2007年10月 歌仙「秋深き」の巻(初回興行)
千年
2007/10/12-13:55 No.[2243]

  歌仙「秋深き」の巻

秋深き隣は何をする人ぞ    翁
ふくらむ夢をのせる菊枕     市川千年
なかぞらに月の兎の杵もちて    安居風酔
産声あがり笑顔こぼれる     根本あやこ
過疎村の皆和みゐる鯉幟      堀口希望 
水音洩れる四畳半です        風酔

共生の世紀を想ふテロリスト      千年
熱き血潮に何がたりない       あやこ
パソコンのやり方ボスによく聞かれ 内藤村愁
太夫のやうに身をひかれたい     千年
筒井筒井筒の人の名をきざむ    吉田いろは
働きものの兄はヴェニスへ      あやこ
月の出を待てぬはかなさ綿虫は      風酔
雪の祠に揺れる灯火           千年
薬飲むほろほろ苦し春近し        いろは
琵琶を抱きて暁の窓         三木喜美
蕪村句を論じあひゐる花筵         希望
栞となりし松の緑よ           千年
ナオ
「結願」と遍路の父のeメール      小出富子
反則などはないと居直る         風酔
酎ハイを買ひにこっそりコンビ二へ     いろは
帰省をすればゴルフ三味         千年
出来ちゃった婚にばたばた夏過ぎる     希望
忘れられない先生の声            いろは
整形を嘆いてみてもしようがない       千年
凩1号副都心抜け             風酔
柚子の香に満たされてゐる家族風呂    あやこ
連投完封優勝の盾            村愁
月あかり頼りに神を撮影す         千年
貨車遠ざかり揺るるコスモス        風酔
ナウ
そぞろ寒原宿前の交差点          富子
湊は大漁歌と地酒と            あやこ
ロボットと地雷を剥がす仕事有        千年
喜寿の祝ひのハガキ暖か           希望
車椅子押す手も軽し花吹雪          喜美
蛙八匹古池に飛ぶ              千年

(千年捌 平成十九年十月十二日首 同十一月二六日尾
於・芭蕉会議白山連句会公式サイト)

市川千年
2007/10/12-15:14 No.[2244]
白山連句会初回興行にあたり、元禄7年、芭蕉の「秋深き隣は何をする人ぞ」を発句に、脇起り歌仙を巻いていきたいと思います。脇は「ふくらむ夢をのせる菊枕(きくちん)」。かけ廻る夢を引き継いで、風狂の夢を私も見させてもらっていますという、芭蕉さん、芭蕉会議の皆様への返礼といたしました。「秋深き」で晩秋、「菊枕」で晩秋。さあ、始まります。第三は月の句でお願いします。「付け句」に連衆の皆様の思いや薀蓄等を書き加えていただければ、捌きはもちろん、このサイトがより分かりやすく、おもしろい座になっていくと思います。それでは、よろしくお願いいたします。なお、付け句がとられた方は「有難うございます」のコメントをお願いします。連句の基本ですので。
堀口 希望 2007/10/12-18:56 No.[2245]

 「白山連句会」発足おめでとうございます。楽しみにしています。よろしくお願いいたします。
早速、第三を附けさせていただきます。

第三 喜寿の宴果てたる窓に月澄みて   希望

(附き過ぎなことは承知していますが…。)

(質問)・1人1句ですか?
・初秋・仲秋・晩秋・三秋の縛りについては?
・自・他・場については?

安居正浩 2007/10/12-20:25 No.[2246]

おめでとうございます。とりあえず参加だけ。

名月の兎しづかに杵もちて  風酔

ついでに連句風の名前にしてみました。

市川千年 2007/10/12-23:35 No.[2247] さっそく有難うございます。初、仲、晩の三季、自、他、場の式目はまずは守っていこうと思います。ただ、これは随時付け句に対して捌きが指摘することにして、まずは間口をあけっぴろげにして、自由自在に付けていただいて、初回は巻いていこうと思っています。随時、捌きなり、希望さんに指摘していただいて、一直し、変化に富む歌仙にしたいと思っています。
さて、ここは第三、ぐっと夢の世界を宇宙に拡げた風酔さんの「名月を兎しづかに杵もちて」でいきます。
四句目は軽い感じで。秋でも雑(無季)でも。
市川千年 2007/10/13-00:15 No.[2248] 一人一句から三句までとしましょう。何でも閃いた七七を付けてください。
根本文子 2007/10/13-11:07 No.[2249]

発足良かったですね、連句の苦手な私、ご挨拶まで。

  産声あがり笑顔こぼれる     あやこ

市川千年 2007/10/13-11:30 No.[2250] はい、有難うございます。いただきます。月の兎にぴったり付け。秋三句に続き自他半、雑の句。次は何でいきましょうか、何でもOK.
市川千年 2007/10/13-15:02 No.[2251] と、ここで、希望さんから別メールで、名月は仲秋で、晩秋、晩秋ときて、これは季もどりではないかとの連絡有。「連句辞典」(東京堂)によれば「・・春・秋の句は三句から五句続けることになっているが、そのような時に晩春の前句に対し初春の句などをして不自然な感じを与えることを「季戻り」という。春・夏・秋・冬ともにこのことを避けねばならない。なお、春の句の次に冬の句を出すことは、同季の句続き内でのことではないので、季戻りとはいわない。(「近代連句概説」参照)」とあります。いやあ式目にのっとるといいながら・・・
そこで、「名月」を「月上る」(三秋)としようと思ったら、四句目に「あがり」があるので、「月渡る」としましょう。風酔さん、なにか他にあればお知らせください。
希望さん、どうかビシビシこのサイトでお知らせください。どうも有難うございました。
堀口 希望 2007/10/13-16:24 No.[2252] 千年さんの捌にケチをつけるようになってはいけないと思い、個人宛メールで連絡させていただいた次第。心よく対応していただき恐縮しています。これからが楽しみです。
風酔 2007/10/13-16:59 No.[2253]

了解しました。月であれば、秋でいいのかと思ってました。

確かに「仲秋の名月」と言いますもんね。
兎も季語なので、月の兎と続けたかったのですが難しいですね。

市川千年 2007/10/13-23:01 No.[2254] 「月の兎の杵もちて」の上五を「ぽっかりと」「天心の」「中天・・なかぞら・・」「なかぞらに月の兎の杵もちて」ではいかがでしょう。あたりまえと言ってしまえばそれまでですが、表の序の舞、落ち着いた感じの場面転換ではっきり月影が見えていいかとも。捌きの特権でとりあえずこれでいきます。また何かありましたらご指摘ください。
五句目を皆様御願いします。秋季以外で、人情を入れて。
堀口 希望 2007/10/14-10:25 No.[2255]

「過疎村の皆の見上ぐる鯉幟」 初夏・自他・希望
と附けてみました。よろしく。

了解しました。月であれば、秋でいいのかと思ってました。

確かに「仲秋の名月」と言いますもんね。
兎も季語なので、月の兎と続けたかったのですが難しいですね。

堀口 希望 2007/10/14-10:57 No.[2256] ・小生の操作ミスで、10/13の千年さんのコメント の後に 変な書込みが入ってしまいました。向井さん にお願いし、削除していただきます(スミマセン)。
・五句目に取り急ぎ「過疎村の皆見上げゐる鯉幟」と附 けさせていただきます。
・千年さんにお願い! 10/13の千年さんのコメン トの「五句目は人情を」についてもう少し解説して ください。自・他・場・自他半と打越の関係について よろしく。
根本文子 2007/10/14-11:15 No.[2257] つたない付けを採用いただき有り難うございます。先ずお礼を言うことから覚えていきたい。季節、人情は解らないので、私の場合は字数を揃えるだけでどうぞよろしく、捌きや書き込みがなによりの勉強です。
市川千年 2007/10/14-12:26 No.[2258]  「五句目に人情を」というのは打越(前句の前の句。また、打越・前句・付句という三句の渡りにおける三句目の転じの障りをいう)の句である第三「なかぞらに・・」が場の句であるので、五句目に場の句を付けると「転じの障り」つまり打越になるため、人情を入れてくださいと御願いしました。
自・他・場・自他半の解釈は付け句を斧正する折にでも書きます(この解釈論争は私まだ未消化なのですが、そう判断する三分の理があればいいと思っています)。
あやこさん、御礼有難うございました。その折にまた一言、二言いろいろ言いたりなかったことや、付け句にまつわる情報等加えていただければ、座が盛り上がります。実際の現場ではとりあえず付け句をすんだ者どうしの有益な情報交換の場になっています。付けてない人は隣でぐっと脳髄から句を搾り出そうとしているわけです・・・
市川千年 2007/10/14-12:37 No.[2259]

