白山句会会報 No.14   ホーム

白山句会 白山句会報第14号
日時   平成25年12月15日(日)、9時30分〜11時15分
句会場  茨城県北茨城市平潟町 民宿「暁園」食堂

  今回の一泊吟行句会は、昨年同様「第七回芭蕉会議の集い」として企画された。「五浦・平潟」を吟行の地と定め早くから企画し、宿の手配等いろいろお骨折り戴いたのは尾崎喜美子さんで、それを補佐して戴いたのは椎名美知子さんである。この場を借りて、お二人に御礼を申し上げます。昨年は先生のお骨折りで高野素十の故郷に近い高浜で、今年同様十二月に吟行をした。冬枯れの北関東の荒涼とした気分は、日頃弛んでしまった翁・媼の心を引締め俳諧的な昂奮を甦らせる効果があるようで、今回も佳句、好句が多く生まれた。なお今回、病気療養中の古参会員後藤由貴子さんが取手市から、また「3.11」で被災されご苦労された吉田いろはさんが、いわき市から参加された。後藤さんはご主人・息子さんと一緒で暖かい家族の絆に守られている姿をとくと拝見させて戴いた。又いろはさんは避難・仮設生活の苦労が漸く癒え、新築なった我が家から日本語を教えに地元の大学に通う生活に戻ったとお聞きした。今回、吟行の地を「五浦・平潟」にし、このような場を持てたことは偏に尾崎さんの卓見であり、今更ながら尾崎さんに感謝する次第である。

〈 句 会 報 告 〉
* 一部の作品については、作者の意図をそれない範囲で、原句表現の一部を改めたものがあります。

☆ 谷地海紅 選 ☆

みなの耳朶柔らかくする冬日かな いろは
天心の墳墓にたつぷり冬の土 ムーミン
冬麗の素十の故郷よぎりけり 希望
冬座敷大震災の海に向く 無迅
松風に昔日聞かん海桐花の実 瑛子
曹以といふ煮魚旨し冬の宿 かずみ
碧き海一瞬千鳥に再会す 松江
初霜を踏んで散歩に海辺まで ムーミン
立ち上がる被災の宿の実千両 無迅
冬怒涛観瀾亭に主居ず 瑛子
介護の日々遠く常磐線小春 梨花
天心の廻り廊下や冬日和 かずみ
見上ぐれば君がゐること寒椿 いろは
冬浪やまだ新しき防波堤 泰司
広縁に松が影置く冬日かな 希望
セキレイと浴びる朝日のシャワーかな 瑛子

☆ 堀口希望 選 ☆
冬の波六角堂の朱を揺らす 喜美子 
天心の墳墓にたっぷり冬の土 ムーミン
冬座敷大震災の海に向く 無迅
天心の海に遍し冬日の出 梨花
松風に昔日聞かん海桐花の実 瑛子

☆ 根本梨花 選 ☆

冬麗の素十の故郷よぎりけり 希望
冬座敷大震災の海に向く 無迅
曹以といふ煮魚旨し冬の宿 かずみ
みなの耳朶柔らかくする冬日かな いろは
セキレイと浴びる朝日のシャワーかな 瑛子
冬浪やまだ新しき防波堤 泰司

☆ 互選結果 ☆

7 天心の海に遍し冬日の出 梨花
5 冬座敷大震災の海に向く 無迅
4 大観も観山も来よ炉辺淋し 海紅
4 介護の日々遠く常磐線小春 梨花
4 広縁に松が影置く冬日かな 希望
3 一古人敬し一炉に十四人 海紅
3 冬の波六角堂の朱を揺らす 喜美子
3 曹以といふ煮魚旨し冬の宿 かずみ
3 松風に昔日聞かん海桐花の実 瑛子
3 立ち上がる被災の宿の実千両 無迅
2 みなの耳朶柔らかくする冬日かな いろは
2 寒月や釣人残し大津港 かずみ
2 母冬怒涛観瀾亭に主居ず 瑛子
2 岩山の裾走りくる冬の海 松江
2 冬浪やまだ新しき防波堤 泰司
2 セキレイと浴びる朝日のシャワーかな 瑛子
1 天心の絵筆の穂先冬の波 梨花
1 天心の墳墓にたっぷり冬の土 ムーミン
1 冬麗の素十の故郷よぎりけり 希望
1 あつ流星月の光の中に立つ 美知子
1 松に吹く風凍りたる津波跡 いろは
1 碧き海一瞬千鳥に再会す 松江
1 再会をほっこりつつむ鮟鱇鍋 こま女
1 鴉来て冬田まことにそれらしく 海紅
1 冬の海動くと見えず貨物船 泰司
1 海原は天心のこころ冬茜 喜美子
1 霜の朝凪の砂浜茜さす こま女
 北茨城
1 幻想の鷹飛ばしゐる母郷かな 希望
1 さざんか咲く天心の道海迫る ムーミン
1 世界へと天心の夢冬の海 美知子
1 再建の六角堂あり冬の海 由貴子

