2015年5月 半歌仙「寂として」の巻(第十九回興行)


■白山連句会第十九回興行
なお本興行は「芭蕉会議の集い(第9期)」の行事として興行したものである。

芭蕉会議の集い―連句を体験する―     於和亭なにわ
平27年5.月9日(土)    捌 海紅・瑛子

  「寂として」脇起こし半歌仙

寂として客の絶間のぼたん哉         蕪村
羅を着てひらく枝折戸              酢豚
補助輪のとれて歓声空に響き         つゆ草
遊動円木雨にびしよびしよ           無迅
虫喰の葉もあざやかに月明かり        松江
残る燕の愛らしき声               瑛子
二人して落穂拾ひし頃のこと         ふみ子
こんぺいとうをふくむくちびる          月子
あの顔で百一回のプロポーズ         梨花
すまし顔にて掛け軸の前            由美
こんにちは宇宙の果てから手を振つて    喜美子
ネパール地震に届く救援            いろは
寒月のビルの谷間にしばしゐて        うらら
里のたよりに炉辺の燗酒            馨子
さよならも言はず逝きけり山男         ムーミン
いたるところに神のゐる国           月子
即興の十六人に花吹雪             貴美
なにはともあれ仲良しの春           海紅

 海紅です。九日の集いはお目にかかれて嬉しくありがたくお礼申し上げます。あの日の連句原稿は瑛子さんともう一度見直し、成案に至りました。

 さて、これに懲りずに、俳句に似ていて、また異なる連句に遊んでいただくために、以下に九日の会の感想を書きます。どうぞ参考にしてください。

1)原形をとどめていないという感想について
俳句と違って連句の付句は、前句とその前の句(打越という)が作った世界を動かして、前句と付句で新しい世界を創り出すという知的な文芸です。ですから、連句のコツは前句と打越をどのように理解したかであり、一句として整っているだけではダメなのです。俳句を詠む手続きとは違うのですが、この知的な手続きは実は俳句作りにも、頭の老化にも、美容にもきわめて有効。連句で必要なことは、まず他人が作った前句の中に入ることです。好きな異性(前句)と交際して、変わってゆく自分(付句)、連句をこんなふうにスリリングな遊びと考えてほしい。捌きの独断と偏見はこれらを達成するためにあるのだと考えて、また御参加ください。

2)捌きの心掛け
変化があるほうがおもしろいので、景色や世相ばかりが続かぬように、人間の言動や心情ばかりが続かないように注意しています。

3)恋の句が苦手なみなさん
今回はうっとりとする恋の句がでませんでした。恋の句が苦手な理由のひとつに、自分の作だと思われるとはずかしいという気持ちの障碍が考えられます。それを捨てられるかどうかに、人間的な成長がかかっている。連句は前句の世界が導き出すのだと考えて、神・仏・恋・旅などの世界は大胆にお願いします。それは能の活性化、つまり健康に直結するはずです。

4)助詞・助動詞を大切に
長句は十七音節(Seventeen syllable)に、短句は十四音節(Fourteen syllable)に収めなくちゃいけないという強迫観念の持ち主は、助詞・助動詞の省略に走り、字数は間に合ったが変な内容、変な日本語という句を作りがちです。句はときどき助詞・助動詞によって良い句、悪い句がきまります。俳句・連句、もちろん短歌も同じですが、助詞と助動詞を上手に使ってください。