希望さんの「過疎村の皆見上げゐる鯉幟」。前句に「産声あげる」とあるので、「過疎村の皆なごみゐる鯉幟」ではいかがでしょうか。(人情有、他でも自他半とでも解釈可、連句の運びはじたばたしてはならない・・自戒を込めて)
「連句辞典」によると(以降「」書きは同辞典より)、「自他場(じたば)  自(人情自)の句、他(人情他)の句、場(人情なし)の句、自他一所の句(自他半)に句を分類して、立花北枝が考案した三句の転じ方をいう。基本的には、自・他・場の句がそれぞれ打越になるのを制したものである」
「人情の句  一句中にどのような形にしろ人情が詠み込まれている句をいう。「人情の句」は「自」「他」に大別され、「自」は自分本人の動作・思考・状態を指すもので、「他」は他人の動作・思考・状態等を指すものである。一巻中に景気の句ばかりが続きすぎると俳諧味が薄れてしまうので、場面転換のうえからも必然的に「人情の句」の詠まれることが多いが、「人情の句」が続く上でも常に変化を求めなければならない。」

ということで、もう1句夏をいきましょうか。(雑でも可)

堀口 希望 2007/10/14-18:30 No.[2260] 千年さん添削のとおりで結構です。ただし表記は
「過疎村の皆和みゐる鯉幟」
としたらいかがでしょうか。「過疎村の皆なごみゐる」ですと、「な」を「皆」の送り仮名のように読んでしまう惧れがあるのではないでしょうか。
市川千年 2007/10/14-20:12 No.[2261] 了解いたしました。
堀口 希望 2007/10/14-23:31 No.[2263] 千年さんへ  ありがとうございました。
風酔 2007/10/15-00:23 No.[2264]

雑でよければ、とりあえず挑戦!

蛇口甘くて漏るる水音  風酔

市川千年 2007/10/15-04:23 No.[2265] 目が覚めて、サイト開ければ、付け句あり。水音漏るる夜明け前です。はい、いただきます。
夏冬は二句続くも、前句次第で三句まで続く。各一句の場合もあり。ここは序の舞の舞い納め、雑の場の句でぴったりの水音漏らし付けでした。
「表六句には神祇・釈教・恋・無常など、喜怒哀楽の心理的動揺の激しい句を避ける。これを序とし、裏に移ると題材の制約は解かれ、存分に変化をさせる。ここを俗に暴れ所ともいい、その心理的な流れを破という。」
表がおわると、現場ではシュポンシュポンとビールを開ける音、暴れ所に向かって、気合を入れなおすのですが、夜明け前に表が終った経験は初めて。カラスの一番鳥の声が祝福してくれています。
ウラの「折立」おったては無季の五七五でいってみましょうか。春は花の定座(ウラ11句目)あたりまでとっておきましょう。
市川千年 2007/10/15-05:19 No.[2266] と、ここで、水が漏れるのは蛇口が甘いのが原因だからあたりまえ、と思い直しました。そこで芭蕉さんの「心の寄るや四畳半」ではないですが、「水音洩れる四畳半です」というのはいかがでしょうか。過疎の村から出てきた若者が都会の四畳半で、ふるさとからの電話で節句の話を聞いた。夜目覚めると、つい飲みすぎてしまったものだから、蛇口が甘くて、水音が聞こえる・・という都市対農村付け。とりあえずこれで。風酔さん、お目覚めになったら、ご確認御願いいたします。
市川千年 2007/10/15-05:34 No.[2267] 早起きは三文の得・・折立をいただきます。
「共生の世紀を想ふテロリスト」
ここからしばらく俳句ではできない雑の句でいきましょうか。打越の水音の句は「です」と言っているから自の句ともいえるし、場の句ともとれる。どちらの磁場が強いか・・・・付け句まかせにいたします。
風酔 2007/10/15-09:27 No.[2268] おはようございます。こちらはまだ寝ぼけ眼です。
四畳半ありがとうございました。
根本文子 2007/10/15-11:36 No.[2269] 自爆行為を伴う若いテロリストをみるたび、唯一の価値観に純真な命をかける若者が痛ましいと思う。この世には、知るよろこび、を始めとして沢山のよろこびがあるのに。それで・・・   どうでしょうか?
熱き血潮に何がたりない     あやこ     もう少し離れたほうがよいのか?よくわかりませんが?
市川千年 2007/10/15-12:52 No.[2270] あやこさんの句はいわゆる「擦り付け」に近いか。確かにもう少し離れてもよかったのですが、ここはこの句のままいただきます。恋の呼び出しになったかもしれません。
進行中の歌仙を掲示している画面で、長句より短句を一字下げる等、入力画面ではそうしているのですが、updateするとちょっと今のようになってしまいます。カルテモの向井さんに調整方法依頼中です。
村愁 2007/10/15-16:53 No.[2272]

白山連句会おめでとうございます。

表示の字下げについてですが、簡単な方法は全角スペースを入れてください。
スペースが半角だと表示上は無視されてしますます。
以下の→と←の間の部分に全角のスペースを入れておきますので、もし PC の設定が不明の場合はそのスペース(ブランク部分)をコピーして貼り付けてください。

→ ←

よろしくお願いします。

市川千年 2007/10/16-09:01 No.[2273] 村愁さん、どうも有難うございました。パソコンの画面を紙と思っているぐらいなので、初歩的なことに悩んでいた頭が氷解いたしました。と、そこで村愁さんの付け句をいただきます。「パソコンの操作をいつも聞く社長」。ちょっと恋の句にはまだいけませんでした。もっといい案があったらご連絡を。
村愁 2007/10/16-16:23 No.[2274] 「パソコンの操作をいつも聞く社長」は私の句ではないのですが、なぜ???
市川千年 2007/10/16-20:31 No.[2275] この座の会話に入ったとたんに、連句の神様にからめとられます。「私の句」というものがどんどん連句の運びのなかで変容して、付いていくことになります。座の雑談から、思わぬ長句、短句がうまれます。その言いだしっぺの方の名をとり、その人の作として付いていきます。少し、強引だったかと思いますが、この座を先に進めていくための一興としてご容赦ください。熱き血潮の社長に足りなかったのはITの知識だったという流れ。決して村愁社長がIT音痴ということではありませんので。それで、打越がテロリストで他の句、この句もまあ他の句ですので、「パソコンのやり方ボスによく聞かれ」というふうに自他半に直します。またよろしく御願いいたします。
市川千年 2007/10/16-20:51 No.[2276]  雑談といえば、江戸時代はリサイクルの時代だったという話のなかで、灰屋紹由という京都の豪商が、灰買人を全国で3300人くらい組織して、集めた灰を農家はもちろん、紙屋、染物屋、酒問屋(江戸へくる上方の下り酒がすっぱくならないように灰を使った)へ売って富を築いたとのこと。その息子が、好色一代男のモデルになったとかいう、灰屋紹益で、二代目吉野太夫を身請けして、その墓までつくったとか。灰の市が昔はたっていたそうです。ちょっと薀蓄を開陳。俳諧ではなく、こんな灰買が江戸にあったことを知っておもしろかったです。
・・・「太夫のやうに身をひかれたい」という句が浮かびました。ボス(社長)を慕う妙齢の美女のひそかな思い・・(自の句、雑)。次の句でさて、どう展開するか。恋の句で応えてください。
村愁 2007/10/17-13:45 No.[2278] なるほど、連句の神様ですね。
了解です。
でも恋の句は難しい。。。
吉田いろは 2007/10/17-18:05 No.[2280]

千年さん、みなさん
白山連句会発足おめでとうございます。今回の流れを見ていますが難しくてついていけな〜い!のは端から承知。参加精神で参りますのでどうぞよろしく。

 恋の句で 会報に井筒の君の名を探し

市川千年 2007/10/17-18:43 No.[2281] 村愁さん、どうも有難うございます。連句は連句人生二句目に詠み手本人の付け句がでることもあります。最初は勝手に捌きにとられて、何だこりゃといった感じでした。何とかの何とかかんとか何とかよという句を出しても、捌きに治されて、残ったのは「の」だけということもしばしば。ただ、その治され方(捌きが治す時もあれば、連衆が「これはこの方がいいんじゃない」と言ったりして)が、その句の気をより深く表現しているものになっていれば、ぐっと座が盛り上がることになります。ほんとに、連衆の力量、思いに頼っているのです。村愁さん、次?(初回)は気合を入れて一句御願いいたします。
市川千年 2007/10/17-19:32 No.[2282] まってました、いろはさん。何か卒業写真のあの人は、という感じで、「私」の業平を探しているような。(すみません、人生経験が足りないもので、勝手な解釈です)
これから晩ごはんを頂きますので、それからということで。ただ、もう一考ほしいかんじです。もっとストレートに、名があった、よかった、とか・・・一句として独立した恋の句を。幼少期あるいは思春期の懐かしい思いを井筒に託して一句。前句がなよっとしていますので。
吉田いろは 2007/10/17-21:05 No.[2283] 着いたばかりの母校便りのなかに初恋の人の記事か写真を探している情景、なのでしたが。ストレートにですか。では 
会報に井筒の彼の名が躍る
市川千年 2007/10/18-00:35 No.[2284] 「筒井筒井筒の人の名をきざむ」ではいかがでしょうか。「会報」は、たぶん俳句を詠むときを考えていただいても、作品の背景において、あえて、言わなくてもいいかと。前句に対する付けですから、説明部分(会報・・)はいらないかと思います。他の連衆の皆様も何かありましたら、御願いいたします。とりあえず、掲載しておきます。
市川千年 2007/10/18-01:14 No.[2285]

