白山句会会報 No.2   ホーム

日時 平成22年11月27日(土)28日(日)
場所 東松山吟行 

― 谷地海紅選 ―

○山門を出て唐突の榠樝(かりん)かな 無迅
○厄除の結びに淡き冬紅葉 つゆ草
○美しき落葉手紙の追伸に つゆ草
 紅葉一葉手帳にはさみはんなりと 美智子
 山門の松をななめに紅葉映ゆ 主美
 カーナビに映る落葉の優しけれ つゆ草
 残菊に物語ある薄明り 瑛子
 冬の山油えのぐがあざやかに 富子
 八丁湖落葉泥土に鷺の跡 美智子
 死ぬること見よ見よ見よと紅葉す 月子
 さざ波に湖岸のもみぢ影落し 喜代子
 物見山に立てば遠山雪化粧 ひぐらし
 白鳥は水面に低く影落し 喜代子
 坂東を同行二人冬日和 ひぐらし
 大銀杏黄葉観音見守りて 主美   

互選結果

紅葉一葉手帳にはさみはんなりと 美智子 1
山門の松をななめに紅葉映ゆ 主美 4
カーナビに映る落葉の優しけれ つゆ草 1
冬銀杏ももとせ重ね石を抱く 美規夫 2
山門を出て唐突の榠樝かな 無迅 1
残菊に物語ある薄明り 瑛子 1
あかあかと紅葉を負かす仁王像 美規夫 1
木の実降る吉見の郷の観音堂 喜美子 1
冬麗の吉見百穴麦ごはん 無迅 3
死ぬること見よ見よ見よと紅葉す 月子 2
銀輪の紅葉狩人に合ひにけり 瑛子 1
寺を出る紅葉四五枚手挟みに 海紅 2
厄除の結びに淡き冬紅葉 つゆ草 1
さざ波に湖岸のもみぢ影落し 喜代子 1
獣めく銀杏黄葉の大樹かな 無迅 1
冬日うすし洞穴の中のヒカリゴケ 月子 2
百穴に光差し入れ冬籠 美規夫 2
照紅葉仕舞ひ支度をせかさるる 千寿子 1
小春日や若い日の夢土蜘蛛に 宏道 2
物見山に立てば遠山雪化粧 ひぐらし 1
古代人眠る吉見のひかりごけ 喜美子 1
仁王像朱に染められてにらみ合ふ 喜代子 1
坂東を同行二人冬日和 ひぐらし 2
地蔵堂に先客のあり冬紅葉 海紅 1
遠く来て紅葉の下に車止め 海紅 1
美しき落葉手紙の追伸に つゆ草 1
大銀杏黄葉観音見守りて 主美 1

 

参加者 

谷地海紅 奥山酔朴 三木つゆ草 米田かずみ 大江月子 小出富子 水野千寿子  中村美智子 
菅原宏通 伊藤無迅 谷地元瑛子 天野喜代子 尾崎喜美子 植田好男

 