☆ 合評 ☆

 時間的な制約から十分な時間が取れず、皆さんから一言感銘句の発表をして頂いた。
互選の高点句は梨花さんの「遍(あまね)し」句、早朝の寒い中、日の出を見に行った根性が功を奏した。俳句は根性でもある。相澤先生の「新しき防波堤」句は、目立たないが胸を打つ佳句であった。何も言わずに「新しき防波堤」を出したことが成功。取り落とされた方も何人か居たようだ。お目当ての鮟鱇鍋ではなく地元の珍しい「曹以(そい)」に目を付けた、かずみ句も点を集めた。


☆ 総評 ☆
 時間的制約から今回はなし。


☆ 参加者 ☆ <順不同・敬称略>
谷地海紅・相澤泰司・堀内希望・尾崎喜美子・根本梨花・椎名美知子・後藤由貴子・
水野ムーミン・吉田いろは・中村こま女・米田かずみ・谷地元瑛子・鈴木松江・
伊藤無迅。
<欠席投句者> 今回はなし。  

<以上、伊藤無迅・記>


☆ 吟行記 ☆

  第7回芭蕉会議の集いは、尾崎さんの企画で北茨城市の五浦に一泊の吟行句会となった。宿は大津港にある「暁園(あかつきえん)」であった。多忙な年末にもかかわらず谷地先生を始め、いわき市から吉田いろはさん、地元の後藤由貴子さんが駆けつけ総勢14名の参加となった。今回の一泊吟行の旅は、思い掛けず2011年の東日本大震災、所謂「3・11」の爪痕とその復興を見る旅でもあった。
  ◆ 12月14日(土)晴れ、おだやかな冬日和。
大津港駅に集合。病気療養中の後藤さんは、ご家族の車で駅に来てくれた。最初に訪れた五浦海岸の六角堂は、東日本大震災の津波で流失し、多くの人の努力により平成24年に再建された。明治38年に創建されたが、その当時のものに復元されたという。窓ガラスのゆがみも当時の製法で作られた様である。黒い屋根瓦やベンガラ塗りなどで復元された六角堂は、あたかも天心の熱い思いが不死鳥のように立ちあがったようにも見えた。同時に、ここを訪れる人々の心も奮い立たせているようにも思えた。列車の遅れで後着になった、こま女さんも到着、全員が揃った。
       一古人敬し一炉に十四人       海紅     
  近くの天心のお墓の簡素で大きな土饅頭に驚く。歩いて「天心記念五浦美術館」に向う。案内人の不確かさで、ようやく辿りついた。結果的に近道をしたようで、ほっと一息。歩いての下見が必要だったと反省!
「天心記念五浦美術館」も震災の被害を被った。太平洋を見下ろす風光明媚な地に建つ記念館は、敷地も広く大変立派な美術館であった。多彩な企画展示で美術の発展にも貢献している。天心の波乱万丈の生涯と今回の震災が重なり合い、参画メンバーの感ずることは各人各様深いものがあったと思う。
  見学が終ると、今夜の宿「暁園」の迎車3台が指定時間前に迎えに来ていた。また相乗りさせてもらったり手荷物の運搬の労を取っていただいた後藤さんの家族とは、ここで別れた(ご家族は他のホテルへ)。午後4時過ぎに宿に着く、目の前は広々とおだやかな海が望める。「暁園」は震災で全壊し、建替えて今年9月に営業再開を果たせたばかりという。木の香りがする明るく清潔感あふれる宿であった。若いスタッフ(という言葉がふさわしい)が、きびきびと迎えてくれる。
       立ち上る被災の宿の実千両      無迅
  冬場の早い日没に備えて早めに宿に入ったので、夕食までには未だ時間がある。なんともゆったりとした贅沢な時間を堪能する。2〜4人の部屋割であるが男性陣4人は気を遣って一部屋にして呉れた。暮れ行く海の様はすばらしく、ロマンティックな気分にしてくれる。      
午後6時夕食。鮟鱇鍋が売り物ときいていたが、あんきも、あんきものあえもの、帆立、さざえ等々。盛り付けもフランス料理のようにきれいである。料理人のセンスが光る。大きな煮魚が出た。とてもおいしい。「曹以(そい)」という魚だそうだ。
       曹以といふ煮魚旨し冬の宿     かずみ
  鮟鱇鍋も暖かくおいしい。大満足のお料理であるが、残念ながら食べきれない。俳句の会のメンバーの平均年齢は65歳を超えている。「シニアコースが欲しいね」の声が出る。
  懇親会は男性陣のお部屋で開かれた。久しぶりのいろはさんを待っていたが、瑛子さんと早めに休まれたらしい。こま女さん、喜美子さん持参の酒が座を賑やかに盛り上げる。
  今日は流星がたくさん見られる日、という先生のお声掛けでベランダに出る。オリオン座の右上に十二夜の月が輝いている。空気がきれいなのだろう。月光が影を明らかにし、空には、たくさんの星が見える。残念ながら流星には出会わなかったが、翌朝、こま女さん、かずみさん、ムーミンさん、瑛子さんは流星を見たとのこと、よかったですね。