恋の句の例「連句・俳句季語辞典 十七字」より
「足駄(あしだ)はかせぬ雨のあけぼの(越人)/きぬぎぬのあまりかぼそくあてやかに(芭蕉)/風ひきたまふこゑのうつくし(越人)」
「銭なくて壁上(へきじょう)に詩を題しけり(蕪村)/灯を持出る女麗し(几薫)/黒髪にちらちらかかる夜の雪(樗良)」
「みみず鳴く夜をひとり酒酌む(春人)/まぐはひの石に露置く社あり(青畝)/鳥に習うて恋をするなる(時彦)」
「かがし翁お前も莨のみたかろ(義聿)/女身つらぬくシンセサイザー(三日女)/逢ひみての後の心はるんるんるん(圭衛子)」

「芭蕉の恋句」東明雅(岩波新書)に引用している去来抄の一節。「卯七と野明が、「蕉門では、恋句を二句以上続けることをしないで、一句で捨ててしまうのはどういうわけですか」と聞いた。
私(去来)は次のように答えた。「私がこの問題について先師(芭蕉)に尋ねたら、次のように答えられた。「昔は恋の句数は定まっていなかった。それが、肖柏(宗祇の弟子の連歌師。1527没)の時、勅宣によって二句以上五句まで続けることになったのである。これが正式興行の時の決まりである。一句だけで捨てないのは、大切な恋の句に対して挨拶しないのは具合が悪いというのである。一説に、恋は男女が和合するのを詠むのだから、一句だけで止めてはならぬという。これはみな恋句を大切に思うからのことである。私が一句でも捨てよというのも、恋の句をますます大切に思うからである。
お前たちは知るまいが、昔は恋の句が出ると、相手の作者は恋をしかけられましたと挨拶したものであった。また五十韻・百韻の作品でも、その中に恋句がなければ、一巻とは言わず、半端ものとした。これほど大切なものであるから、みな恋句にこだわってしまって、僅かに一所に二句も恋の句が出ると、それでもう結構だとして、あとは恋句を出さず、かえって一巻の恋句の数は稀になってしまうのである。また、多くは恋の句から付け運びが渋滞して、句が重くなり、一巻が不出来になってしまう。だから、恋句が出て付けてよい時は二句でも五句でも付けるがよい。付けにくい時には無理に付けないで一句で捨ててしまうがよいというのである。
こう言うのも、どうか一巻全体の出来ばえもよく、恋句も度々出てほしいと思っているからである。」」
以上ご参考まで。次は月前の短句。

吉田いろは 2007/10/18-08:25 No.[2286] ありがとうございました。
「恋をしかけられ」ていたのですね。手練手管の乏しい身には無謀な恋でした。「座」「一巻全体」の意味勉強になります。
筒井筒井筒の人の名をきざむ 「井筒」だけでも残ってうれしいです。太夫から井筒が引き出されたものですから。
市川千年 2007/10/18-08:54 No.[2287] いろはさん、どうも有難うございます。けして、いろはさんの最初の付け句がついていないというわけではなく、逆に訂正しないままの方が、私がすぐに「卒業写真」を思ったように、いい意味で軽く付いて、今の呼吸にあっていたのかもしれません。ちょっと、捌きの方に太夫に対する思い入れが深すぎたせいで、こんな句に直してしまった。朝起きてから、しまったなあと思っていましたが、いろはさんからご連絡いただけて、また次へ進めます。次は二花三月(歌仙)の二番目の月の来る座の前句となります。さてどういう転回になっていくか・・・
根本文子 2007/10/19-09:31 No.[2288]

井戸でつるべをとられた千代女は、切手となって現代を駆け回っていると思ったので〜、

  今日も働く切手の千代女  あらら、遊女がありましたね〜、では
切手となりて何処へでも行く    あやこ
世界を駈ける切手となりて     あやこ     

市川千年 2007/10/20-10:20 No.[2289] お待たせしました。もう一句、二句どなたかからでると、またおもしろかったのですが。さて、失礼ながら、講釈させていただきますと、「切手の」四字、「千代女」三字。よく「四三を忌む」と申します。万葉集でもほとんど四三の例はあまりないとか。ただ、この句の場合はふっと息を吹きかける感じで、「四三を忌む」ことにはなってないかもしれません。とこんな講釈していると、いかがでしょうか、「いつも働く千代はベニスへ」というのは。「今日も働く切手の千代女」は今いち一句としての独立性が弱い感じがしましたので。他2句も同様。旦那がとうとう嫁の千代さんにベニスへ逃げられちゃったというオチで。これでいかしていただきます。
次は冬の月で御願いします。人情の句が続いたので、はっきり、くっきり、すっきりと景気の句で。ここはどんな句をもってきても付きます。お買い得!
市川千年 2007/10/20-10:36 No.[2290]

ちょっと待った。結構動詞がこれまで続いていたので、「働きものの千代はベニスへ」とします。これで、恋離れ。

 月の句「「月の句」の月は、空に出る「月」をいうのであって、「月日」の「月」をいうのではない。月はただそれだけを出せば秋の句としての扱いを受けるが、四季に渡るものであるから一句としては秋の句であっても、他季の前句に「月の句」が付くと他季の句になることを「擦付(すりつ)け月」という。「月の句」は「春の月」「夏の月」「秋の月」「冬の月」という形で出すことができるが、賞玩の対象ということから考えれば「秋の月」を良しとするのはいうまでもない。また「月の句」は短句で詠んでも構わないが、賞玩の意からも長句で出した方を良しとする。発句が秋季であるときには第三句までに月を詠むのが良いとされている。・・・」

「妻子ある身のうき名呼ばるる(虚子)/鸚鵡鳴く西の廂の月落ちて(子規)/石に吹き散る萩の上露(虚子)」

「追手なけれど忍ぶ恋の身(三良)/暁のドアをあけるに月蒼く(俊定)/運ぶ鰯に氷片(こほりかけ)飛ぶ(三良)」

「銃撃の音しづまりし山荘に(三余)/降りては消える味気なき雪(三余)/冴えすぎて襟立てなほす月真上(宏作)」

「アイヌの老とエトロフの月(虚子)/船着かぬ日は人通りなきことも(月草)/いひ訳きかぬ子を叱る声(漾人)」

「荻吹くや崩れ初めたる雲の峯(子規)/かげたる月の出づる川上(虚子)/うそ寒み里は鎖さぬ家もなし(子規)」

「卒業の子は農業に背を向けて(武翁)/十三文の父親の靴(牛耳)/横たえし水道管の穴の月(武翁)」

「錦鯉にもボスの居る池(牛耳)/マンションの鍵のくらしも味な月(武翁)/遠祖をたづね墓を洗はん(牛耳)」

少し月の句をあげてみました。大家のみなさん、気軽につけているような感じですね。冬の季語を入れて月の句をよんでみてください。

吉田いろは 2007/10/21-17:53 No.[2291] お尋ねします。
@ーいろはーあやこ ときてまた私が付けてもいいか A順番的にみて取られないことがわかっていて座興ということで句を出してもいいか
こんな質問ですみません。
市川千年 2007/10/21-19:57 No.[2293]  いろはさん、どうも有難うございます。ここは座興庵でございますので、どうかどしどし付けてください。同じ人が連続で続くこともよくあることですので。連句に遠慮は無用です。控えめにならず、どんどん薀蓄、思い、おかしみを語り合いあいながら、伝え合いながら、巻いて盛り上がっていけるのが連句の醍醐味ですので、「順番的」なことは気にしないでください。
市川千年 2007/10/21-20:38 No.[2294]  座の声がその場で消える現場と違い、ネット連句は言葉が残り、それをまだ参加していない、脇正面で見ている方々にまで伝わる媒体です。発句をいただいた芭蕉さんはひょっとしたら、怒っているかもしれません。「反故にならぬネット連句よ」。・・・東西東西、皆様方、無限の可能性を秘めたこの白山連句会ぜひぜひ盛り上げてくださいますよう、改めて御願い申し上げます。すべて、等価の句が続いていくおもしろさに是非ご参入を。
市川千年 2007/10/21-20:54 No.[2295] 付味について「野村牛耳連句集 摩天樓」(東京義仲寺連句会発行、昭和50年)より。
「連句は、文字数の制約により内容がきびしく圧縮され、理解しにくい点もなくはない。・・・「印度旅行にサリー着て発つ(紀子)/老いぬれば歩幅を狭め膝を伸(の)し(牛耳)」
前句のサリーはインドの婦人民族衣だが、日本の女性にもよく似合う。いかにも若々しい姿が巧みに描かれている。
付句は、私も老齢で足腰は曲ったものの、やはり醜を巷にさらしたくない。散歩などの折、たえず注意しながら歩いていく。
この二句を連ねると、前句の女性はいつのまにか半生を社会運動に捧げてきた老女史に変り、なおかつカクシャクとサリーを纏って出発したことになる。可否は別だ。こういう両句の接触感を、連句では付味≠ニ呼ぶ。・・」
ご参考まで。
吉田いろは 2007/10/21-22:00 No.[2296] ありがとうございます。では早速、冬の月で。
酒一壺冬三日月を友として いろは

