙汰に屋形船 うらら
1 初蹴りのボール余白の空に消え 和子
1 初句会三世代並び声弾む 右稀
1 春浅し日の丸飾るバス行きて 真美
1 浅草は滾る坩堝や涅槃西風 ひぐらし
1 雨上がり一歩づつ春へ川辺ゆく 馨子
1 神谷バーの名に誘はれて春句会 美知子
1 欄干の影をおぼろに春日かな うらら
1 春一番手押し車の老婆の背
1 春浅し平服で式神社にて ふみ子
1 雪解けや広場にはしやぐ父子の声 ふみ子
1 太陽を映し雪解の水ならん 海紅
1 鳩が水呑めば枯葉もちよと動く 海紅
1 江戸の春海舟像とゆりかもめ 美雪
1 香に顔を上げれば紅の野梅かな 松江
1 春寒しまだ灰色の隅田川 智子

☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
谷地海紅、鈴木松江、梶原真美、大石しのぶこ、荒井奈津美、宇田川うらら、
佐藤馨子、尾崎喜美子、尾見谷静枝、村上智子、椎名美知子、根本梨花、
寺岡彩也香、谷美雪、植田ひぐらし、平塚ふみ子、藤井啓子、水野ムーミン、
月岡 糀、山崎右稀、伊藤無迅             (以上、21名)
☆欠席投句者☆ (敬称略、順不同)
柴田憲、梅田ひろし、谷地元瑛子、眞杉窓花、むらさき、備後春代、
礒部和子、小出山茶花、中村こま女          (以上、9名)

<以上のとりまとめ、大石しのぶこ>


<海紅先生の俳話要諦>  

 今年初めての句会ですが、初参加のお二人を含め20名を超える盛会何よりです。
このところ男性の会員が体調面の不調などで出席者が減っており、本日句会場で植田ひぐらしさんの顔を見て正直嬉しかったです。
 先ほど根本さんの「俳話少々」のお話の中で、自分にとって俳句は生きてゆく「みちづれ」のようなものであると言うようなお話がありました。また本日出席されている村上智子さんが最近の研究は「俳人にとって俳句とは何か」ということをしみじみ考えさせられるものでした。今日はこの件について少し述べたいと思います。
 芭蕉以後の俳諧の歴史は約400年、その前に和歌の歴史約900年、俳諧も和歌の一部ですから、ボクらは1,300年の歌の歴史を持っている。その和歌とは何かという問いの答えは時代によっていくつもあるわけです。しかし、その歴史全体を貫く答えは西行から芭蕉が学び、人生が短かった子規よりは虚子が引き継ぎました。彼のいう花鳥諷詠とは季節の移ろいに、つまり過ぎ行く人生のなかで無常を感じとり、いま生きてここにあることを喜ぶことであり、はかなさを嘆くことではない。近いうちに村上さんのお話を聴く機会をもうけて、この美学を再確認したいと願っています。「世道俳道これまた斉物にて、二つなきところ」(元禄4・2・22付、支幽・虚水宛芭蕉書簡)という意味がよくわかるにちがいありません。

<以上のとりまとめ、伊藤無迅記>

<隅田川周辺吟行記>

 所用があり句会場である墨田区役所に着いたのは句会開始時間の一時間前であった。早速、今回世話役の山崎右稀さんが推奨する牛島神社に向かった。牛島神社は区役所から枕橋を渡った隅田公園(旧水戸藩の下屋敷跡)の奥まった一角にあった。牛島神社はもともと本所にあり本所の総鎮守であったが関東大震災で被災し、この地に遷座したという。この日は丁度建国記念日で結婚式を終えた新郎新婦やお宮参りの人が散見された。牛島神社を一通り拝観し句会場に戻る途中、先生と今回初出席となる藤井啓子さん寺岡彩也香さんの一団にお会いし再び牛島神社までご一緒した。その後句会場に戻る途中、一見して古風な橋を渡った。その橋に「枕橋」とあるのを認めて誰かが「洒落た名前の橋ですね」と言った。
 吟行の折に墨田公園の案内板で堀辰雄旧居跡や富田木歩終焉の地が公園周辺にあることを知った。気になっていたが、そこで二人に思いを馳せる時間がなかった。特に俳人富田木歩は聞いた名であったが、耳が不自由な村上鬼城と並ぶ貧窮の俳人ぐらいの知識しかなかった。早速ネットで調べると、ウィキペデァの書き出し数行で木歩の全生涯が読み取れた。

 富田 木歩(とみた もっぽ、1897年4月14日 - 1923年9月1日)は俳人。本名は一(はじめ)。東京市本所区新小梅町(現在の東京都墨田区向島一丁目)生まれ。最初の俳号は吟波、後に木歩と号す。誕生の翌年、高熱のため両足が麻痺し生涯歩行不能となる。俳号の木歩は、彼が歩きたい一心で自分で作った木の足に依る。富田木歩は歩行不能、肺結核、貧困、無学歴の四重苦に耐えて句作に励み、「大正俳壇の啄木」と言われ将来を嘱望されるが、関東大震災で焼死した。26歳の生涯であった。(ウィキペデァ)

 ウィキペデァにはこの文章に続き、薄幸であった木歩の生涯を克明に綴っている。私は引き込まれるように一気に読んでしまった。さらにウィキペデァの村上鬼城の項を見るとこちらは至極簡潔で拍子抜けするほど短文である。ウィキペデァは読者の書き込み修正を可能にさせて成立している。このため、これだけの長文になるには克明に木歩を調べた木歩ファンがいるということになる。木歩の代表句を下記する。

机見入れば木目波立つ夜寒(よさむ)かな   木歩
徴(かび)臭き夜着を引き合ふ蟲の宿
居眠りもせよせよ妹の夜寒顔
こほろぎや仮の枕のくされ本
夢に見れば死もなつかしや冬木風
行く年やわれにもひとり女弟子

臼田亞浪の「石楠(しゃくなげ)」にいた当時慶応の学生だった新井声風は、清新な俳句を投句する木歩に強い関心を抱きある日木歩を訪ねる。以後二人は生涯の友人となる。歩行困難、襲い来る不幸、迫る窮乏にも拘わらず木歩を訪ねる友は絶えない。木歩には人に好かれる独特の人柄があったようだ。短い生涯だったが俳句を愛し、俳句を詠むことで生き甲斐を感じていたようである。
今回の句会で海紅先生が、その人にとり俳句(俳諧)とは何かの答えを出した芭蕉や虚子のお話があった。享年26歳の木歩は若年ながらも数人の弟子がいて慕われていたようだ。木歩にとり俳句はどういうものであったのだろうか。
大正12年9月1日、正午2分前、木歩に最後の不幸が見舞う。関東大震災である。駆けつけた声風に背負われた木歩は、燃え盛る向島を逃れやっとの思いで隅田川の河畔、枕橋までたどり着く。しかし橋は地震で既に落ちており渡れない。三方から迫る熱風から逃れるには隅田川を泳いで渡るしかない。清風は泣く泣く木歩を堤に残し隅田川に飛び込み数時間後浅草側に泳ぎ着き一命をとりとめる。しかし遺された木歩は堤で焼死する。枕橋から数十メートルの地であった。

<平成30年2月19日 伊藤無迅> 

< 了 >



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