  ◆ 12月15日(日)快晴、おだやかで暖かい。
  部屋から、きれいな海が一望できる。宿から海岸に出て水平線から上る日の出を見る。水面を輝かせ、すばらしい日の出である。打ち寄せる波も砂浜に描く波紋も美しい。だが岩に陸に震災の爪痕が荒く残っている。
      冬浪やまだ新しき防波堤      泰司
  宿の朝食は干ものがおいしい。昨夜食べきれなかった鮟鱇鍋は雑炊にして出してくれた。後藤さんも到着し、9時30分から句会開始。
  天心、震災、宿の句が多い、共感する句が多く選句に迷う。(詳細は句会報告でどうぞ)
  句会が終り、宿で解散となった。次回の再会を期して後藤さんは息子さんの車で、いろはさんは自家用車で名残を惜しみながら別れた。残りの一行12名は宿の好意の車で、磯原の「野口雨情記念館」へ。運転に駆り出された宿の主人の友人は同業の民宿経営者という。津波被害が未だ色濃く残る大津港をめぐりながら、「震災前と比べて客足は40パーセントです」と話していた。完全復興には未だ遠く、さらなる観光客の欲しいところである。
  「野口雨情記念館」の見学を終え、歩いて5分の「雨情生家」へ。ここも修復のあとが痛々しい。資料館にまわると、雨情直孫の不二子さんが丁度在宅中で出てきて下さった。
「つい今しがた帰ってきたところです。ほとんど家にいないのですよ」と、シャキシャキとした口調で説明してくださる。
  2011.3.11東日本大震災の日のこと。生涯学習センターのセンター長をしている不二子さんは、その日、何故か胸騒ぎがして出かけず家にいた。そのお陰で生家にあった雨情の大事な資料を二階に夢中で運び上げ、救うことが出来た。その後、裏山の高台めざして逃げた。すでにくるぶしから30センチ上まで水が上がっていて、鉛色の水の壁は第三波まで襲い、すさまじい勢いですべてを破壊していった。町はすっかり壊され、雨情生家の門の前には10トン車トラック、その上に乗用車が重なり、流れついていた・・・と。
  いま、目にすることのできる資料は、危機一髪で守られここにある。過去に何度か訪れたが、そのときとは違う感慨で見せていただいた。雨情の直筆の屏風を背景に不二子さんを囲み相澤さんのカメラで記念撮影、これが旅の締め括りとなった。

 今回の旅は、自然の前の人間の非力さと、同時にそれを受け入れながら復興に励む人間の強さを、まざまざと見せていただいた旅でした。
  第7回芭蕉会議の集いを、くしくも復興途上の地で開催されたことは意義深いことと思いました。谷地先生、いい旅を企画下さった尾崎さん、集って下さった皆さん、ありがとうございました。

<椎名美知子 記>
<了>

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