一壺(いっこ)の酒では少々さびしいですか。
風酔 2007/10/21-23:55 No.[2297]

いろはさん!いいですね。
でも対抗して

月の出を待てぬはかなさ綿虫は

吉田いろは 2007/10/22-08:37 No.[2298] 風酔さん、まいりました。
私は一壺を抱いて退場、一人酒します。
堀口 希望 2007/10/22-11:31 No.[2299] 千年さんへ。小生、ここしばらく気ぜわしい日が続き「白山連句会」を開くこともせず過ごしてしまいました。久し振りに開きましたらちょっと気になることがありましたので教えてください。
10月20日の千年さんのコメントの中で、「『今日も働く切手の千代女』は今いち一句として独立性が弱い感じがしましたので…」とありました。私は、発句以外の句はすべて一句としては独立しておらず、次に来る附け句とあいまって一つの意味なり、情景なり、情緒なりを持つものだと考えてきました。たとえば「猿蓑」の「市中は物のにほひや夏の月」「あつしあつしと門々の声」「二番草取りも果さず穂に出て」「灰うちたたくうるめ一枚」(後略)の場合、脇句以下は、それぞれそれ一句では独立した意味を持たない。脇句にしても、第三の「二番草」の句によって初めて、「田舎の景で、暑い暑いといいながら、門口に出て団扇など使っている様子」が表出される、と思うのですが…。いかがでしょうか。「今日も働く切手の千代女」の句に対する捌きの問題とは別に、「脇句以下の一句独立性」についてお考えをお聞きできたらと思います。
市川千年 2007/10/22-12:10 No.[2300]  はい、昼休みに開けてうれしき月の句をいただけました。酒の句もまだ出ていなかったのですが、ここは人情をほんのり含んだ場の句の風酔さんの句をいただきます。綿虫がいきていると思いました。
市川千年 2007/10/22-12:23 No.[2301]

希望さん、永遠の課題に対するご質問、どうも有難うございます。切手の千代女の句は、捌きの器量の問題で、なんとなく分かるけど、よく分からない句であったという意味で独立していないと言いました。切手になって働いているという意味は分かるのですが、いまいち日光の手前という感じでしたので。
例であげられている猿蓑の例ですが、私は一句一句独立した一つの生活の断面が見えてくる面白い句と受け取っています。勿論、これらの句と句の付味、響き合いがより一層それぞれの句を輝かしているのはいうまでもありません。とりあえず、ご返事になっているかどうか。また、付け句をお願いいたします。

次はもう一句冬の句が欲しい感じです。

市川千年 2007/10/22-20:38 No.[2302] 芭蕉さんが、たしか「俳意たしかに作すべし」ということをいっていたかと思いますが、「俳意たしかに」というところが、一句の(連句の付け句であれ、発句であれ)独立性ということかと思いました。

閑話休題「笈の小文」(貞享4年に旅立ち)の一節「・・つひに無能無芸にして只此一筋につながる。西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、其貫道する物は一(いつ)なり。しかも風雅におけるもの、造化にしたがひて四時(しいじ)を友とす。・・・」
今読んでいる「陰陽五行と日本の文化」吉野裕子(大和書房 2003年刊)に、利休の想いが書かれていましたので、引用してみます。「一なり」というところにつながると思ったので。
「・・利休の想いはさらに発展して止まらず、目に見えない五陽六陰の線を畳の上に自由無碍に描いて、その法則に則しつつも、常にそれに縛られているわけではない。利休にとってはそれらの法則とか、人為的の技を忘れ、「心味の無味に帰すること」が理想の境地なのであった。そうして、その境地は式正の茶席にあるのではなく、「草庵の茶にある」としたのである。
このような茶道に対する覚悟を心技とすれば、点茶の実技においては、「多少の的を外すこと、即上手」であって、茶の道を通して、「宇宙の実相と相即不離の関係を保ちつづけつつ、融通無碍の世界に遊ぶ」、というのが利休の終始変わらぬ信念なのであった。」
さて、高く悟ったおもいで、俗に帰り次の一句を御願いいたします。そういえば、まだ、神祇、釈教が出ていないか、病態、酒も出ていない・・・
市川千年 2007/10/22-21:44 No.[2303]

ここで、三木さんの写真展を思い出しました。雪月花といいますから、やはり雪も歌仙にはほしい。
「雪の祠(ほこら)に揺れる灯火」。三木さんどうも有難うございます。
次は冬でも雑でも。雪は晩冬

秋の夜長におもしろい歌仙をみつけました。(漢字略)

「めずらしや」(冬のうちわ)の巻

はせをの翁を知足亭に訪ひ侍りて

めづらしや落葉のころの翁草(如風)
衛士の薪と手折(る)冬梅(芭蕉)
御車のしばらくとまる雪かきて(安信)
銭を袂にうつす夕月(重辰)
矢申の声ほそながき荻の風(自笑)
かしこの薄ここのさき庭(知足)

岡野辺にこころを外の家立て(ぼく言)

これは、今でいう冬から秋への季移りになっています。
また、ウラに入って、五句目から
白雲をわけて故郷の山しろし(笑)
はなてる鶴の鳴かへる見ゆ(蕉)
霜覆ひ蘇鉄に冬の季をこめて(信)
煤けし額の軒をもる月(辰)
秋やむかし三ツにわけたる客とかや(足)
いろいろ置(おけ)る夕ぐれの露(風)
散レとこそ蓑着てゆする花の陰(信)
痩せたる馬の春につながる(辰)
ナオ
米かりに草の戸出る朝がすみ(蕉)
山のわらびをつつむ藁づと(信)
我恋は岸を隔つるひとつ松(風)
うき名をせむるさざ波の音(笑)

と続きますが、これは冬秋春の季移りづくし。貞享4年(1687)芭蕉44歳。式目にうるさい人だと、これはちょっとというところかもしれませんが、なんか分りやすく、テンポがいいですね。式目に多少苦しんだ経験があると、こういう連句に自在性を感じます。(岩波文庫 昭和50年発行)

季移り「連句では、ある季から他季に移るときにはその間に無季である雑の句を入れてから他季に移ることが多く、その方が他季への移りもスムーズであるが、間に無季の句を入れずに直接移ってしまうことを「季移り」という。「季移り」は二季移りが普通であり、中には三季移りもあるが、三季移りは歌仙で一箇所、百韻でも二箇所以上出してはいけないとされている。「気移り」を容易にさせるものとして露や月がある。・・・しかし、自由に「季移り」をするのではなく、その際には一巻を見渡し、特に月・花の句の出所を考えて作すべきであり、花前の句は、花は一巻の花であるということからも、無理な「季移り」は避けるべきである」

吉田いろは 2007/10/23-09:56 No.[2304]

>次は冬でも雑でも。雪は晩冬
問い:晩冬の次の冬句というのは新年?わからぬままに、えいと出します。

 薬飲むほろほろ苦し春遠し いろは

市川千年 2007/10/23-10:13 No.[2305] 晩冬が前句で冬の句を付けるときは、三冬か晩冬(とりあえずのきまり)。ここは春近しでいきましょうか。テンポもよく希望が見えるように。
待てよ、春近しという季語はあったっけ。・・・ありました。
市川千年 2007/10/23-12:52 No.[2306] 次は花前。雑の短句でお願いいたします。
三木喜美 2007/10/23-18:08 No.[2307]

何やら格調高く連句が始まったと楽しく傍観させていただいていたら、千年さんのコメントに私からネタを・・とあり半分仲間入りさせてもらったような嬉しい心地です。ありがとうございました。千年さんの句に続けと思い「琵琶の音のいづこともなく隠れ宿」と作った時に孫が来て中断し、その間すばらしい句が続いていて感心しきりです。そこで新たに何も解らず挑戦。花前とあり花を引き出させる句が良いのでしょうが「紅染まる曙の窓」と春の曙の美しさでは駄目でしょうか。不似合いでしたら遠慮なく没にして下さい。

吉田いろは 2007/10/23-23:46 No.[2308]