ー東松山吟行記ー

 参加申込の変動で限定十五名の吟行は、最終的に十四名が高坂駅に集合した。意思にかかわらず急用、体調不良に左右にされ、人は流されていく。駅前は大東文化大学、こども動物自然公園の最寄り駅で若い人、家族連れの波が路線バスに呑まれていく。熟年我等一行は、三台の車に分乗し岩殿観音の名称で知られる正法寺に向う。
 坂東札所三十三カ所のうち十番に当たる正法寺は、創建七一八年の古刹である。観音堂は寛永、天明、明治迄三度再建された。作りモノは朽ちるが、変わらないのは樹齢何百年か定かでない大銀杏である。衰退知らぬ逞しさが静かな境内の中で、鮮やかな黄葉を晒し人目をひいている。根元を見ると石を抱いて根が張り出している。長い年月が傍らの石を持ち上げるようになったのだろう。伸びていく姿態を支えるための何物にも屈しない傲慢すら伺える大木である。
  獣めく銀杏黄葉の大樹かな 無迅
 境内を抜け標高一三五mの物見山公園に至る。かつて低山でありながら、樹木が殆ど無く、見晴らしが良かったことからの由来であるという。見通しの悪い現在を補う訳でもないが、平和資料館に隣接して四一mの展望塔が立っている。此処の場所に県立の平和資料館があるのも特別な理由がある訳でもない。土地の買収がうまくいかず此処に落ち着いたという裏話を誰かが囁いている。平和資料館館内は疎開の経験者が、ほろ苦い思い出の蘇る展示品を見ることができる。親元を離れ、集団で疎開した児童も七〇歳前後となり、いつか疎開先へ訪ねたことがあったという。残っているものも少なく、不自由が多くいい思い出などあるはずが無いと思われるが、不自由した分だけ現代には無い共同生活の大切さを実感した。豊かになればなるほど、空腹に苦しんだあの頃が懐かしく、第二の故郷を訪ねるような回帰であったのだろうか。
 戦時中の暮しの映像が回り続けている。時代は敗戦色の濃い年代で白黒の不鮮明な映像に陰りがあるものの、苦況の中で助け合い生きていく姿が逞しくも感じられる。「欲しがりません。勝つまでは」のスローガンを半ば疑いつつ、全体主義に押し通された時代でもあった。
  薄暗い戦時中のエリアを抜けると、コンクリートの冷たさが感じられる未来的回廊に出る。過去に凄惨な戦争があったことなど忘れてしまう程のほのぼのとした小春日和で、まばゆい光が差し込んでいる。富める者、貧しき者にも光は平等であるが、不運に見舞われた者は平等と思わない。陰鬱な光と見るかもしれない。
  平等以上の天下人の気分で展望塔に上がれば、360度の視界が広がる。説明のパネルでは話題のスカイツリーが見えるはずだが、大宮の新都心迄がいいところである。風の無い穏やかさが視界を悪くしているようだ。風が強ければまた小言をいうのも人でもある。
  冬の山油えのぐがあざやかに 富子
  物見山に立てば遠山雪化粧 ひぐらし
  人が集まれば、物議を醸す人の世界でもある。孤高なる山は語らず四季の彩りを呈しているだけである。動き回る人は動かざる山をそれぞれの思いで捉えている。生を受けた瞬間から、人は動き続ける。何処かへ行く方向性は異なっても同じ死が待っている。古代人は死をどのように考えていたのだろうか。
 吉見百穴は初め古代人の住居跡とされていたが、墓という説に定着した。集団生活跡にしても、墓にしても死を恐れ共同体で暮していたのは確かのようだ。百穴内の売店主が資料館以上の説明してくれた。住居跡説を覆された博士はその後どうしたのだろうか。
 二百以上ある穴の下に戦時中、軍需工場を目的とした隧道が掘られた。多くの朝鮮人労働者を不当な扱いで工事を急がせたという汚点を残している。自主的な共同体と酷使される共同体とでは怨讐の度合いが違う。怨年が宿ったか、平地では珍しいヒカリゴケが薄暗い洞穴の中で妖しい光を放っている。
  冬日うすし洞穴の中のヒカリゴケ 月子
  神の代はかくもありけん冬籠 子規
 正岡子規の句碑があった。明治二十四年十二月熊谷で降り、此の地で詠み東松山、川越と向かった。晩年の病床の子規とは想像のつかない精力的な動きである。軍需工場ができる前で、神秘的な聖域に見えたに違いない。
  俗にあり、俗から抜け出せず、無いものを希求するかのように人は聖域を作り守り続けてきた。坂東札所十一番吉見観音で知られる安楽寺の紅葉に迎えられ、少しは世俗を捨てられそうな気がした。改修された真新しい仁王像があかあかと紅葉を負かす位に朱に染まっている。
   厄除の結びに淡き冬紅葉 つゆ草
   銀輪の紅葉狩人に合ひにけり 瑛子
 交通事情が悪く、覚悟と信念が無ければ結願できなかった頃の坂東札所巡りも、観光を優先にしたスピードに時代になった。スピードと共に信仰心も薄れていくとは思いたくないが、失っていくものが多い時代になりつつあるという気がしてならない。
  白鳥は水面に低く影落し 喜代子
  慌ただしく巡った後に八丁湖を見下ろす宿での句会を終えた。少ない時間を下迄降りて行き、ギリギリまで句作を練る辛抱と観察を見習いたいものだ。
  季節柄紅葉を詠んだ句が多かった。見るものは同じでも、視点の置き方は様々である。「死ぬること見よ見よ見よと紅葉す 月子」の句が話題になった。師は強烈過ぎるという。人に限らず、生きものは生まれた時から生存競争を強いられる。病、突然死、寿命、やがてくる確実な死が待っている。しかしながら安全で保護された環境では、危機感が薄れがちである。それに対する警鐘のような気がする。紅葉といきつく自分の死を重ね合わせれば身近な問題としてかかわってくる。死ぬための生き方を考える年代にお互いなってきたといえる。
  三十一歳の若さで討たれた木曽義仲も、死ぬために生きたとは思わないが、嵐山で生まれ、父が暗殺され難を逃れて信州で育った環境が、数奇な運命を待っていた。滅ぶも、生きるも讒言次第というのも恐ろしい人の世である。鬱蒼とした木立の中に建つ鎌形八幡神社前には義仲が産湯を使った清水が枯れず湧き出ている。この水が在る限り義仲ヒストリーは云い伝えられていくだろう。
  京都の嵐山に似ていることからの名称という嵐山渓谷は、車の渋滞で遥か離れた位置に車を止めての散策となった。片道三十分以上の道のりに行くか行かぬかを思案する。周遊できればいいのだが、同じ道をまた戻ってこなければならない。交通不便な昭和十四年六十一歳の与謝野晶子も来たというのだから、景勝地には違いないのだろう。晶子は此の年「新々訳源氏物語」の完成祝賀会をやり、翌年脳溢血で倒れている。一転しての災いは何が起きるかわからない。
  いつ何時襲いかかる不幸を逃れるかのように、古くから信仰してきたのだろうか。坂東札所九番慈光寺は曲がりくねった道を登った山上にある。この山道を歩いて登るには体力と並みならぬ信仰心がなければ辿り着けなかったのではなかろうか。六七三年開基といわれ、かつて七十五の宿坊があった大寺院だった。遠い昔はやっと登りつめた境内に辿り着けば、千年以上の多羅葉樹に迎えられ、生命の養生を得たかもしれない。
 朱印状を貰いに行けば、昼休みで受け付けないという。寺に昼休みがあるとは初めてである。待つか帰るか。もう来る機会がないかもしれない。朱印状を集めた処で確実な幸福など約束されている訳でもない。結願することで身が軽くなれば幸いである。朱印状に興味を持たぬ者に待つ時間は長い。待つこと四十分過ぎに朱印記帳が再開された。九十越えた住職自らの手書きによる。体力の衰えた高齢を配慮しての昼休みだった。規則正しい生活が長命の基本なのだろう。規則正しい不自由な生活を選ぶか、不規則な自由な時間を選ぶか、その結果はある程度の年月を経てしかわからない。迷い、怖れがある限り信仰は廃れないだろう。無信心者でも、救われたいと思っている。参拝を終え少し身軽くなって山を下って行った。                       ( 酔 朴 記 )

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