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私の好きな私の一句 ― 会員紹介にかえて ―

◆ いい色で締めくくりたい 濱田惟代

 私が三十歳をすこし過ぎた頃、義母が私の屋敷にプレハブを建て、四歳児向けの幼児教室を開きました。近くに二年保育の幼稚園がなかったためです。週二回、半日、幼児を預かって遊ばせることが目的でした。
  義母は、私に補助をするように言いました。義母が先生経験者だから大丈夫と言われるままに、手伝うことになりました。半年ほどして、義母は病に倒れて入院し、教室は仕方なく私が一人でやることになりました。無資格で、何か不測の事態が起きると困ると考えて、急遽保母の資格を取ることにし、通信教育の保育講座を学び、ピアノも習いに行って、二年後に保母の国家資格を取りました。これが通信教育と関わった始まりです。
  その後、書道教室・学習塾で小中学生に教えました。幼児教室は、町に二年保育が出来て、送迎バスも回って来るようになったのを機会に、五年で終止符を打ちました。学習塾は十年続け、書道教室は今も続いて二十年になります。
  教室を続けながら、市営の老人ホームで八年間、書道を教えました。家庭の事情でやむなくやめましたが、ここで学んだことはたくさんありました。高校の書道の資格が欲しくて東洋大学に入りました。家の近くの高等学校で、書道の教育実習をしましたが、生徒の一人に「誰か生徒のお母さんが来ている」と勘違いされてしまいました。
  念願の卒業を果たすと、急に勉強の目的がなくなって寂しくなり、卒業論文で調べたことがきっかけになり、新聞やテレビで見聞きする地名を調べることに夢中になりました。そしてひらめくものがありました。それは、好きな古代史を追いかけて足掛け八年、『ヒッタイとは日本に来ていた』という著書として出版できました。日本で誰も書いていないことですが、生きているうちに認められたらいいなと思っています。
  これまで、幼児・小中学生・高校生、そしてお年寄りと、すべての世代を相手に三十年過してきました。あとは自分が老人になることが残されています。自分の老後をいかに充実して過せるかが課題です。いまのところ、趣味と著書の続きである研究と、仕事で忙しくしていて休む暇がありません。俳句はいくらやっても上手くなりませんが、自然を楽しんでいられればいいと、開き直っています。

   草の命バッタの命緑色       惟代

  自分の俳句で好きなのはこれです。果たして、人間の命は何色なのでしょうか。あるときはバラ色、あるときは灰色、つまりどんな色にもなるというのが人間かもしれません。サトウハチローの詩に「赤ちゃんのときは真っ白」(すこし記憶に自信がありませんが…)というのがありました。人は歳をとるに従って、いろいろな色に染まっていきます。草やバッタは緑一色ですが、何色にもなる人間は素晴しいです。いい色で締めくくりたいものと思っています。(2006/10)
写真提供:高橋巧 氏



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