春近しの句ありがとうございます。

三木さん、登場待ってました。

市川千年 2007/10/24-18:09 No.[2309] 昨日は、酔いどればったんQ太郎、付けは付けでも飲み屋の付けをしてしまった。やっと復活してみれば、嬉しい付けがありました。三木さん、どうも有難うございます。
さて、ここははっきりと人を出す意味で、「琵琶を抱きて暁の窓」といきましょうか。
「紅染まる曙の窓」と打越の「雪の祠に揺れる灯火」。いわゆる観音開きになっていると思ったので。同ような趣向の句になっていて、変化していない。場の句の打越でもありました。三十六歩一歩も帰らず。三木さんまたよろしくお願いいたします。
次は花の座。「花」の句をお願いいたします。
三木喜美 2007/10/24-20:26 No.[2310] 「琵琶を抱きて暁の窓」ありがとうございました。場の句の打越という大事な処だったのですね。連句は本当に難しいと思います。でも千年さんのお力を借りてこれからもチャンスがありましたら入れさせていただきたいと思っています。
市川千年 2007/10/24-21:10 No.[2311] と、ここでウラ六句目のあやこさんの句ですが、あやこさんが最初に指摘されているように、太夫と千代では女性の打越。しかも太夫、井筒の名をきざむ、千代では女性三連続で、変化にとぼしかったですね。先へ行く心ばかりが強くて、ミスっていました。あやこさん申し訳ありませんでした。千代を兄と治して進めたいと思います。
市川千年 2007/10/24-21:30 No.[2312] 観音開き「仏像を安置する厨子の両開きの扉を開くと仏像を中心に左右対称になり、閉じると真ん中で合わさるところから、中の一句を挟んだ打越の句が、中一句から見て前句・付句ともに同じように付いているのをいう。三句目の変化がなく、流れが二句前に戻るもので、付心・付所・付味・用語・修辞などの類似したものをいう。打越の障りの中でも左右対称になるような障りのあるものをいい、去嫌に関わるところもあるが同じではない。初心者の陥りやすい差合の一つである。」「百姓なれどみな児玉氏/月星を神事にかけて祭也/長きは稲と思はれぬ稲/此三句打越に通ひて観音開也」(『俳諧七草』)
堀口 希望 2007/10/25-13:48 No.[2313]

ご無沙汰しています。母(継母)の見舞い・介護のため
め郷里の土浦へ帰ることが多く、なかなかパソコンを
開けません。花の句を附けさせていただきます。附き過ぎでしょうか。

蕪村句を論じあひゐる花筵    希望

市川千年 2007/10/25-17:08 No.[2314]  お忙しいところ恐縮です。はい、いただきます。有難うございました。琵琶の磁力が蕪村を呼び出しました。私も琵琶から、中世の声を呼び出そうかなどと思っておりました。春の日の日本に源氏物語、秋の日の日本に平家物語(京極杞陽)でしたっけ。なんか、京極さんのパクリになりそうなので、付けあぐねていました。
花は晩春。次は晩春か、三春の短句。名残の表の折立も同様です。晩春が三句続かないように。
市川千年 2007/10/25-22:18 No.[2315] 「栞(しおり)となりし松の緑よ」。植物どうしの擦り付け。次は三春で御願いします。
今、現在の詩を絡み合って、紡ぎあっていきましょう。文芸はもっと過激であってもいいか。
小出富子 2007/10/25-23:23 No.[2316] どこかでお仲間に入れればの思いを込めて、

遍路にいでし友の絵手紙
市川千年 2007/10/26-15:01 No.[2317]  小出さんどうも有難うございます。遍路で場面転換。と、ここは五七五の長句が欲しいところなので(短句なのに長句を出してしまうことはよくあります)、どうでしょうか、「「結願」と遍路の父のeメール」ではいかがでしょう。無事八十八箇所まわって結願した便りがメールできたということで。父としたのは、打越の花の句が友達どうしで蕪村句を論じ合っているかんじなので。おかげさまで、「佛」がでました。
次は三春でも雑でも。酒の短句などもいいか・・・
風酔 2007/10/26-20:18 No.[2318]

お疲れ様です。

反則などはないと居直る  風酔

市川千年 2007/10/26-22:19 No.[2319]  ふふふ、いただきます。実は私、去年の8月、横浜アリーナの青年Kの世界戦を見に行っていました。生まれて初めてのボクシングの世界戦だった・・・翌日の新聞に「判定の結果も聞かず会場を後にする客もいた」と書かれた一人でした。知り合いの息子さんのボクシングの試合をリングサイドで見た後楽園ホールがボクシングの聖地と思えました。
小出富子 2007/10/26-23:33 No.[2320] 市川さん、そそっかしくてごめんなさい。すっかり希望さんの句に付けると思い込んでしまいました。いま、大学の卒論に「人は何故遍路に行くのか?」と言うタイトルで研究している友人がいます。遍路の様子を絵手紙で戴きます。(遍路)が生かされて良かったです。
吉田いろは 2007/10/28-21:31 No.[2321]

雑でよければ。

酎ハイを買いにこっそりコンビニへ

市川千年 2007/10/29-00:26 No.[2322] はい、いきましょう。
次、はっきり夏を出してもOK。
吉田いろは 2007/10/29-19:23 No.[2323] 「酎ハイ」句とっていただきありがとうございます。
酒の短句で付けたかったのですが、風酔さんにパンチのきいた句を出されてしまって。富子さんの遍路句もいいですね。
市川千年 2007/10/30-21:25 No.[2324] それでは、「昔のことぞゴルフ三昧」でいきましょう。
ゴルフ三昧してた人が、こっそり酎ハイを買いにいかなきゃならなくなった・・・
市川千年 2007/10/31-00:09 No.[2325]  笹沢美明という1898年(明治31年)生まれの詩人が、連句にも親しみ、こんなことを言っていたそうです。
「「大きく遊ぶ」と誰やら云ったが正に俳諧などもその一つ、時に俗世間を見つめ、時にそれから超脱する気持で悠々と宇宙的ムードに浸って大きく遊ぶ幸福を味わっている」
また、立原道造追悼歌仙を中村真一郎が同年輩の詩人仲間と巻いている。その発句は「雨霽(は)れて別れは侘びし鮎の歌」。「鮎の歌」は道造の作品名。「・・・そうして、その翌年の夏がめぐってきた時、もう詩人はこの世にいなかった。私は同年輩の詩人仲間と、同じ油屋旅館で顔が合ったとき、道造追悼の歌仙を巻こうと提案し、次の起句を詠んだ。雨霽れて別れは侘びし鮎の歌」(中村真一郎「樹上豚句抄」より)
閑話休題でした。連衆の皆様、いよいよ後半の暴れ所、楽しんでいきましょう。
堀口 希望 2007/10/31-23:00 No.[2326]

今までの句を見てきましたら、夏の句は表五句目の「過疎村の…」一句のみでした。そこで夏の、恋の、「自他」の句をひとつ。
出来ちゃった婚にばたばた夏過ぎる  希望

遠慮なく没にしてください。

市川千年 2007/11/01-20:24 No.[2328] 少し戻って、酎ハイはやはり夏の季語でしょうか。焼酎は三夏。火酒だから夏なのか・・・
次の句を「帰省をすればゴルフ三昧」というふうに直します。それで、希望さんの句をいただきます。夏はこれで終わり。
堀口 希望 2007/11/01-23:18 No.[2329] 「焼酎」は夏の季語だということを失念していました。
失礼しました。
もう一句、恋句を附けていただきたいですね。
吉田いろは 2007/11/02-23:14 No.[2330]

