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■202511_01 海紅 2025/11/04-16:23 No.[9401] |
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| 冬ざれて大きく見ゆる道祖神 | |||
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つゆ草
2025/11/09-08:57 No.[9402]
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以前、長野の安曇野というところに行った時、道端に沢山の道祖神を見た事があります。それらの多くは肩を寄せ合う夫婦か親子か男女でした。冬ざれという寂しい季語に、道祖神の姿が優しく響いて見えます。 | |||
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つゆ草 2025/11/09-09:39 No.[9403] | |||
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追記です。大きく見えたというという心の在りかが詩になっていると思うのですが、どなたか感想をお聞かせ下さい。 | |||
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美知子 2025/11/09-16:13 No.[9404] | |||
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この句を拝見した時、すぐ目に浮かんだのが、つゆ草さんと同じ、安曇野の道祖神でした。 夏草の生い茂る季節には見逃してしまいそうな道祖神も冬枯れの始まったうら寂しい景色の中で、きっと道行く人の慰めになっているだろうなと・・・。 「大きく見ゆる」そのままと思いました。道祖神の優しい表情と「冬ざれて」これから来る季節の寂しさ、道祖神を見る作者の心の位置を思いながら読ませていただきました。あの道祖神に会いたくなりました。 | |||
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千年 2025/11/10-20:54 No.[9405] | |||
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おくのほそ道の、道祖神のまねきにあひて取るもの手につかず、がまず浮かびました。道祖神を旅へ出てこいという招きととれば、旅心が冬ざれのなかの道祖神を大きく見せたのでは。 冬ざれて大きく見ゆる道祖神 海紅 小さき幸せ熊穴に入る 千年 | |||