酎ハイは夏の季語ですか。わかりました。では恋句(のつもり)で付けます。恋のライバル句待ってま〜す。

 忘れられないノバの先生 いろは

市川千年 2007/11/03-22:39 No.[2332] 恋の句の連句辞典から「恋の句は人情の最たるもので、一巻の中に恋の句が詠まれていないと、その巻は不完全なものであるといわれる程で、連句では月・花と同じく大事なものとされている・・・」
ちょっと時事句的なものも続いていますから、なぜ忘れられないノバの先生といいますか、もう一考具体的に。
他の連衆の方も思い切った句を付けてください。
吉田いろは 2007/11/03-23:45 No.[2333] わかりました。ボツにしてください。
市川千年 2007/11/04-10:01 No.[2334] 「連句では、森羅万象、つまり天地間のあらゆるできごとを余さず取上げる、という。もとより、人間にとって重要な恋愛や性の問題をすてておくはずはない。それに、そういうおイロケを巧みに配置すると、作品を華やかにしたり、ときには哀れを誘ったりする効果がある。実作者は、古くからそうとう苦心を払ってきたらしい。・・・・・・若い娘や美しい女が登場すると、たとえ恋愛や性に関係はなくとも恋句に見なす習慣になっている。こういう形骸化の影響やら、ほかにも実作者の安易な心理的妥協などもあって、努力にかかわらず心惹かれるほどの恋の句は極めて少ない」(野村牛耳連句集より)恋の句は五句まで続けられますので(めったにありませんが)、次の一句はあっさり流す感じで、「忘れられない先生の声」とでもいきましょうか。ここは、いろはさん、連衆の皆様、ぐっと脳髄をしぼって他の付け句も考えてみてください。「忘れられないホノルルの夜」「金婚夫婦ほっと一息」だめだこりゃ。
吉田いろは 2007/11/05-22:08 No.[2335] 私の恋句のせいで先にいけないようですね。皆さんの付け句を待っているのですが…。だめついでにまた一句です。 
二人手をとり明日へジャンプ いろは 
市川千年 2007/11/05-23:09 No.[2336] いろはさんすみません。二人手をとり・・は付きすぎ。「忘れられない先生の声」でいきましょう。自の句、雑。(自他半という人もいますが、先生はその場にはいないので、自の句ということで。打越は自に限りなく近い自他半ということで。ここは理屈、三分?の理があればよし。以上捌きの独り言)。もう一句恋句がきてほしい感じですね。ある人の恋句に「違ふ乳房に会ひにゆく」とかあったそうな。どなたか、ガツンと付けてください。おもいっきり自の句か他の句の恋の句を所望いたします。(勝手なことを言っています)
市川千年 2007/11/06-23:40 No.[2337] やっと家に帰ってきました。鯉でなくても結構です。・・・
吉田いろは 2007/11/07-11:12 No.[2338] 「忘れられない」句ありがとうございます。
(何だか付けるのが難しくなってきましたねえ…。独り言)
三木喜美 2007/11/07-16:37 No.[2339] またまたいろはさんに続けとばかり、恋の句と言えるかどうか、「似た人に逢ってドキリと眼を伏せて」近すぎでしたら「燃え上がる紅葉寺にて肩並べ」ではどうでしょうか。
市川千年 2007/11/07-19:00 No.[2340] 出来ちゃった婚が「自他半」(自分と他者がいる句)、三木さんの二句も自他半。自他半の打越です。紅葉寺は同じナゴリのオモテ(ナオ)の折立に遍路があり、捌きとしては、同じ面に釈教(しゃっきょう)がくるのもどうかと(同じ種類のものでも三句から五句離れていればいいんですが)。ナオの十一句目が月の座ですが、ここで秋をもってくることはかまわない。月をあげればいい話(早く月の句を出す)。講釈が長くなりました。こんなことを書いているうちに、うまく斧正ができかねて、ご飯の時間とさせていただきます。ご覧になっていたら、もう一考御願いします。他の皆様も三木さんの句をうまく直してみてください。もちろん、新たな一句でも。
三木喜美 2007/11/07-21:32 No.[2341] 本当に連句は難しいと思います。それではと「五行詩に想ひを込めて投稿し」では・・。だめでしたらすぐに没にしてください。どなたかにお任せします。
市川千年 2007/11/07-22:05 No.[2342] はい、いただきます。「五行詩」。なにか分りやすい例でもありましたら、後学のため教えてください。
「隠し切れない移り香が いつしかあなたにい浸みついた 誰かにとられるくらいなら あなたを殺していいですか ・・・・山のむこうに 貴方 山が燃える・・」
おいおい、とうとう捌きが歌いだしちゃったよ!
「何があってももういいの くらくら燃える火をくぐり
あなたと超えたい この歌仙」「・・・千年んのを古都」ときたもんだ。次の句はご自由に。
講釈(式目)をくだくだいうとポエジーに障りますが、連句の式目はポエジーを醸し出してくれるもの、という思いがあります。
「遊ぶ春日は くれずともよし」「霞立つ 永き春日を 子どもらと 手まりつきつつ この日暮らしつ」「子どもらと 手まりつきつつ 此のさとに 遊ぶ春日は くれずともよし」良寛
どなたか良寛を卒論に書かれた方いらっしゃたんでは。良寛の歌の一節でも拝借して、一句付けていただけませんか。
三木喜美 2007/11/08-08:50 No.[2343] 千年さん「五行詩・・」の句、申し訳ないのですが取り下げて下さい。同じような句をあるところに出していてそこは未発表のものと決められていたのを忘れていました。ご迷惑かけてすみません。どなたかにバトンタッチです。
市川千年 2007/11/08-21:10 No.[2344] はい、わかりました。連句を進めるために、自分の句の一部を、前句に付くように中七を変形したり、七七の短句にしたりすることもあります。喜美さん、また御願いします。
と、こんなことを書いていると、知り合いの医師の先生から、若い頃した整形を述懐(俳諧では通常は世を恨み、老や貧を慨嘆する気持ち)する女性の話を聞いたことを思い出した。先生、あんなことするんじゃなかった・・・「整形を嘆いてみてもしようがない」自の句の述懐ということで、先に進めましょう。次は昨日、歌に歌ったとおり・・・
市川千年 2007/11/10-01:01 No.[2345] つぎは冬一句いってもいいし、言葉に意味をおもねらない軽い、シュールな、軽いやり句がほしいような。
風酔 2007/11/10-13:48 No.[2347] 「やり句」って???
市川千年 2007/11/10-22:13 No.[2348]

遣句(やり句)「連歌の席で、前句が難しい時、あるいは手のこんだ句が連続した時など、軽く気分を変える必要のある場合、あっさり付けてすてる句をいう。俳諧、ことに七名八体では遁句(逃句)といわれたが同一のもので、俳諧でも遣句という語は用いられる」

遁句「・・・前句の意を積極的に認めず、消極的にさらりと付けるもので、一巻を付け進めてゆくうちにねばりが出てきたり、前句が複雑難解で極めて付けにくいときなどに用いられる。時節・時分・天相などを付所として人情味の少ない句や人情のない句を付けたり、時宜などの思考性の少ない句を付けたりして、渋った付けの流れや重くれた前句を軽く受け流し、新たな展開を促すものである。・・・いまや別の刀さし出す(去来)/せはしげに櫛でかしらをかきちらし(凡兆)/おもひ切たる死ぐるひ見よ(史邦)/青天に有明月の朝ぼらけ(去来)」(『猿蓑』「鳶の羽も」の巻)は、前三句の付けが重く続いて付けの流れが詰まってしまったため、人情なしの句で転換を計ったものである。・・・・・・・遁句を付けるのは一見たやすいようであるが、付ける場所を見極めてどのように付けるかは以下の展開にも関わるため、巧者が付けるような大切な付けであるとされている」

風酔さん、よろしく御願いいたします。ただ、月は風酔さんが二句出しているので、月の句はご遠慮を。

市川千年 2007/11/12-00:05 No.[2349] 「娘を堅う人にあはせぬ(芭蕉)/奈良がよひおなじつらなる細基手(ほそもとで)(野坡)/ことしは雨のふらぬ六月(芭蕉)」(『炭俵』「むめがヽに」の巻)は、時宜による遁句の付けである」
市川千年 2007/11/12-21:37 No.[2350] 「其角曰、一巻附込だる所をゆるめんが為、天象・時節・気色等にて伸たる句をするなるをば、逃句といふて拙き事のやうにおもへる輩あり。さにはあらず、却て功者の心を用ゆべき事也」(『花実集』)
風酔さん、皆さん、いくつでも逃句を御願いいたします。
風酔 2007/11/12-23:38 No.[2351]

ずっと考えていたのですが・・・難しい。

副都心抜け凩一号  風酔

市川千年 2007/11/13-05:17 No.[2352] 「木枯や目刺にのこる海のいろ」龍之介、「海へ出て木枯帰るところなし」誓子、「十方にこがらし女身錐揉(きりもみ)に」鷹女。
はい、頂きます。こがらしがやり句を運んでくれました。
「凩の果はありけり海の音」言水、「凩や焦土の金庫吹き鳴らす」楸邨、「木枯に夕日うかべる信濃口」龍太、「凩や海に夕日を吹き落とす」漱石、「凩の庭はもみぢの千ぐさ哉」宗祇、「凩や何に夜わたる家五軒」蕪村、「寝た下を凩づうんづうんかな」一茶、「狂句こがらしの身は竹斎に似たるかな」芭蕉・・・
木枯(凩)は初冬。ここは凩1号が副都心を抜けたと見て、場の句としておきましょう。はっきりそうと分るように、凩1号副都心抜けとします。
次は冬でもいいし、雑の句でも。(月の座の打越の句にあたります)
根本文子 2007/11/14-10:38 No.[2353]

参加したいと思いつつちらと読んではナルホドナルホドと楽しんでいます。昨日東横線で見た光景はどうでしょうか?
多摩川に羽を休める冬の雁

または、帰宅して
柚子の香のひかりに満ちて仕舞風呂

なかなかしゃれたようには出来ないので思いつくまま?
月の打越はなにか約束事があるのでしょうか? あやこ

市川千年 2007/11/14-23:00 No.[2354] 約束事などありませぬ。
市川千年 2007/11/14-23:49 No.[2355] 「柚子の香を売る算段の仕舞風呂」これでいきましょう。
今、化粧品関係の人たちが新しい市場を求めて全国に散っているようです。「ひかり」は今度来る月には「打越」。これまでの二つ月にない別の輝きがほしいと思う捌きの思いです。
市川千年 2007/11/15-17:36 No.[2357] あやこさんの原句は柚子湯で仲冬。今度はっきりと「月」を出したい思いから、上記のように訂正しましたが、これは柚子で晩秋になって「季移り」の付けとなりました。ちょっと昨日は意識朦朧状態だったので、見直してみると、これは柚子湯を活かした方が断然いいと思い直し(ダメな捌きですみません)「柚子の香に満たされている仕舞風呂」としましょう。何かほかにありましたらご意見ください。とりあえずこれで。
次は雑の句(人情有)をはさんで、月の座にいきましょうか。
市川千年 2007/11/15-17:54 No.[2358] 仕舞風呂で夜だから、月と障るか・・・次に月を出してもいいし・・・仕舞風呂を家族風呂に直しましょう。
市川千年 2007/11/15-18:06 No.[2359] 掲示板での村愁さんの、神宮大会での東洋大学優勝の句を見て、
三連投で決めた優勝  村愁
家族風呂で育った投手が、三連投の快投をするまでに成長したということで、究極の時事句スポーツ句がここに誕生いたしました。大場選手に是非お知らせください。
村愁 2007/11/15-21:32 No.[2360] また、連句の神様ですね。
フフフ。
市川千年 2007/11/15-21:39 No.[2361] ううう、数字の打越・・・「連投完封優勝の杯」。他にありましたら、遠慮なく。
市川千年 2007/11/15-21:41 No.[2362] 杯を盾にしましょう。
はい、少しもたつきましたが、俳諧連歌の歴史始まって以来の至高のチームワーク付け≠ニなりました。次は月の句を御願いいたします。今日の三日月はきれいでしたね。
市川千年 2007/11/16-05:37 No.[2363] 「連投完封・・・」の句だけを見た人は、神様、仏様、稲尾様の鉄腕稲尾投手が浮かんだかもしれませんね。稲尾が投げ、中西が打つ・・球音、歓声、溜息、選手個々の息遣いが聞こえてきますね。巨人が優勝できないのも、鼓膜を麻痺させるようなライブハウスのようなところでやっているからではないか(仮説)。桑田真澄投手が「球音が聞こえる日を」と言って、鳴り物なしの試合を実現したことがありましたが、野球の神様に触れ、感じている桑田投手ならではの、野球界への警鐘、至言だったように思います。ヤクルトの大杉選手だったか、「月へ向かって打て」と言って美しいホームランを打ったのは。
さて、月の座の薀蓄を連句辞典から。
「師の曰、月は上句勝たるべし、落月、無月の句つゝしむべし、時によるべし、法にはあらず、と也。星月夜は秋にて、賞の月にはあらず。もし発句に出る時は、素秋にして、他季にて有明などする也」(『三冊子・白』)
「都て月花は風雅の道具なれば、なくて叶はぬ道理をしつて、さのみ月花の句に新しきをもとむべからず。一座の首尾よろしきにしたがひて、毎々の俤の句なり共、其時、程よきやうに付け置べし。さして奇怪をこのむべからず」(『芭蕉翁二十五ヶ条』)
ここは、人情有でも場の句どちらでも。月へ向かって思い切り投句して、連句音を響かせてください。
市川千年 2007/11/18-15:00 No.[2366] それでは先に進めましょう。「月あかり頼りに神を撮影す」。後からつけた理屈ですが、前二句がチームワーク付け≠ネら、後二句は孤高付け=B内心の孤独に耐えた優勝投手が、孤高の月光仮面ならぬ、月光カメラマンとなった次第・・・。神はさて、山の神、巨樹巨木の神、屋久島の千年杉はたまた海の神、八百万の神あるいは・・・西洋の神。次は秋の短句を御願いします。
市川千年 2007/11/18-18:17 No.[2367] 「芦丈翁俳諧聞書」東明雅著(平成六年発行、編集発行人・東明雅)より。雑談。
「・・・それは何の福沢先生の奥さんがコキン(福沢諭吉夫人)という名でね、その連句やっただ。コキン女と古い錦の女と書くで。それでそういう連中が集まって、それから駿河の蝸堂(松永蝸堂)が捌きをしてね。蝸堂はそれで慶応義塾でそんな連中を相手にしてね、よほど得意な時代があるんだ。とうとう伊藤博文まで来たりしてね。・・・・その伊藤博文だってね、この何だだ、あの山田だったかな、山田寒山という坊さんがね・・・伊藤博文と、月ひとり秋や占めけん角田川 という伊藤博文の句へね、山田寒山が、荻折り入れよ管絃の船 という脇付けてね。その巻、おら、どうも写しときゃよかったけどね、写しもないんだ。そういう伊藤博文だって連句やっただし・・・」
後、三省堂の「連句・俳句季語辞典 十七季」(編集者 東明雅他)より月の付け句。(一部略)
「金輪際より嶋山の露(春澄)/毘沙門の鉾のしたたり国の秋(似春)/外道の首の落(おち)かかる月(桃青)」、
「貧しき葬の足ばやに行(ゆく)(蕪村)/片側は野川流るる秋の風(几董)/月の夜ごろの遠きいなづま(蕪村)」
「飛沫をあげてこだまする滝(正明)/わけ入れば木地師の裔というに逢い(道)/こけしの眉に月こもるらし(關ホ)」道は渋谷道氏、關ホは「奥の細道歌仙」評釈のある橋關ホ氏だと思う。
市川千年 2007/11/18-20:08 No.[2368]  前の続き。芦丈こと根津芦丈(明治7年(1874)〜昭和43年(1968))。「長野県伊那生。連句は明治27年、八木芹舎の門人馬場凌冬の弟子となり、同年俳句結社圓熟社の正社員となる。・・・大正7年蝸堂から連句に熱心の故をもって、明治三大家の一人橘田春湖から蝸堂へと伝わった抱虚庵の庵号を送られた。・・・(昭和)30年に連句二千巻満尾記念集「芦むら」出版、34年から都心連句会指導、36年信州大学文理学部で講演及び実作指導をなし、これを機に信大連句会誕生、42年4月まで毎月出張指導。・・・・門弟に清水瓢左・野村牛耳・大林杣平・山路閑古・三井武翁・石澤無腸・鳥塚江南・東明雅・高橋玄一郎・池田魚魯・小出きよみなど多数。・・」
「どの棟からもモーターの音(關ホ)/戦后五年近づく講和待ちかまえ(芦丈)/虹を吐き吐き中間子論(關ホ)」
以上、現代連句史の一端。
風酔 2007/11/18-20:43 No.[2369]

とりあえず挑戦!

貨車遠ざかり揺るるコスモス  風酔

そういえば昔、東明雅さんと一度だけお酒の席で一緒に
なったことがあります。お話はしませんでしたが・・。

根本文子 2007/11/19-00:39 No.[2370] 柚子湯の句をご採用いただき有り難うございます。柚子湯で育つと、こんな天晴れなピッチャーになるとは知らなかった〜。素晴らしい〜。 遅ればせながら あやこ
市川千年 2007/11/19-21:19 No.[2372]  どうも有難うございます。貨車の句、頂きます。昔といっても数年前、「冴え返る長崎からの寝台車」という句を作ったことがあり、そんなことを思い出していたなかで、貨車とコスモス。捌きの勝手とはいえ、貨車と好きな花のコスモスが出たらとらずにはおれません。
神が連句に出たら、「トランプのジョーカーのようなもので」(東明雅先生から川野蓼艸師・・そして不肖千年へ面授の言葉)、次の句はどんな句でも付くと教わりましたが、なかなか神を前句に句は付けにくいもの。風酔さん、すばやく付けていただき有難うございます。
市川千年 2007/11/19-21:37 No.[2373]  いよいよ名残の裏。一気呵成にいきましょう。後は何でも付くという軽い気持ちで、投句してください。
神祇、釈教、恋、無常・・・海紅先生が先人の句に学ぶでとりあげられている、猿も小蓑を欲しげなり、ではないですが、哀れとおかしみを併せ持つ秋の無常の長句などいただければ有難い。捌きの期待をずらす句でも。
風酔 2007/11/19-23:32 No.[2374] ありがとうございます。
神も仏もこちらは考えずに付けてるから、捌きも大変ですね。
今までの分もまとめて、とりあえずお礼です。
市川千年 2007/11/20-22:04 No.[2375] ちょっと失礼して、歳時記から晩秋の句で次に付くような句を適当に選んでみました。
「肌寒と言葉交せばこと足りぬ」(立子)
「鳴き鳴きて囮は霧につつまれし」(林火)
「うつくしき鶸(ひわ)も囮よ鳴いてゐる」(青邨)
「村の誰にも聞こえて初発猟銃音」(秋を)
「どの家も新米積みて炉火燃えて」(素十)
「蔵王嶺に鳥湧きそめぬ芋煮どき」(鳩舎)
また、三秋から
「運動会昔も今も椅子並ぶ」(佳世子)
「みちのくの旅に海透く稲雀」(不死男)
「しづかなる力満ちゆきばった飛ぶ」(楸邨)
「秋の暮大魚の骨を海が引く」(三鬼)・・(「秋」は発句で使われいるので使いたくないが、もしこんな句が出たらとらざるをえない・・・)
初秋をはずして、連衆の皆様、御願いいたします。
市川千年 2007/11/21-05:45 No.[2376]  もう一回、地名、人名を入れてもいいですね。酒も酎ハイだけだし、別の正統派ストロングスタイルの酒があっても。人名で秋の忌日の句をみていると「蝗飛ぶ山頭火忌のコップ酒」(伊藤仙女)、「田まわりの兄の自転車賢治の忌」(有馬正二)、「西北に富士の起ちたる宗祇の忌」(関森勝夫)、「面白の世の一日に耕衣の忌」(宇多喜代子)、「もののふの東にをりて西鶴忌」(森澄雄)・・・「酒しらぬ我は旅のみ牧水忌」(水原秋櫻子)。秋櫻子は酒は飲まなかったのか?
無常は後六句の中で入れていけばいいので、何でも秋の長句を付けてみてください。
小出富子 2007/11/22-22:58 No.[2377] 思いきつて……。
銀杏見に表参道一人行く   富子
植物が続くので……。
市川千年 2007/11/23-12:43 No.[2378] はい、ここは植物は続けずに秋の鳥か虫でも鳴かせてほしかったんですが。つまり、連句で大事な変化をつけてほしかった。後、理に落ちるかもしれませんが、参道と神は障りますね。それでは、「そぞろ寒原宿前の交差点」と遣り句的にいきましょう。そぞろ寒で晩秋。秋三句続いたので、次は雑の句で御願いします。
根本文子 2007/11/23-17:54 No.[2379]

旅の翁も迷う細道
宿かす人も無き翁道
湊は大漁歌の時刻か

 先生が石巻スクーリングにいらしてるので〜タイムリーにつけたいのですが?

市川千年 2007/11/23-19:16 No.[2380] はい、ここは湊は・・の句をいただきます。湊は大漁歌と地酒と、でいきましょう。おそらく、海紅先生はこれから歌われるはず・・・・・
市川千年 2007/11/23-21:05 No.[2381] 「ロボットと地雷を剥がす仕事有」
昔失業していたことがあったので、3行広告にこんな地雷の座≠ェあったかも・・・あるいは、大漁の漁師さんの子息が国際貢献でそういう仕事を地道にやっておられるかも。
小出富子 2007/11/23-21:28 No.[2382] 「なんでも、秋の長句を付けて、」のお言葉に、なんの変哲もない句を付けてしまいました。地名は、(青山どうり)、(神宮外苑)などと、銀杏の絨毯を想像しながら……。
千年さん、有り難うございました。
市川千年 2007/11/23-21:29 No.[2383] 次は花前。春の句でもいいですし、雑の句でも。
希望さん、いろはさん、喜美さん、そろそろもう一句御願いいたします。(ここでプレッシャーをかけ、いっきに巻き上げたいのです・・・)。他の見学者の方も見学者でいては連句は一生分りませんよ。
市川千年 2007/11/24-13:25 No.[2384] 雑談・・去年、大岡信フォーラム(事務局・鰍y会)に入って、月1回(金曜日午後6時から8時)大岡氏の座談会を数回聞く機会がありました。時間帯が時間帯だけに、会社のある新橋の赤ちょうちんの誘惑に負けて行かなくなり、会員権利が切れてしまいましたが、事務局の素敵な女性の方が送ってくれた同フォーラム会報(2007・3)『「忘帰抄」二十句交響』に、大岡氏が1989年に加藤楸邨の句に七七を付けた話が掲載されています。引用させていただきます。(忘帰抄は加藤楸邨『望岳』(編集・大岡信)の第一部に入っている)
「葱抜きしあとのぞきをり僧一人(楸邨)」「匂ひ泥棒と土のつぶやき(信)」
「瓜の半月冬のオリオン充實す(楸邨)」「枯木も太る梟のこゑ(信)」
「遠くから全く柿となりて見ゆ(楸邨)」「人呼んで未確認飛行物体といふ(信)」・・・・・
大岡氏は付け合いのおもしろさについて、次のように述べています。「何がおもしろいって言われると難しいけれど、要するに他の句が一句あるでしょ。これとは違うものにしなければならない。これからどのくらい離すか。離してどういう形で対照的になるようにするかとかね、くっつけていくというのとはちょっと違う。くっつけるのはだいたい面白くないね。だからある一句とどれくらい違っていて、どれくらい照らし合わせてくっついているようになるかということの兼ね合いを見るということが、自分自身にとっておもしろいと思う」「自己満足みたいなものです。だからそれを見極めるのがとても面白いと思うんだよ」
高校時代にたしか連詩について大岡氏が文芸誌に書かれていましたが、連句に対する目を開かせてくれた一つの大きなきっかけになったので、一度は話してみたいと思い、「あの丸谷才一先生とかと巻かれている連句の捌きはどなたが」と質問すると、にっこり笑ってあれはいない、みんなで巻いている≠ンたいな答えを頂いたのがいい思い出です。さあ、詩人変人なんでもござれ、あと三句、巻きあげていきましょう。
市川千年 2007/11/24-16:58 No.[2385] 次はオカリナを吹く少年が出てもいいですね。奥山さんにも御願いしたい。前二句がちょっと勢いがある句なので、しっとりいってもいいですね。さて、何が飛び出してくるか楽しみです。何でもアジアモンスーンの豊かな風景でも。次が花なので植物はご遠慮を。
市川千年 2007/11/25-11:20 No.[2386] 地雷をとる仕事をしている人の夕食の一景でも何でも。鳥が肩にとまっても、何でも・・・
風酔 2007/11/25-18:37 No.[2387]

まだ出番じゃないですが・・・

春雨を聞く夕餉貧しき 風酔

ちょっと、あやこさんの句にもどるかも。

市川千年 2007/11/26-00:24 No.[2388] はい、風酔さんどうも有難うございます。ここは、奥の手、これまで出していただいた句でとられなかった、秘蔵のおとりおきの句から付けて次に進めましょう。
「喜寿の祝ひの手紙暖か」(希望)・・・地雷を喜寿の人にとらせてしまっただ・・・これで。
三木喜美 2007/11/26-10:10 No.[2389] 呼びかけていただきましたので勇気を出して、次が花の句でしたら、「車椅子押す手も軽し花ふぶき」ではだめでしょうか?
市川千年 2007/11/26-20:45 No.[2390] はい、匂ひの花の座を解説する前にいい花の句をいただけました。
いよいよ挙句。ここは捌きの特権で、「蛙八匹古池に飛ぶ」でいきましょう。連衆八名で無事満尾。
谷地先生、芭蕉会議の皆様、どうも有難うございました。
また、この素晴らしい連句サイトを創っていただいたカルテモの皆様有難うございました。明治期に新聞が近代俳句を大きく育てる媒体になったように、連句を大きく育ててくれる媒体を得た思いです。それでは、また風狂の世界で遊びましょう。
風酔 2007/11/27-12:51 No.[2391] 千年さんお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
連句というのは、作品がいいのか悪いのかよくわかりません。今回の作品についての千年さんの感想を機会があれば教えて下さい。
またよろしくお願いします。
市川千年 2007/11/27-22:16 No.[2392] 風酔さん、どうも有難うございました。名残の裏の折立を見事にインターセプトして、別の次元にもっていただけて助かりました。
作品についての評価は、今の私は、芸事でいえば二つ目の初め位で、古池の浅瀬で二つ目をちょろっと出している蛙のようなものですので、俳諧師芭蕉の本質に関わるような問題は、石山の石より固し解き難し、といった思いです。が、文台おろせば反故ではありませんが、試合が終った、プレイヤー同士が語り合う思いで、「いっやあ、肝心のところで、甘い球を投げてしまった」「あそこは以外によかったね」「おい、見直したよ」「もうほんとに、先輩がいてよかった」といった喜びを語り合いたい思いです。監督(捌き)がゲームを進めるために「ピンチヒッター、わしや」といって出すぎました・・・
いくつか、連句についての言葉を書きます。また、よろしく御願いいたします。
「即ち、一口に言ってしまえばアンチ月並。人間をその最深部で歌い、世界をその多様性で捉え、この連句という「対話詩」の上で我ら同時代の詩を成就しようではないか」「「座」は時間空間、流動と感応の中に未知の詩を孕む不思議なフィールドだ」(私の師匠の村野夏生)
「・・・付句は前句にのみつき打越の句とは全く縁がない。このような関係を何回も何十回も繰り返して一巻の作品が創り出される。・・・この独自の運動・メカニズムさえ失わなければ、一巻がどのような形式をとろうとも、どのような式目を採用しようとも、私はそれを連句と認めようと思う」(三句目の転じを連俳の生命と説く東明雅)
最後に、古本屋さんでこの前見つけた「芭蕉論」野口米次郎著(大正15年2月3日第四版、初版大正14年11月10日 第一書房)から、(漢字、かなは現代略)
「・・・造化に従って造化に帰るということは、自分を失うという意味ではない。自己の個性が存在しないならば、どうして造化に従われよう、又造化に帰ることができよう。造化に従い造化に帰って、始めて宇宙流転の方則に合一することが出来る。自然の情調に入ることが出来る。茫漠たる無限の一部となって、無凝自在な清澄境に生きることが出来る。・・・自然は動いて一刻も停滞しない。自然に進化はあるが、進歩はない。自然は形體を離れて常に豫想(アンチシペーション)の心理状態に生きる。見よ、春の花が散らない中に既に新緑の用意が整えられる・・・」